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2010年6月12日土曜日

祭司性

信徒の司祭職について

A祭司について
1)本性の祭司性
人間本性:個体本性と対他本性(ペルソナ)「神はご自分にかたどって人を創造された」(創世記1:27)。二つの本性があるのでなく、一つの本性がそれ自体として捉えられる場合と、他者に対する者として捉えられる場合。あらゆる被造物は、他者によって支えられねば、実在できない(ens ab alio) 。しかし、人間の対他本性は、それ以上に、他者に向かって開かれ、他者によって完成される。他者とは、自己以外のあらゆるペルソナであるが、最終的には、神的ペルソナである。ペルソナとしての三一神であるが人間ペルソナは、この神的ペルソナである他者と対峙することで神性と交流・合一する。つまり、神的ペルソナと人間ペルソナが神性を共有する。この対峙は、動的なもので原初の秘義(万物創造・アルファ)から終末の秘義(万物完成・オーメガ)に至る巨大法輪である。この無限ダイナミズムの内にペルソナとしての全人間共同体とペルソナとしての三一神との合一が成就して行く。このような活らきを根拠に人間本性の内に本性的祭司性が形成されている。
2)祭司性の機能(はたらき)←祭り
他者からの働き掛けとしての機能・仲保mediator―――他者への機能・供儀victima・sacrificium 
祭司性の機能は、人間本性に根差すもので、文化、民俗などによってその表現形態は多種多様である。具体的事項については、世界宗教史参照。神道。
3) 身分statusと用務officium
これらは本来社会的区別で、絶対ではないが、相対的に恒常性を保つ。典型的身分は、いわゆる「血筋」で生物的つながりを土台とする。次に「世襲」。様々な手段を使って世襲が図られる。職人、政治家など。用務は、人とは直接関わりはないが、身分化される可能性は常にある。このことは、祭司性に関しても妥当する。バラモン、神官、僧侶。
B簡潔な史的一瞥
1) 古イスラエルの祭司性:アーロンの系譜、生贄をささげる←神殿。
唯一神とイスラエル民との媒体(仲保者・供え物)。古イスラエルの信念では、唯一神と選民との間には、超えることのできない深淵がある。それ故、神の方から仲保者を立てる必要があり(アブラハム、モーセ)、選民は仲介を求めて犠牲を捧げる必要がある。こうして、祭司階層が生まれ、神の言葉を預かる預言と犠牲として動物の生贄victimaが行われた。さらにこれらの行為を実行するため民を纏める統括権も付与された(牧権・王権)。旧約の祭司は、イスラエルの民laosから身分的に区別された人々で、民の罪の贖罪のために犠牲をささげた。大祭司に集約された組織的祭司性である。
2) 新約の祭司性
新約の祭司性は、本性的祭司性を可見的土台とする受肉の秘義(ho logos sarx egeneto)である。この秘義は、神のペルソナが人の子イエスとして受胎することに始まり、イエスの十字架死と復活にいたる全生涯として時・空の場に現存する。さらにこの現存は、受肉のペルソナ・イエスが復活の秘義によって時間性、空間性を可能態として保持しつつ三一神の永遠の交わりの中に合流する。人となったペルソナ・イエスは、全人類を自己に統合・合一させることで、宇宙キリスト・全キリストtotus Christusとなる。これをパウロは、イエスを頭とする「キリストの体」と表現する。こうして全キリストとなった人類は、復活の主キリストによって存在の深淵と罪の深淵とを克服して、三一神と合一し超宇宙的大法輪が完成する。
それ故、新約の祭司性の機能は、根源的には、受肉のペルソナ・イエスであり、延長的には、全キリストつまり(秘跡によって)キリストに結ばれたあらゆるキリスト者である。要するに受肉のイエスは、神と人間(+全宇宙)とを結合する存在であり、イエスの機能を例示すれば、御父の意志を表わす預言、人類を統合する「王」、自身を捧げることで人間を神と合一せしめる祭祀である。
少なくとも洗礼の秘跡によってキリストと一つになり、もう一人のキリストalter Christusとなるキリスト者は、上に例示されたものを主とするキリストの全機能を分有する。これがすべてのキリスト者の祭司性である。ちなみに祭祀の具体的あり方は、固定化されていない。あらゆる形態が可能である。一般に祭司の機能は、犠牲の奉献と言われるが、それは大切ではあるが、多くの内の一つに過ぎない。邦語の「犠牲」は、sacrificiumの訳語と思われるが、元のラテン語は、語源的には、sacrum facere聖化すると言う意味で「神と我々との合一を実現するためになされるあらゆること」がsacrificiumである。従って人間を含む動物の生贄victimaは、sacrificiumとしての祭祀の一つに過ぎない。神との合一を目指すあらゆる活動は、個人的にも、共同体的にも、sacrificiumであり、祭司職であり得る。 
3)新約聖書には、身分的に民laosから区別された「祭司hiereys」は、少なくとも言葉としては出てこない。祭司は、異教ないしユダヤ教の祭司についてのみ言われる。例外は、「ヘブル書」の大祭司キリストと「ペトロの手紙I」が新約の民全体を総称的に王的祭司団basileion hierateyma(2:9)と呼ぶことであろう。[ちなみにこのbasileionを形容詞でなく、名詞とする解釈もある。フランシスコ会訳は、こう解して「王室・祭司」と二つに分けている。新共同訳は「王の系統を引く祭司」と訳す。何れにせよ個人が祭司と呼ばれるのでなく、教会共同体が祭司と呼ばれる。]
4)宗教史的に言えば、キリストの教会には、ユダヤ教的な祭司階級は存在せず、いわゆる(平)信徒共同体である。その理由は、「ヘブル書」によれば、大祭司キリストが、あらゆる祭司職を徹底的に完成してしまったからである。しかし、教会は根源的には、本性的祭司性をもち、この祭司性は、すべてのキリスト者が入信の秘跡(洗礼・堅信・エウカリスティア)を通してキリストに合一することでイエス自身の祭司性として現実態actus, energeiaとなる。これをキリスト者の共通祭司性とよび、その機能を共通祭司職と言う。
5)教会は、キリストの体、全キリストとして多くの活動がある。それらはすべて受肉のキリストの使命つまり神と全宇宙との(再)合一の完成を目指す。これらの活動energeemataは、仕えるdiakoniaiとして総括され(マルコ10:45)、またこの活動の成就のために神の特殊の恵みkharismataが与えられる。Diakoniaとkharismaは、対概念である。「賜物kharismataにはいろいろありますが、・・務めdiakoniaiにはいろいろありますが、・・働きenergeemataにはいろいろありますが・・」(コリI 12:4-6)
多くのディアコニアの中から、キリストの祭司職を集約的かつ専従的に果たすディアコニア(とカリスマ)が顕在化してくる。それは当時の仕来たりに応じて、監督者episkopos、長老presbyteros、奉仕者diakonosに分化し、叙階の秘跡ordinatioによって固定化され、信徒共同体とは身分的に区別された祭司団を形成する。共通祭司職から区別するため、役務的祭司職sacerdotium ministerialeと言う。なお、邦訳では、監督者、長老、奉仕者(執事)は、順に、司教、司祭、助祭と訳される。
C)共通祭司職(信徒の祭司職)の例示
1)共通祭司職は、神と全人類との合一、その(時間的ではない)前段階としての全人類の一致を目指す受肉のキリストの祭司職への参与であり、具体的には非常に多様な形で表現される。パウロは、その手紙の中で幾つかのディアコニアを例示している(たとえば、コリントI、12章、エフェソ4章)。これらすべては、「福音」の伝達に集約できるが、福音とは、ペルソナとしてのイエス自身のことであり(「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられる」(ガラテア2:20))、この伝達のことを「使徒活動」と言う。こうして、新約の祭司職は、福音化(使徒職)に統合された。祭司職の中心課題は福音化(福音宣教)である。福音とは、すべて信じるものを救う神の力(=十字架の言葉)である。使徒の言葉と行為とにおける十字架の現前と復活の喜びが福音の神髄である。
祭司職の具体的行為は、sacrificiumをささげることであるが、奉げられる者(犠牲)とは、主が最初の弟子に「人間たちの漁師にする」と言われたその「人間たち(異邦人?)」である。
2)結びとして;キリストのからだである教会を立てる。神の家の建築素材であるキリスト者そして、聖化としての聖霊の活動への参与。その具体的表現は、状況によるので、予め固定することはできない。不断に進化して行くべきものである。

2010年6月5日土曜日

自伝的回顧

a)マリア会
1789~1795フランス革命
1797年スペイン亡命
1800年帰国
小会→コングレガシオン→修道会
b)1947修練院・48初誓願・52終生誓願・58司祭叙階
3部門制:教育修道士、労務修道士、司祭修道士
もう一人のイエス→マリアへの孝愛→無限定使徒活動(福音化)
初等教育・中等教育(大学)←時勢の必要
c)影響:
モデルニズム1908年ロワジ破門
シムラー総長
「レールム・ノヴァールム」レオ13世1891.5.15
「クァドラジェジモ・アンノ」ピオ11世1931.5.15
「わが理想」
W.フェリー「social justice」
コンガール Jalons pour une theologie du laicatみちしるべ
ヴォワヨームVoillaume;Au Coeur des Masses. Petits frères de Jesus

2010年5月21日金曜日

絶対無

人は、絶対無を考えることができるか。無は、知性の直接の対象とはならない。無は、ensの否定として間接的にのみ知性の対象となる。ensの否定は、絶対ではありえない。したがって、絶対無を考えることは不可能である。ちなみに今考えている絶対無は、相対無を絶対とみなすフィクションに他ならない。

2010年5月20日木曜日

靖国神社

以下は、畏友 棚橋信之氏の『靖国神社』に関する「論文」です。
この問題をひとつの宗教問題として考えるとき、貴重な参考意見となるでしょう。
あえてコメントをつけずそのまま、著者の許しを得て、転記しました。
(引用)

 『正論』篇集部 御中
H. 17(2005). 7. 20
credo99@iamas.ac.jp
http://homepage.mac.com/credo99/public_html/
http://homepage.mac.com/credo99/iMovieTheater8.html

棚橋 信之

1. 緒 言 
去る 7 月 10 日に、靖國神社元宮司・松平永芳様が幽界に旅立たれました。謹んで故人への慰霊と鎮魂の祈りから、靖國神社前宮司・湯澤貞氏のインタビュー記事の「靖国の言い分、英霊たちの声(『正論・八月号』)」に対して、小生、忌憚なく意見具申をいたします。奇しくも、本日は、御霊前の「十日祭」を迎えました。宜しく、ご査収下さい。尚、論拠としては、論文「誰が御霊を汚したのか 『靖國』奉仕十四年の無念」(http://homepage.mac.com/credo99/public_html/8.15/tono.html)と松平様との思い出から筆を執りました。
2. 論 壇
「A 級戦犯」合祀の経緯
P. 48 湯澤・前宮司曰く、「靖国神社は、明治維新以来、国のために殉じた(後略)」と。
→靖國神社は、明治維新より遡ること、嘉永 6(1853)年「ペリー来航」以来の幕末からの殉国の御霊(みたま)を英霊として祀られているはずではないでしょうか。
P. 49 湯澤・前宮司曰く、「(靖国神社国家護持)法案成立の可能性がなくなったことで、逆に『A 級戦犯』合祀の環境が整ったわけです」と。
→両者には因果関係があるとすれば、『靖国神社国家護持法案』が成立すれば、「A 級戦犯合祀」されなかったと云うことになり、論理的に二律背反に陥るでしょう。もとより、明治 2(1869)年、明治天皇の大御心による東京招魂社のご創建以来の「神社名」や「神社建築」や「神社祭式」の有名無実化を立法趣旨とする同『法案』は、「断固、受諾できるものではない」と松平・元宮司は反対しておられました。どうして、「『靖国神社国家護持法案』成立の可能性がなくなったことで、逆に『A 級戦犯』合祀の環境が整ったわけです」と断言できるのでしょうか。寧ろ、両者に於いて並列的な論点であると考える方が妥当ではないでしょうか。
国民合意の政府見解は変わったか
P. 50 湯澤・前宮司曰く、「昭和二十八年には遺族援護法が改正され、『戦犯』として亡くなった方、法律で言うところの『法務死』『公務死』された人たちの(後略)」と。
→さらに、松平・元宮司は「A 級戦犯合祀」の実質的な根拠として、我が国は昭和 27(1952)4. 28 の『サンフラシスコ講和条約』の発効までの占領下に於いても国際法上では戦闘状態であり、「東京裁判」での処刑は「戦死者」となり合祀対象となることを挙げられておられました。当時の社内では、「昭和殉難者」との宮司通達までが出されました。加えて、「『全て日本が悪い』と云う東京裁判史観の払拭がされないかぎり、日本の精神復興はできない」とのお考えも示されておられました。
一年かけて御祭神となる御霊
P. 51 湯澤・前宮司曰く、「靖国神社の御神体は御太刀で(後略)」と。
→神社の御神体を公言することは、少々、憚れるのではないでしょうか。一方で、時局柄、懸念材料としてご神体の御太刀が「軍国主義の象徴」のイメージを助長はしないでしょうか。
P. 51 湯澤・前宮司曰く、「(前略)この合祀祭の時に靈璽簿に戴いている御霊がこの御神体に移り御霊から神霊になります。少々簡単に申しますと魂が神になるわけです」と。亦、P. 52 湯澤・前宮司曰く、「靈璽簿は一年間、本殿の中に置いておきます。靖国神社の御神体は刀で、一年間本殿にお祀りしている間に御霊がこの御神体に移ります。ですから合祀祭で本殿に持ってきた簿冊には御霊がついているわけですけれども、一年経つともうそれは空(から)になっていて靈璽簿奉安殿に戻しますが、御霊は本殿に残るわけです」と。
→大東亜戦争の終戦後、昭和 20(1945)年 11 月 19 日に、靖國神社では、昭和天皇の行幸により臨時大祭として「大招魂祭」が齋行されました。これは、敗戦と云う国家の存亡に関わることから御霊の招魂が危ぶまれる故に、今後も、合祀されるであろう「不特定多数の英霊」を招魂して相(あい)殿(どの)に祀られまし。その後、所定の合祀基準により「祭神名が特定」されたことを受けて、本殿・正面の正床(まさゆか)の御神体にお鎮まり給わると云う「靈璽奉安祭」が執り行われてまいりました。然るに、もう既に「英霊」と云う神格が賦与されていると理解をすべきではないでしょうか。湯澤・前宮司の述べられた「魂が神になるわけです」、並びに「(靈璽簿)簿冊には御霊がついていて、一年間本殿にお祀りしている間に御霊がこの御神体に移る」と云う解釈は、「大招魂祭」の歴史的経緯とは合致し難いと考えられないでしょうか。寧ろ、これは「湯澤神学」の提唱ではないでしょうか。

「約束」の参拝に来なかった橋本元首相
P. 53 湯澤・前宮司曰く、「(小泉首相の昇殿参拝が)(前略)先導した者だけにしかわからいけれども、一拝だけでも構いません。(中略)お参りの形式は問いません」と。
→それでは、去る昭和 60(1985)年 8 月 15 日の終戦記念日での中曽根・元首相の「非礼参拝」を追認をされたのでしょうか。もとより、当時の中曽根・元首相の「自称・公式参拝」では、「手水を取らない」、「祓えを受けない」、「玉串を奉りて二礼二拍手一拝の拝礼をしない」でもって昇殿参拝を押し切ってこられたことに、松平・元宮司は「辞表提出」の対抗手段を以て、断固、阻止せんと出処進退を架けられました。また、松平・元宮司が「政治権力との癒着を後任に戒め、私は職を離れた」とおっしゃられた申し送りをも、湯澤・前宮司はお忘れになられたのでしょうか。
皇室の御心は
P. 55 湯澤・前宮司曰く、「『A 級戦犯』合祀の際も(『上奏簿』が)提出されていて、皇室は合祀を御承知だった。それでも、『A 級戦犯』が合祀された昭和五十三年十月の例大祭に勅使が来られています」と。

→「天皇陛下の勅裁と勅使御差遣(ごさけん)で英霊の合祀をしている」と云う靖國祭祀の根幹をなす発言で、ことに及んで「A 級戦犯」合祀が物議を醸し出している時局柄、その言動には慎重を要するものではないでしょうか。意に反して、これは天皇陛下の靖國神社に親拝への配慮に欠ける発言でもあると取られないでしょうか。
英霊の言葉
P. 55 湯澤・前宮司曰く、「(遊就館(ゆうしゅうかん)の大改修が)、御創立百三十年(平成十一年)の記念事業です。非情に自虐的な偏向した歴史観が広まってしまった中で、(中略)『近代国家成立の為、我が国の自存自衛の為、さらに世界的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった戦いがあった』ということです」と。
→松平・元宮司は、戦後、防衛庁防衛研究戦史室(h t t p : //www.nids.go.jp/about_us/)に勤務されておられたときから、宮司在任中、昭和 61(1986)年の遊就館再開に到るまで、「後世に残る『史料』の収集と整理の重要性から歴史観に言及するものではない」ことを、首尾一貫、理路整然と明言されておられました。その意味で、此の度の遊就館大改修は、靖國中興の祖、松平・元宮司の思召しに叶うものでしょうか。
翻って、日本共産党機関誌の『赤旗(日曜版 16 面・2005. 6. 26)』では、今日の遊就館を戦争博物館として「我が国の自存自衛の為が、アジアとの違和感」とも特集記事にしておりますことは、甚だ心外にして遺憾ではないでしょうか。
3. 結 語
以上の意見具申は、偏に靖國神社での「松平イズム」の復権を庶幾(こいねが)う一心からです。松平様の宮司として「私心(わたくしごころ)なきご奉仕」の縉(しん)紳(しん)の士たるお姿に感銘を受けた者としての素直な気持ちを述べさせて頂いただけで、何ら他意はございません。
もとより、敗戦後の我が国では「建軍の本義のある国軍」の復活もないままでいることが、徒に翻弄され「靖國問題」や「憲法九条問題」にも誤解が誤解を招く迷走状態にある、根本原因ではないでしょうか。
ことに靖國神社は、戦後六十年間、国からの援助を受けることなく単立の宗教法人として存続できたのも、まさに全国のご遺族と戦友からの真心の籠められた崇敬と浄財によるものです。その意味で、松平・元宮司のおっしゃられた「靖國神社は、国民総氏子の崇敬を拠り所にする神社」であることを鑑みるに、境内に高齢となられたご遺族と戦友の方々もお迎え出来る「介護福祉施設やホスピス」を建設して、これまでの格別のご高配に対しての恩返しをなされては、如何なものでしょうか。もはや戦没者遺児と雖も六十歳を越えておられます。もう既に亡くなれた方々も多く、遅きに逸しているとも云えましょうが。九段の鎮守の杜に鎮まります御縁(みゆかり)深き御霊のお傍近いところで平安な老後をお迎え頂くことにご奉仕させて頂くことは、無垢な宗教家としての務めではないでしょうか。
そして、今でも地球上で戦争災禍や貧困で苦しみ悲しんでいる四海(しかい)兄弟(けいてい)に愛の手を差し伸べることも、同じく宗教家としての崇高な務めではありませんか。戦争は勝っても負けても悲劇であることに変わりありません。モーセの『十戒』をひも解くまでもなく、「殺生は罪」です。靖國神社の宮司が「ノーベル平和賞」の候補に挙げられれば、前段のことと合わせて、一気に「靖國問題」の解決の途が開けるのではないでしょうか。靖國神社が全人類への慈愛に満ちたミッションを果すところに、近未来の靖國神社のヴィジョンが見えてこないでしょうか。英霊のご神慮にも報いるものではないでしょうか。畢竟、所謂「国家神道」からの自らの呪縛解放にも繋がるでしょう。九段の杜の靖國の祈りとは、永遠(とわ)の平安ではないでしょうか。
天地(あめつち)の神にぞ祈る朝なぎの
          海のごとくに波たたぬ世を  

昭和天皇御製
(引用終わり)



2010年5月7日金曜日

分別知

Ensを認識している知は、いわゆる分別知である。主・客の分立を前提としている。したがって、ensの否定は、無であり、それは有に対立している。有があっての無であり、無を考えての有である。しかし、「神はある」と言うときの知は、智慧であって、分別知ではない。したがって神は無と対立しない。ただただ有のみ。いわゆる「無神」は、考えられない。神は、禅の悟りである。

2010年5月4日火曜日

思索出発点

あらゆる思索の出発点は、結局「なぜ」であろう。これは、自明であって、分析はできるが、証明はできない。その必要もない。この点をラテン語でensと表わす。ラテン語による理由は、この言語がほぼ1千年にわたって日用語としては使用されずもっぱら記号的に用いられてきたため、内包の変動が比較的少ないからである。Ensは、動詞esseの現在分詞であるため、用言的要因と体言的要因を共有しているため利便性に富んでいるからである。こういう意味で思索の出発点をensという語であらわすことにする。Ensは、「なぜ」という働きを示すとともに、その働きの主体をも示す。

2010年4月12日月曜日

4月11日第2主日

ヨハネ20:19-31
今日のペリコーペは、「ヨハネ」の終結を為す。現在は続いている21章は、ヨハネ共同体の誰かが「ヨハネ」を敷衍する意味で書き加えたのであろう、と云うのが有力な仮説である。この説を認めるなら、御父の御子ロゴス讃歌で始まった「ヨハネ」を閉じるに真にふさわしい「わたしの主、わたしの神」と云うイエスが神であるとの信仰で終わる。「主」とは、当時のイスラエル人がヤハウェ神を指した言葉である。恐らくこれは、意図された構成である。この意味で、「ヨハネ」は、神であるキリストへの信仰告白であり、神学的論文である。この文脈の中で「見ないのに信じる人は、幸い」との有名な格言がイエスの口を通して告知される。これは、病気癒しやパンの奇跡を求めてイエスを追い求めた民衆の態度を批判すると云うより、信仰の本質とは何かを言わんとするものである。アキノのトマスは、信仰(正確には信徳)を規定して神を直接の対象とする三対神徳の中の一つであり、知性を主体とする天賦の能力・力であるとした。トマスは、信仰を分析して信仰対象(不完全なりに「神は○○」と言い表わすことができる)とこの対象を捉えるためのいわば手段としての信仰根拠(信頼)とを区別し、後者を「信仰の光」と呼んだ。つまり、信仰とは、知性の対象としての神とこの対象を見ることができるようにする光であって、両方とも神の無償のたまもの恩寵として同時に与えられると言う。ヘレニズム哲学の枠内での定義・規定としては妥当だと思われるが、果たしてイエスが言われる「信仰(pistis)」と等しいと言えるだろうか。少なくとも現在使われている意味で、イエスは、哲学者でも、神学者でもなかった。イエスの目指したのは、誰でもの救いであって、理論の教授ではなかった。教えることが必要だとしたら、それはただ救いのために必要とされる限りにおいてである。従って、アキノのトマスが知的対象の把握に重点を置いたのに対して、イエスは、むしろ信仰の根拠、動機を重視した。知的対象を重視することは、形式論理的な正・誤に囚われやすくなるのに対して、信仰動機を重んじると情動的な深浅が評価されることになる。勿論、いずれの場合も本質は神の無償の恵みであって、人為的に左右できることではない。
さて、信仰の光は、主体としての知性つまり認識能力に与えられる。知性を照らすものであるから自ずと理性的な要素が協働する。理性は生得の能力であるから独力で様々な合理的要素を整えることができる。こうして、恰も富士山の裾野のように信仰(の光)の周辺に理性的な分野が形成され、トマスは、これを信仰の前兆・導入部(praeambula fidei)と呼び理性による検証が可能であるとした。イエスがこのような分析をしたとは思えないが、「見ないで信じる」もしくは「見て信じる」と云うのは、トマスの云う信仰の根拠に相当し、それは、まさに神へのゆるぎない信頼を意味する。「見る(見ない)」とは、信仰の前兆に相当し、具象的にはイエス自身とその業、吾々が「奇跡・しるし」と呼んでいる事柄である。このような奇跡は、それ自体人間に都合が良いものであるから、信仰の前兆であるのに、かえって信仰の妨げとなりかねない。パンの奇跡に与った人々の内どれだけがイエスの言う信仰をもつにいたっただろうか。しるしとしての人間イエスの復活体を見たから神に信頼するのでは、見なければ信頼しなかったかもしれない。その意味で、いわば信頼の度合いが低いのかもしれない。これに反して、「見ないで」信じるのは、無条件の絶対的信頼を意味するからまさに「幸い」なのである。信仰の前兆は、簡単なものでなく、人間と云うものが複雑である程度に応じて複雑である。理性で明確に解明できるものから、理性の光の届かない深淵に及ぶものまでさまざまである。ただし、原理的に、前兆が信仰をもたらすことはなく、もしもたらされたとしたらそれは神の無償の恵みの結果である。現在の吾々にとって信仰の前兆(たとえば奇跡)は、大切であるが、それにこだわると、真の信仰、つまり神への絶対信頼を落としてしまうかもしれない。その結果信仰の対象に注目しすぎて、正信だとか、誤りの信仰だとか、正統だ、異端だとこだわって肝心の神への帰依を失いかねない。大神学者が必ずしも信仰の人でないのがこのことを示している。