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2010年1月28日木曜日

マリア論01

カトリック神学において、聖母マリアに関する神学、つまり、「マリア論」と呼ばれる神学の分野は、それだけで完結した独立の神学ではなく、飽くまでも「キリスト論」の中の一分野として考察されねばならない。それ故、常にキリスト論の「枠内」に留まらねばならないが、それは、マリア論が消極的な学問であると言う意味ではない。いわば、キリスト論を最終目的とした上で、固有の方法論と作業とによって、マリアに関する神秘の意志を積極的に深く理解し、できる限りこれを実践に活かすように努めるのが吾々のマリア論の主旨である。 それ故、マリア論の出発点は、神秘からの啓示の真理、特にキリストについての啓示の真理であり、また、その到達点も同じく啓示の真理である。マリア論は、決して「新規な」教義を創り出すことを目的とするものではない。しかしながら、教義を創り出すことと、啓示の真理を新しい側面から眺め直すこととは、必ずしも同じ事ではない。この意味で、マリア論が、真理の新しい側面を、それぞれの時代の人々の理解力に適した形で新たに明らかにするのは、当然の作業である。時に、マリア論が新しい教義を推進しているかのように見えるのは、このためである。