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2010年5月7日金曜日

分別知

Ensを認識している知は、いわゆる分別知である。主・客の分立を前提としている。したがって、ensの否定は、無であり、それは有に対立している。有があっての無であり、無を考えての有である。しかし、「神はある」と言うときの知は、智慧であって、分別知ではない。したがって神は無と対立しない。ただただ有のみ。いわゆる「無神」は、考えられない。神は、禅の悟りである。