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2010年11月22日月曜日

未来の教会

現在、カトリック教会は、組織として行き詰っていると思われます。打開策の一つとして聖母田社方式を提案します。ご検討のほどを。

2010年8月17日火曜日

遅れ咲きの弁

うのていをさんが、今回博士号を取得され、その機会に一文を「愛知宗教者九条の会ニュース」15号に寄港されました。以下にそれを転記します。

(引用はじめ)
この三月に、私は聖トマス大学から宗教文化の博士号を授与されました。学位それ自体は大した手柄でもなく、むしろ五〇年も遅れたという慙愧の産物でしかありませんが、考えようによっては、七六歳でもまだやれるという実例になったことが、唯一の取り柄でしょうか。
はじめはトマス・アクィナスの存在論そのものをテーマにしようと思ったのですが、それは五年や一〇年ではものにならないことが分かり、「自由」に焦点を絞って、「自由の存在論的根拠について」をテーマにしました。ところが調べてみると、トマスはその著述の中で自由(libertasまたはliberum arbitrium)という言葉を千か所以上も言及しています。その全部に当たるのは、大変な作業です。そこで範囲を『神学大全』に絞りましたが、それでも三百か所はあります。
さらに、トマスの自由論だけではいかにも単調なので、何かとの比較を持ってこなければと思い、トマスに匹敵する大思想家と言えば古代ではアリストテレス、近代ではカール・マルクスだろうということで、マルクスの自由論との比較、という形で考察を進めました。
ここで実は、学会の固陋との闘いがありました。マルクスに対する根強い偏見もさることながら、マルクス側でも、たとえばmaterialismを「唯物論」と訳して平気でいますが、私はこれは重大な誤訳だと思います。materiaの意味を創造論やギリシャ自然学まで遡れば、それを「唯物」と訳すのは、極めて狭い意味に局限してしまい、そのことが今でも不毛の論争の種になっています。この訳語は改めなければなりません。古代中世哲学で一般に用いる「質料」という訳語が、むしろ正しい意味に近い。materiaは元々mater(母)から派生した言葉です。そのニュアンスが現代人の意識から全く失われています。
ともあれ、トマスの思想は十億人の信者を擁するカトリック教会の頂上にあるものであり、マルクスのそれは同じく十億人の人口の属する社会主義諸国の指導的思想です。かつでは、両者は没交渉というより、むしろ敵対的な関係とおもわれていましたが、それは偏見・誤解だという認識が段々に広まってきました。とくにカトリック圏の中南米諸国を中心に「解放の神学」が台頭し、(それもまだ毀誉褒貶、評価が定着していませんが)、ようやく一致の機材が少しずつ見えてきました。
カトリシズムとコミュニズムが二十一世紀に大きく接触することは、避けられない情勢です。その場合に、二つの潮流が「真理と愛」に基づいて友好的に接触するか、それとも昔の偏見のまま対立的な姿勢に固執するかは、真理の実りが豊かになるか不毛に終わるかの分岐となるだけでなく、世界平和にとっても大きな影響があります。
トマス・アクィナスとカール・マルクスとをどのように架橋するかは、単に思想界の問題だけでなく、人類の未来そのものにも関わる重大問題である、と私は考えています。

2010年7月1日木曜日

三願転入

親鸞上人が絶対他力の信に至ったプロセスを述べたものだと言われます。「願」とは、法蔵菩薩(=阿弥陀如来)が立てたとされる四十八願のことです。要するに、自己の願が叶えられなければ決して仏とはならないと誓願したわけですが、その第十九願には、仏道に入って修行を積んだ人たちが臨終に成仏しないなら法蔵菩薩は、決して仏とはならないという誓いが述べられています。つまり自力による成仏の宣言です。しかし、親鸞上人は、この段階を去って、第二十願に転入します。この願は、法蔵菩薩の名号を聞き、念仏を唱えるなら必ず成仏する。もしそうでなければ、法蔵菩薩は決して仏とはならないと言う誓願です。しかし、親鸞上人はさらにこの段階を去り第十八願の段階に転入します。第十八願は、四十八願の中でも最も有名な願で、「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。」と言うのです。念仏を唱えて救われるなら、念仏は自力の業とはならないでしょうか。念仏にはまだ人間の計らいが残っていませんか。上人自身の信が実際にこのように進展して行ったのかどうか分かりませんが、一般的な流れとして、自力の仏教から、念仏を唱えることによる成仏、最後に、念仏自体が成仏の条件とされることを拒む絶対的な他力、すなわち阿弥陀如来が無条件に人間を救い取ってくださるとの信に至るプロセスです。このような「信」を普遍化してイエスに対する私たちの信にも言えないでしょうか。最初はクリスチャンとしていただいて熱心に信仰に励みます。しかし励めば励むほど自分の無力を痛感します。後は、聖母や諸聖人にひたすらお願いするわけですが、イエスの方からは、「わたしが来たのは罪人の救いのためである」と恰も罪人であることが神の子の限りない慈悲を頂くための条件であるかのようにも受け取れる、救いの源泉はすべてイエスである、との絶対的な帰依に至るのです。親鸞上人が、十九願、二十願を否定して十八願に至ったと言うよりは、それぞれを止揚して絶対信に至ったように、わたしたちも教義や信心をアウフヘーベンしてイエスの絶対信にすべてを委ねるのです。まさにイエスは、神ご自身なのです。

2010年6月13日日曜日

愛知県(名古屋市内を除く)の教会遍路紀行(1)

愛知県(名古屋市内を除く)の教会遍路紀行(1)

1:長浦教会
寒さと雨が残り、土日の連日とも好天の日が無かった今年(2010年)であったが、5月1日・2日にチャンスが巡ってきた。
準備してあった計画書に基づき、リュックを背負い、5月1日(土)5時20分に家を出て、名鉄名古屋本線「前後」駅へ向かう。駅前の駐車場へ車を停め、駅舎への階段を昇る。出札口で、名鉄電車全線に連続2日間乗り降り自由の「2Daysフリー切符(3800円)」を求めて、ホームへ降りる。ナップザック1つ持った軽装の若者や、海外旅行へ向かうのかキャスター付きの大きなケースを引っ張った若い女性等数人が、電車の到着を待っている。
文字通りの五月晴れ、快晴である。予定の5:50発「佐屋」行き急行が到着。ゴールデンウィークとあって、早朝ながら国内・国外への行楽目的と判る乗客で50%程度の混み方でも着座できた。「鳴海」・「堀田」に停まり、「神宮前」へ6:02到着。
階段を昇り、3番線へ移動、6:16発「中部国際空港」行き特急の3号車(一般車)へ乗車。航空機利用の乗客でほぼ満員である。「太田川」まで扉を入ったところに立つ。電車はノンストップで、6:25「太田川」へ定刻到着。
乗り換える普通電車は同じホームの向かい側へ入るので、待合室で待つ。程なく、6両編成の普通電車が到着したが、この電車は前4両が河和線の知多半田行き、後2両がこれから乗る常滑線の「常滑」行きであるが、まだ扉を開けないので、待合室でそのまま待つ。
降りた側の線に神宮前後発の中部国際空港行き急行が入線し発車して行き、普通電車利用客の乗り換えを待って、6:36発知多半田行き前4両が発車して行くと、後寄りの2両が少し前方へ移動してから、扉が開き、乗車する。広い車内に乗客は数人である。6:37発「常滑」行き普通電車は「尾張横須賀」・「寺本」・「朝倉」・「古見」の各駅に停まって、6:47「長浦」に到着。
地図を基に想像していた風景は右手が海水浴場で、ホーム左前方に開けた広い土地があり、そこに長浦教会があると云うものであったが、実際にホームへ降り立つと、前方に自動改札があり、これを通り抜けると、辺りは住宅が密集しており、右手は埋め立てられた工場街、左手は住宅の中を登りの急坂が延びている。
とりあえず急坂を登ってみると、右手民家の隙間から高い丘の上に「聖母幼稚園」の大看板が見え、「ああ、あんな上なんだ。」と判ったものの、その場所からはどうやって行けばよいのか見当もつかない。
そのまま、急坂を登り、次の道を右折して見ると、空色の手すりが付いた、急な石段があり、とりあえず昇ってみる。と、「カトリック長浦教会」の看板が目に入った。教会の外観写真を撮影後、お御堂入口へ向かうが、施錠されている。司祭館の場所も判らないので、ベンチに座って、祈りを捧げ、念のために、電話すると、司祭が居られ、「今、開けます。」との事。暫し待つと、東南アジア系の小柄な司祭が出てこられ、「先週来られるかと待っていました。」の由。確かに電話し、お伺いするかもしれないとは申し上げたが、確約はしてない積りであったが、謝罪し、用意し持参した「ご応対者ご記帳表」へ記帳頂き、お御堂を開けて頂いた。記帳には、「Fr.Bija Kizhakkel SVD(ビジュ)」と記されたがご出身は不明である。
写真撮影を終えて、若干遅れ気味なので、再び急な階段を降り、急坂の道を下って、長浦駅へ戻る。降りた駅舎へ入ると、こちらは常滑方面行き専用で、太田川・名古屋方面は線路の向こう側へ渡らなければならないのである。近くにいた女学生に「向こうのホームへはどこから行けばいいの?」と聞くと、おかしそうに笑いながら、「そこの踏切を渡って線路を越えて行けばいいんですヨ。」と云う。まだ判らないわたくしに、「そこに踏み切りがあるでしょう?」と指さす方をよく見ると、線路わきの柵に人が一人通れる位の小さな切れ目があり、踏切標識らしいのが立っている。礼を言って進んで見ると、「なるほど踏切ですねえ。」と言える構造にはなっている。もう少し案内表示を明確にするとともに、電車の接近通過の時の安全に対する工夫が要ると感じた。
ここで、本日最初のトラブルに見舞われた。昨日満充電にした筈のデジカメの電池がカラカラになっているのだ。実は太田川方面行きホームから「聖母幼稚園」の大看板が良く見えるので撮影しておこうと思った事で判明し、東海教会へ向かう前に乾電池を仕入れなければならない事を知って、むしろ幸運だったのである。
記憶を辿ってみると、終戦後、海水浴と云うと、この辺りから南が海水浴場で、古見・長浦・新舞子・大野等は荒い砂と石ころが多いながらも、白砂の海岸と松の防風林が線路際まで迫っており、駅から近かった。この長浦駅前の海岸には大きな蛸のモニュメントがあった。シーズンには、脱衣小屋や貸しボート・貸し浮き輪もあり、沖合には、飛び込み台まであって、海水浴客がひしめき合っていたものである。その海岸が埋め立てられ工場群に替わってしまったのは、経済発展に寄与したとは言え、自然破壊の典型だとも言える。
「長浦」発7:30の「太田川」行き普通電車も2両編成でガラガラである。来る時と逆コースで各駅に停車し、「太田川」へ7:40に到着した。

2:東海教会
「太田川」の西出口へ出て、コンビニで単4乾電池を求めたのだが、2ヶで340円は一般の電気店に比し随分高いと感じた。4ヶ必要なので、癪に障ったが、「随分高いんだね」と嫌みを言いながら680円で求めてデジカメに装着する。約10分のロスタイムが生じた。さらに、折から、太田川駅の高架駅舎と東口の整備が行われており、西口前の道路も整備工事が行われている。併せて駐輪場や駐車場が新設され、様子が変わっており戸惑う。
バスターミナルを抜け左折、247号線の「大田町」信号交差点を左折し、500m程進み、右手の愛知トヨタと地続きになっているトヨタレンタリースの次の広い道を右折、最初の十字路を左折し、短い坂を登ると右手に「東海教会」が現れる。駅でのロスタイムがあったので、ここまでの道中で祈りを捧げておいた。
司祭館の前には、「福信館」と書かれた車があり、扉が開いていたので、インターホンのボタンを押すと、小柄な司祭が出てこられたので、署名を頂き、お御堂撮影の許可を得る。この竹谷神父はホームレスの人達の面倒を見ておられる由、親友の大島恭子さんから聞いていたが、お顔を拝見して数年前のクリスマスの司教ミサの折、ヒッピーのような服装で寄付を求めておられた方だと気付いた。この後のスケジュールの事もあり、挨拶もそこそこに、お御堂内の写真撮影を済まして、太田川駅へ急ぐ。
かなり早足で歩いたものの、数分の事で予定の急行に乗り損なってしまった。5分後に出る太田川8:20発の「内海」行き普通電車に乗車。次の目的地「住吉町」まで、「高横須賀」・「南加木屋」・「八幡新田」・「巽ヶ丘」・「白沢」・「坂部」・「阿久比」・「植大」・「半田口」の各駅に停まる。おまけに、阿久比では河和行き特急を待ち合わせるので、「住吉町」へは予定より16分遅れの8:35到着となってしまった。

3:半田教会
「住吉町」駅ホーム先端のスロープを下り、自動改札を過ぎ広い道に出て踏切を渡り150m程進むと「出口町」信号交差点に出る。そのまま直進すると、登校する高校生が足早に追い越して行く。わたくしも急ぎ足なのだが、若者には負ける。「出口町」から200m程先に「半田高南」信号交差点がある。先程の高校生もこの半田高校の生徒であろうか。
この辺りから長い登り坂が400m程続き、「柊町3東」信号交差点に出る。ここを右折し800m弱ひたすら歩いて「柊町4」信号交差点に到る。この信号を渡ってから左折し、さらに200m程進み、信号から2筋目の道を右折して直ぐ右手に「半田教会」がある筈だが、それらしき建物が見えない。丁度右折した角の家に子供がいたので、「ここらに、教会は無い?」と尋ねると、「うん、直ぐそこにあるよ。」と教えてくれたので、間違いなかったと歩を進めると、最初の道をさらに右折したところに「半田教会」が姿を現した。
ここでも聖堂写真とお御堂内の撮影を終え、年配の谷川司祭に署名を頂き、引き返す事にする。交通手段を聞かれたので、徒歩の旨ご返事すると、車で送るとのご親切なお申し出があったが、遍路ですからと丁重に辞退し、来た道を住吉町駅へ急ぐ。実は約半年程前までは、知多半田駅から本数は少ないが、知多バスが走っていたのだが、採算が悪いために廃止されてしまい、この長距離を歩く仕儀となったのである。
下り坂とは言え、急ぎ足が時折もつれ、転倒などしてはみっともないと、慎重さは失わぬ様気を付ける。予定の電車にぎりぎりとなり、焦って、踏切まで来ると、幸いな事に太田川方面のホームは踏切の手前であり大いに助かった。トイレに寄ってホームへ立つと、直ぐに電車の入線である。「住吉町」発9:39の「金山」行き普通電車に乗車、空いており充分着座できた。「半田口」・「植大」に停まり、「阿久比」へ9:45到着。ここで、後続の9:47発「名古屋」行き特急に乗り換え、先頭車に乗車し着座。途中「太田川」と「神宮前」のみに停まり「金山」へ10:08に到着。西口の階段を昇り、JR・名鉄の連絡改札口を通って、JR東海道線ホームへ向かう。なお、JRの金山~刈谷400円は「TOICAカード」を使用。「金山」10:21発の新快速豊橋行き最後尾の車両に乗車、途中「大府」のみに停まって、「刈谷」へ10:35に到着する。

4.刈谷教会
「刈谷」駅改札を出て左方向の名鉄側へ進み、名鉄改札前を素通り、右手のエレベータで地上へ降りる。最近整備された駅前駐車場を通して見える右斜め奥へ延びる道を進み、「南桜町」「市民会館前」信号交差点を過ぎ、次の道を右折すると、「刈谷教会」。
駅からの距離約600m。比較的自宅から近くにあり、勤務先であったデンソー本社からも目と鼻の先にありながら、一度も訪ねた事のなかった教会である。暁星幼稚園を持つ想像以上に大きな教会に改めて驚いた。写真撮影等済ませた後で、司祭館を訪ねると、若い男性が顔を出したので、署名をお願いしようとしているところへ、東南アジア系(後に矢切庵主に確認したところインド人であった)で小柄なフィリップ神父が出てこられ、署名をお願いした。(修道中?、鳴海教会の矢切庵主こと石脇神父の教え子であった由。)神父からお茶をどうぞと勧められたが、先のスケジュールがあるからと、お断りしたのだが、「ちょっと待って。」と中へ入られたので、若い男性に丁重にお断りするとともに、神父によろしくと言付け、逃げるように来た道を急いだのだが、半田教会までの道中続けてきた小走りと早足の疲労が残り、思うように足が進まず、名鉄刈谷駅の改札口を通るところで予定の電車に逃げられてしまった。幸い、三河線は15分間隔の運行なので、安城で予定した昼飯を返上する事にした。「刈谷」発11:23の「知立」行きに乗車、空いている。途中「重原」に停まって、「知立」へ11:29に到着。階段を下り、地下道を抜けて6番線へ急ぎ、11:33発「東岡崎」行き普通電車に乗車、途中「牛田」に停まって、「新安城」へ11:39に到着。

5.安城教会
ホーム後方の階段を下り、地下道で南口へ出る。駅前から右手の道を進み信号交差点を右折、「八千代病院」の案内矢印の方向へ進む。左手に大きな工場のコンクリート塀が続く。300m程先の信号交差点を左折し、左手に「八千代病院」を見ながら300m程進み、「住吉町7」信号交差点を右折して進むと200m程で「安城教会」に到着。
3年程前、親友の大嵜順弘が北米で死去し、現地で葬儀後、所属教会のこの安城教会で追悼ミサが立てられた折、始めて訪れたところである。当時はガランとしていた教会前の駐車広場が満車状態で、お御堂では、東南アジア系の人達が活発な集会をやっている。邪魔にならぬように、写真撮影と100円献金を済ませて隣の広間へ退出し、そこに居られた司祭に署名をお願いしたついでに、「お御堂はなにがあるんですか?」と尋ねると、「家族の勉強会。」との返事。この司祭も小柄な東南アジア系で、「デメロ・アンセルモ」とカタカナで署名してくださった。お御堂での祈りができなかったので、駅へ向かう途中で、歩きながら捧げた。駅周辺で軽食を採れそうな店も無さそうなので、東岡崎へ着いてから時間を見て、採る事にして「新安城」駅へ来て見ると、丁度12:16発の「豊橋」行き急行が入ってきたので、乗車し、「東岡崎」までノンストップで12:22に到着。
途中で渡った矢作川鉄橋下の河原ではしじみ採りなのか大勢の人がしゃがみ込んで砂を掻いていた。また、岡崎公園前通過時には桜のシーズンが終わっているが、行楽客で結構賑わっていた。

6.岡崎教会
「東岡崎」北口を出て、とりあえずバスターミナル④番のりばで「芦池橋」を通るバスの時刻を見ると頻繁に出ているので、とりあえず、軽食を採る事にして、駅周辺を見渡すが、適当なのがないので、少し歩いてみると、うどん屋があったので、飛び込む。メニューを見るのだが、最近の流行で、定食が多い。店員に「天ぷらうどんの単品は無いのか」と聞くと「できます。」と、ぶっきら棒に応える。「バスの時間があるから早く頼むぞ。」と云うと、「順番ですから・・。」と。気に入らん応対だ、と思いながら待つと、結構早く運んできた。急いで掻き込んだ割には結構美味であった。580円也を払ってバス停へ急ぐ。12:57発の「福岡町」行き名鉄バスに整理券を取って乗車。始発ではないので、先客でほぼ満席だったが、幸い先頭の席が一つ空いており、着座できた。バスは渋滞等もなく、13:02「芦池橋(あしいけばし)」バス停へ到着。180円支払いバスを降り、地図で確認してあった道順に従い、バス停後方の道を入ると、想像に反する急な登り坂である。オッチラオッチラ登っていくと、右前方の高いところに十字架が聳えて見える。長浦教会の時よりきつい勾配である。200m程登ると、右手石段上の駐車場を挟んで、さらに石段の上に「岡崎教会」の比較的大きなお御堂がある。駐車場の端に寄らないと建物の全体がカメラに収まらない。お御堂が開いていたので、中へ入り、祈りと撮影を終えてから、インターホンで司祭にコンタクト、署名を頂く。お若く見える島袋神父である。
岡崎教会を後にして、急坂を下り、バス通りに出て、降りたバス停とは反対方向へ進み、「芦池」信号交差点で道路を渡り、さらに進むと東岡崎方面行き「芦池橋」バス停へ着く。予定より早めで「東岡崎駅」行きの名鉄バスが来たので、整理券を取って乗車すると、今回も一番先頭の席が空いており、着座できた。左手一番前の席は、床下の車輪の所為か、1段高くなっているので、着座や降りる際、行動し難いため敬遠されているのかもしれない。5分程で「東岡崎」駅南口の方へ到着、180円支払い下車、改札へ行くと、予定より1本前の13:35発「豊橋」行き特急に間に合い乗車できた。
途中「国府」に停まり、「豊橋」へ13:56に到着。「豊橋」駅の改札はJRと名鉄で共用されている。改札を通り、トイレを済ませ外へ出ると、そこは地上から1階分高い駅前広場になっている。中央左手にある階段で地上へ降りると豊橋鉄道市内線の発着場である。既に1台の路面電車が入線して客待ちをしている。「豊橋駅前」14:10発「運動公園前」行きである。
この路線には、昔名古屋を走っていた市電を譲り受けた懐かしい車両が活躍していたが、数年前に大量に廃車され姿を消した様である。この路面電車は150円均一で乗車時に支払うシステムである。車内はガラガラ状態である。駅前を発車すると、広い道路中央に建つセンターポール架線の下をのんびり走りながら、「駅前大通」・「新田」・「札木」に停まり、広い十字路を右折し、「市役所前」に14:17に着く。

7.豊橋教会
「市役所前」電停の安全地帯から信号に従って歩道へ移動し、市電の来た方向へ一筋戻り、右折すると直ぐに「豊橋教会」がある。お御堂へ入り祈りと撮影の後、司祭館を訪ねると、女性がにこにこしながら現れ、「良くお越しくださいました。」と迎えられたので、署名を求めると、「神父様がおいでになりますから・・・」とファイルごと奥へ持って行かれたので、暫し待つうち、背の高い外人神父が顔を出され署名くださった。勉強中に邪魔をしたようであった。
教会はこじんまりした感じだが、勾配のきついトンガリ屋根のモダンな建物である。
来た道を「市役所前」電停へ戻り、電車を待つ。程なく到着した電車は試合帰りと云った風情の高校生でほぼ満員であったが、数人分の席が空いていたので、断って座らせてもらった。ちなみに、彼等はこの後、わたくしと同じコースを三河線まで移動していたから、スポーツ大会か何かに参加した豊田市辺りの高校生達だったようである。
「豊橋」駅へ15時少し前に着くと、「豊橋」15:02発「新鵜沼」行き快速特急に間に合った。豊橋へ来るといつも「やまさ」のちくわを土産に買うのだが、駅構内のキオスクにあるちくわは値段の割にごちゃごちゃと色々な種類を組み合わせてあったのと、発車時間までの時間的余裕が無かった事から断念する。

8.聖心教会
快速特急の後ろから3両目に乗車し、定刻に発車。途中「東岡崎」のみの停車で「知立」へ15:31に到着。ホーム後方の階段を降り、地下道を通って2番線へ移動し、三河線の15:35発「猿投」行きに乗車。「三河知立」・「三河八橋」・「若林」・「竹村」と停まって、15:53に「土橋」へ到着。
この沿線にはいろいろな思い出がある。わたくし達一家はわたくしが小学2年生から4年生の間、若林に疎開していたのだが、当時この沿線は一面の田園であった。竹村は終戦前日8月14日に、折から通過中の三河線電車に米軍艦載機P51が機銃掃射を浴びせ、運転手と乗客数人が即死する悲劇が起こったところである。既に敗戦が決まっていたにも拘らず最後の攻撃をする必要がどこにあったのかと、いまだに憤りを覚える。
「土橋」駅改札を出る頃には、脚と腰に疲労を覚えるようになってきたので、エレベータを利用して北口へ降りる。駅前駐輪場横の道を北へ向かい、155号線を左折して進む。往時の田畑が広がる風景をイメージしていたわたくしは、国道の両側に連なる店舗を含む家並みにいささか戸惑いながら歩を進める。500m程行くと「土橋小学校」の案内盤があり、そこを右折、緩やかな登り坂を200m程進むと左手に小学校があり、子供達の元気な声が聞こえる。休日のレクリエーションでもあるまいに、等と思いながらひたすら歩く。やがて、突き当った高岡街道を左折し、300m程で、東名高速道路を跨いで「清水町」信号交差点へ辿り着く。右手に「聖心教会」が姿を現す。
がっしりした立派な建物である。お御堂を出て司祭館で署名を頂き後で気付いたのだが、「鄭有結(名古屋教区)」とあるから、韓国人神父だったようだ。
教会から駅への戻りには、「清水町」から東名高速を跨いで直ぐ右折し、東名沿いの道を155号線へ出て左折した。若干近道になりそうに感じた。
駅と教会の距離は疲労の所為もあるが、予想よりも長く感じた。「土橋」駅手前の「土橋町8」信号交差点を右折すれば、近道のように思えたので、右折し進むと、駐車場で、通り抜け不可であり、やむを得ず引き返し、来た時の駐輪場横の道で駅へ着く。エレベータを使おうと思ったが、手前の階段横にエスカレータがあったのでこれを利用した。「猿投」行き電車が入線していたが、走る元気がないので、エレベータでホームへ降り、ベンチで15分後の電車を待つ。
「急がば回れ!」の実体験であった。

9.平針教会
「土橋」16:53発「猿投」行きに乗車、途中「上挙母」に停まり、「豊田市」へ16:59に到着。着いた1番線から階段を使って、2番線に移動し、発車待ちの17:05発「上小田井」行きに乗車。
赤池を接続駅として、名鉄豊田線と名古屋市営地下鉄が相互乗り入れしている。今回乗った電車は地下鉄車両であった。
「豊田市」を出ると、次の「梅坪」で三河線から豊田線に入り、「上豊田」・「浄水」・「三好ヶ丘」・「黒笹」・「米野木」・「日進」と停まり、地下へ潜り、「赤池」。ここから地下鉄鶴舞線区間へ入り、17:28「平針」着となる。
改札横の駅員に赤池・平針間の地下鉄料金1区200円を精算。わずか1・1kmで200円はなんとも高過ぎる気がした。
改札を出て、壁面に掲げてある「駅周辺の案内図」を見ると、平針駅前信号のあるバスターミナルは1番出口とあるが、地下道が矢鱈に長く感ずる。1番出口への曲がり角のトイレで用足し後、1番出口を出て、信号交差点を東へ向かう。100m程の信号交差点を左折して進むと程なく左手に「平針教会」が現れる。道路側から教会全景を撮影し教会の門を入り、司祭館へ直行する。開いていた入口から呼びかけると、比較的高齢の司祭が顔を出されたが、どこかで会った気がする方である。司祭の方も、そんな感じであったので「どこかでお会いしませんでした?」の質問から、チャンスのありそうな場所を言ってみたが、該当する記憶にはお互い行きつかなかった。署名は森山神父であった。
お御堂へご案内頂き、うす暗くなったお御堂の電気を付けて下さり、「ごゆっくり、ご自由に。終わりましたら、このボタン4つで、消灯してください。」とのご指示。「では、消灯しましたら、ご挨拶せずに失礼させて頂きます。」と断り、本日最後の祈りと撮影を終え、退室。
「ああ、終わった。今日のは、きつかった。」とつぶやきながらもホッとして、「平針」駅へ戻り、長い地下道を抜け、金山までの地下鉄乗車券290円を求めて、階段を降りようとすると、左脚太股内側と、左膝裏側の筋に激痛が走り、左足から先に階段を1段降ろし、次に右足を揃える繰り返しでないと階段が降りられなくなってしまった。平地も足を引き摺るようにしなければ歩行できない状態になり、ホームで電車を待つ間も、「えらい事になった。」と、日頃見かける足の不自由になった高齢者の姿が頭をよぎり、暗澹たる思いに駆られた。
休日とあって、日頃のラッシュアワーの混雑は無いと思っていたが、車内はかなり混んでいる。3人掛けの優先席に男女2人の若者が腰掛けていたが、男性の方が、立って譲ろうとしたので、「一緒に座りましょう。」と真中へ座ると、改めてその若者も座れ、助かった。
八事乗換にしようか、上前津乗換にしようか迷っていたが、「上前津」まで行く事にした。「平針」から「原」「植田」「塩釜口」「八事」「いりなか」「川名」「御器所」「荒畑」「鶴舞」と停まり、やっと「上前津」へ到着。上前津も金山も乗換に際しては、エレベータやエスカレータのご厄介にならざるを得なくなるとともに、平地歩行もゆっくりゆっくりで、電車の予定時刻は無視せざるを得なくなったが、「金山」発19:03豊川稲荷行き急行に乗れ、「前後」へ19:21に辿りつく事ができた。前後駅のエレベータを始めて利用したが、全国的にどの鉄道でも推進し普及しつつあるバリアフリー化の必要性を身近に感ずる事ができた。「前後」駅を出て、駐車場への長い階段に最後の難渋をしながら、車に辿りつく事ができた。

10.初日のまとめ
5月1日は当地方では今年最高の気温だったと後で知ったが、出発時心配した軽装にしたお陰で寒からず暑からずの日和に恵まれ、まさに「神に感謝」である。全教会で司祭にお会いでき、署名を頂け、突然の訪問にも拘わらず、暖かくご応対下さったことに、改めて感謝の気持ちを抱くものである。
名古屋市内の場合、本数の少ないところはあるものの、市バス路線があるので、事前に調査をし、ある程度の余裕を持って計画しておけば、歩行距離は比較的短くできるが、今回の場合は、路線バスが無いか、あったが廃線になった等で鉄道の最寄り駅からの歩行距離が長く、欲張り過ぎの反省点が残った。
各教会ともそれぞれモダンな設計になっており、お御堂も概して明るく、内部のレイアウトも工夫されており、聖像も大あり小あり、また、スローガン等の表示が掲げられ、それぞれの神父様のお好みなのかと微笑ましい気持ちで拝見した。
7つの教会はベンチ式であったが、半田と刈谷は個脚やパイプ椅子で、何かの催しに信者会館的に使われる時の便宜かと拝察する。
本文中にも記したが、各教会でお賽銭代わりに、100円づつの献金をしたが、献金箱のない教会では、説教台の上や、マリヤ様の小さい像に花が供えられてある台の上へ置かせて頂いた。盗難防止の意味があるかもしれないが、賽銭泥棒も多くは無い筈故、用意される事を勧めたい。
また、祈りも主梼文1回と天使祝詞10回でご勘弁頂いたが、時間の無いところでは、駅と教会の往復の間に唱えてお許し頂いた。いずれにせよ、落語に出てくる坊さんのお経のように、他所事を考えて唱えたところもあったと思うが、寛大な神様は「効果一本!」と認めてくださると信じている。
平針から急に不調を来した脚痛も翌日1日自宅の階段の昇降に苦労し、しょげ返っていたが、翌々日には、嘘のように治り、改めて、自然の回復力に驚かされた。(「神のご加護があった」と云うのは、「神の名をみだりに呼ぶなかれ」の掟に反するかも知れないので、あえて書かなかった。
2日目の方は1日目に比し、歩行距離が若干短い筈なので、今月の23日(日)か30日(日)にチャレンジしようと思っている。
(了)

愛知県(名古屋市内を除く)の教会遍路紀行

1:尾西教会
昨年(2009)年、名古屋市内の教会巡りを完了、今年(2010)年5月1~2日の2日間で、名古屋市内を除く愛知県の教会巡りを予定したのだが、初日に足を痛め、残念ながら2日目を中止してしまった。その後、足の具合は回復していたのだが、所要があったり、天候に恵まれなかったりで、延び延びになっていたが、漸く5月30日(日)にチャンスが巡ってきたので、残していた続きにチャレンジした。
5月1日(日)5時50分に家を出て、名鉄「前後駅」駐車場へ車を止め、今回は名鉄電車の1日乗り降り自由な「1DAYフリー切符(3000円)」を購入して、改札を抜ける。自販機でお茶を求めてから、ホームへ降りる。今回はゴールデンウィークではないので、電車を待つ客も2人程度。
上空は晴れているが、所々に積乱雲があるものの、雨の心配はなさそうである。6:16発の「岐阜」行き急行に乗車、ガラガラである。最前列の席へ着座。
早朝の線路を電車は快走して行く。「鳴海」「堀田」「神宮前」「金山」「名鉄名古屋」「栄生」「須ヶ口」「新清洲」「国府宮」と停まって、6:54、高架上の「名鉄一宮」へ到着。この間、乗降客はあるものの、空席の多い状態である。
階段を降り、改札を出て西出口へ向かう。バスセンターの「2番のりば」には、既に「起(おこし)」行きのバスが待機しているので、整理券を取って、乗車するが、乗客も運転手も居ない。バスの最前部の席へ着座し、両替機で釣銭不要のため小銭を用意する。発車時刻の7:04分近くなっても、運転手が来ないので、いささか不安になり、前部ドアから覗くと、運転手が連絡用の電話を終わったところで「すみません。今発車します。」と言いながら、乗り込んできた。定刻に発車したバスは市街地にしては、やや狭い路を進んでいくが、乗降客は少ない。数か所の停留所で、時間調整のための停車をする。この路は昭和28(1953)年までは「起線」と云う路面電車が走っていた路である。目的の「一宮市役所尾西庁舎」へ7:14に到着、280円支払って降りる。
地図で予想したコースを進んだが、想像よりいささか風景が異なる。狭い田圃に大きな白鷺が歩きかけた片足を上げたまま、怪訝そうにこちらを見ている。かなり行き過ぎたようで、それらしい建物が見当たらないので、散歩中風情の年配男性に「この辺りにカトリックの教会がある筈なんですが、ご存知ないですか?」と尋ねると、それらしい方向を教えてくれた。なお、この時、「教会は2つあるが、カトリックとやらはこっちの方だと思う。」と、概ね合っていそうな説明に助かった。そのヒントに従って進むと、なるほど、「カトリック尾西教会」の立て看板があった。
前日、一宮教会の寺尾神父様に電話で確認し、「尾西教会は施錠されているし、民家のような教会ですよ。」と言われていたので、覚悟はしていたが、なるほど案内看板がなければ、判り難い。民家に囲まれているので、教会外観を撮影するのも難しい。なんとか撮影を終え、お御堂入口へ来たが、施錠されている。入口の前で、祈りを捧げてから、バス停へ戻る。バス停から教会への最短コースを把握できたので、後日自作の案内書を訂正する事にする。

2:一宮教会
「一宮市役所尾西庁舎」バス停へ戻ると、予定より前の7:33発「名鉄一宮駅」行きに乗る事ができた。半分ほどの乗客が乗っていたが、最前席が空いていたので着座。7:45に一宮駅に到着。280円払って降りる。
駅舎に入り、東口へ抜ける。地図帳に記載されている信号名が表示されていない信号が比較的多いので目安にする信号がいくつ目の信号か、等をメモしておく必要性も感じた。事前調査メモを参考に600m程の「音羽1北」信号交差点を過ぎて直ぐの処に「カトリック一宮教会」の看板があり、かなり大きな教会建屋が現れる。
ミサが8時からと聞いていたので、とにかくお御堂へ飛び込み、お御堂後方で、静かに心の準備をしておられたこれから司式される若い神父様に、「寺尾神父様はどこかに居られますか?」とお訊ねすると、お御堂の外の廊下に案内され、「あそこに立っている方がそうです。」と教えて下さった。
まだ私服の寺尾神父様が捕まったので、尾西教会と一宮教会の署名をお願いした。寺尾神父様は野村司教のご母堂様ご葬儀の折、港教会へ向かう「あおなみ鉄道」でご一緒して以来の再会である。
ごミサは先程の新しい若い神父様が立てられる由で、聖体拝領は8時半頃でしょうとの事。次のスケジュールの事もあるので、間に合うように拝領できれば良いがと思いながらミサに与かる。
なお、聖堂内の写真撮影はミサ開始前に済ませておいた。署名を受けた足で、お御堂を出て、教会前の広い車道を横切り、対岸から教会全容の写真を撮って、再びお御堂へ入る。なんとかミサ開始前にお御堂に戻れた。
今日は「三位一体の主日」の由で、最近鳴海教会の勉強会でぺルソナの話題が頻繁に出てきて、「聖霊の実感や意味が判らない」と云っては矢切庵主こと石脇神父様を困らせているので、若い神父様がどんな説教をされるのかと興味を持って聴いていたところ、「証明は難しいし、聖霊と云うのは判り難いものです。」と話されたので、不謹慎にも可笑しかった。献金はミサ前に留守の尾西教会分とともに、献金袋に入れさせてもらった。
さて、スケジュール的に、退出する限界の時間を8:45としてあったのだが、ご聖体拝領が始まったのがまさに8:45であった。厚かましいと思ったが、割り込ませて頂いて、寺尾神父様から拝領し、そのままお御堂を出る。実は、のどの渇いた状態で拝領したため、口の中上部にご聖体が張り付いて、まさかお茶で流し込むわけにもいかず、舌で撫でるようにして、無くなるのを待ちながら、駅への道を急いだ。
お御堂で「主梼文」1回、「天使祝詞」10回のノルマにしていた祈りを捧げられなかったので、駅への道中で唱えた。所々小走りしながら、急いだお陰で、トイレを済ませてホームに上がった時、予定の前の8:59発特急豊橋行きに乗れた。

3:稲沢教会
特急はノンストップで9:03に「国府宮」へ到着。地下道を通って、改札を出ると、鉄道線路沿いの道の方へ階段を昇り、踏切まで来ると、遮断機が下り、警報機が「チンチンチンチン・・・」と、けたたましく鳴り始めた。警報機の真下で待つと、改めて喧しいと感ずる。周辺の住民等はさぞかし煩いだろうに、慣れるものなのかもしれない等と想像した。先程降りた特急を待ち合わせていた普通電車が発車し、ゆっくりと通り去って、踏切が上がる。
約400m程の処に裸祭りで有名な「国府宮」神社があり、その先の川縁の岸に沿う道を斜めに進むと左手に「稲沢教会」があった。教会全容をカメラに納め様としたのだが、周辺住宅等に妨げられてカメラを構える方向が1ヶ所しかない。しかも丁度太陽に向かってレンズを向ける事になり、とりあえずシャッターを押しておいたが、自信は無い。(後刻、確認したところ、真っ白で全容写真は撮れなかった。))
教会入口を入り、スリッパに履き替え、引き戸を開けてお御堂へ入るが、ミサが始まっており、お説教の最中である。椅子に座って説教を聴く信者の傍をすり抜けて、後方に行き、不躾にも勝手に祭壇の方に向かってシャッターを押す。さらに、一人の女性信者に、代筆をお願いしたが、「会長にお願いします。」と2列前の男性に署名帳を渡されたのだが、その男性は署名帳を傍らに置いて説教に耳を傾けられた。そこで、女性に再度、「時間が無いので、ご無理ならば、署名頂かなくて結構ですから、お返し頂きたいのですが・・・」と頼むと、男性にその旨伝えて呉れ、その男性に後方の部屋へ案内された。事情を話すと、「自分は司祭ではないので・・・」と逡巡しながらサインして頂いた。実に調子の悪い仕儀となってしまった。急いで、件の女性に献金箱へ入れて頂くべくお願いし、これから向かう津島教会(稲沢教会からの巡回教会のため、訪問時は施錠されている。)分と合わせて渡して、お御堂を退出。お御堂全容撮影に再チャレンジしてから、来た道を「国府宮」駅へ急ぐ。焦ったが、予定の9:38発須ヶ口行き普通電車に間に合った。

4:津島教会
電車は、「奥田」「大里」「新清洲」「丸の内」と各駅に停まり「須ヶ口」へ9:48に到着、階段を昇り、弥富方面行きホームへ移動、既に入線している津島線の9:51発佐屋行き普通電車に乗車。「甚目寺」「七宝」「木田」「青塚」「勝幡」「藤波」と各駅に停車し、10:07「津島」へ定刻到着。津島線沿線には、まだ田園が広がる風景が残っており、なんとなくホッとした気分になる。
階段を下り、改札を通って、駅前へ出た。地図では駅前右前方にある筈の「藤波町1」信号が見当たらず、ガードを潜って駅裏を確認するも、矢張り見当たらない。やむを得ず、駐車中のタクシーの運転手に尋ねると、駅前中央寄り奥に見える信号がそれだと教えてくれる。
その後、自作案内書に基づき、進み、川べりの道を右折の筈だったが、人が一人通れるか否かのあぜ道のような狭い道に不安ながら進んで見るが、見当たらない。たまたま、住民らしいのが4~5人固まって雑談していたので、「この辺にカトリックの教会がありませんか」と尋ねると、「そこの細い道を行けば、右手にあるよ。」との事。自作案内書は間違っていなかったのである。川縁の狭い道を進むと、「津島教会」があったが、小さな平屋木造建て民家のような建物で側面に大きな十字架の印が書かれているのみである。
今来た細い道の後は川なので、全容をカメラに納めるのは無理である。絵にならないアングルで証拠写真を残して、引き返す事にした。
「津島駅」出発時のもたつきと教会近辺での探索で時間を使い、帰路は小走りを交えながら急ぎ足で駅へ向かう。
祈りは矢張り帰路の道で唱える。
来る時の道より近道の筈と見当を付け、往きに道を尋ねたタクシーの傍らからガードを潜って「津島駅」へ戻る。動かない足で、階段に躓かぬ様に用心しつつ懸命に急いだが、電車の予定時間より1分程遅れてしまった。「乗り遅れたと半分諦めて、ホームへ辿り着くと、なんと幸運なことか、電車が数分遅れており、ギリギリ間に合い、10:42発須ヶ口行き普通電車に乗車できた。
来る時の逆コースで各駅に停車して、「須ヶ口」へ到着。本線の11:05発豊橋行き急行に乗り換えたが、本日唯一車内が込み合い着座できなかった。電車はノンストップで「栄生」へ11:10に到着。
さらに「栄生」で犬山線の11:13発新可児行き準急に乗り換える。庄内川に架かる枇杷島橋を渡るのは本日3度目になる。「上小田井」「西春」「岩倉」「石仏」「布袋」に停まり、11:33、「江南」に到着。
改札を出て、バスターミナルの2番のりばから、11:39発江南団地行き名鉄バスに乗車する。整理券をとり、着座する前に両替機で小銭に交換する。釣銭不要を求められるのは結構煩わしい。

5:江南教会
バスの前面左上に次の停留所の案内盤があり、乗車時に取った整理券の番号による運賃が表示される。降りたい停留所の案内が出た時に、窓際にあるボタンを押して知らせると、「次停まります」の表示がされる。名鉄バスは全て同じシステムである。
目的地の「藤町(ふじまち)」へ11:44に到着。整理券と運賃180円を集金箱へ投入すると、請求額と投入金額が表示され、確認がなされる。
さて、ここで、自作案内書に重大なミスがあり、とんでもないハプニングが待ち受けていた。「バス停直後の道を右折(東へ)」に従い、探すが、直後に右折すべき道がない。やむなく、かなり後方(250m)の道を右折して首を捻りながら350m進むと、コンビニがあったので、飛び込んで尋ねると、近辺地図を参考に調べて呉れ、バス停を中心にして、「江南教会」と全く対称の地点に来てしまった事が判明。「バス停直前の道を右折(東へ)」が正しかったのである。
再び、「藤町」バス停へ戻り、読み替えた案内書に基づいて、進んで、「江南教会」へ到着。
全容をカメラに納め、門に近づくと、鉄格子の門が閉まっていたが、レバーを捻ると開いたので構内へ侵入。
お御堂は扉が開いていたので、覗いていると、「なにか御用ですか?」らしい声が別の建物(司祭館)の入り口付近で聞こえ、男性の姿が目に入る。近づいて、用向きを伝え、お御堂の撮影許可を求めると、「構いませんが、わたくし今から出かけますので、施錠するところでした。」との事。
今日は随分きわどいタイミングで幸運が待ってる、と思えて嬉しかった。
比較的、お若い神父様で、「牧野真」とサインして下さってから、名古屋市内のも含め、他教会の署名をご覧になりながら、ご存知の方を思い出しておられた。わたくしも先を急ぐので焦るとともに、牧野神父様もお出かけの処であったので、祈りは帰路にして、100円献金をさせて頂き、早々に失礼させて頂いた。気分の良い神父様であった。
「藤町」バス停へ急いだが、予定の12:13のバスには逃げられてしまった。時刻を調べると、次のバスは12:31である。スケジュール表を確認すると、このバスでも「江南」で乗る予定の電車に間に合いそうなのである。ここでまた幸運が待っていてくれた。最近の路線バスは多少遅れる事はあっても、早くなる事はまず無いようで正確である。
「藤町」発12:31のバスは「江南」へ12:39に着き、「江南」発12:47の犬山線の普通電車「新可児」行きに乗車できた。

6:犬山教会
電車は「柏森」「扶桑」「木津用水」「犬山口」と各駅に停車して、12:59に「犬山」へ到着。
改札を出て東口へ向かう。階段で地上に降り、正面から続く広い道をひたすら750m程歩くと「富岡新町4」信号交差点に到る。これを左折して、250m程進むと、長い登り坂にかかる。200m程登るとV字型に分れる分岐点に着く。分岐点の前方は池であり、釣り糸を投げている若者も目に入る。
ここから右手の方へ100m程進むと右手に小川鉄工所がある筈なのだが、ここでも予想と異なり、民家が密集している上に鉄工所も民家と同じ程度の大きさなので、見当がつかない。小さな畑にいた主婦に聞くと、目の前の家が「小川鉄工所」だと教えてくれたので、その角を右折。鉄工所の入り口門に「小川」と表札があった。そこから道なりに進むと、右手の2階建て民家の屋根の上に十字架が載っているのに気付いた。
事前に野村司教から個人の家を借りているのだと、聞いていたので、興味を持っていた「犬山教会」である。
門を入って直ぐのドアにはチャイムボタンもなく、台所かと思われるところの窓が開いていたので、「ごめんください」と声を掛けるが応答がない。もう一度最初のドアのノブを回してみると、開きそうであったが、念のため、家の周りを進んで見ると、玄関らしいドアがあり、チャイムボタンがあった。ボタンを押すと、暫くしてドアが開き、高齢の婦人が顔を出される。用件を伝え、お御堂を見せて頂きたいと云うと、笑いながら「お御堂はありませんが、祭壇と聖室(ご聖体保管庫?)があるだけですよ。良ければどうぞ。」と上がらせて頂いた。案内に従って玄関を上がると、最初の引き戸の中へ導き入れられた。
庭に面して廊下を挟んだ6畳間か8畳間の中央に祭壇が設置されており、お隣のやはり同じ位の部屋の床の間に立派な聖室が安置されていた。
「楠山寿江子」と署名頂いた婦人のお話では、野村司教に依頼されて、教会にしている由。時々司教が訪ねて下さるとも。また、楠山さんは主税町教会に居られた事もあり、鳴海教会や天使園・修道院にも居られた事があるとの事であった。
ハンカチで汗を拭っているわたくしに「氷をあげましょうか?」とのご親切なお申し出。「先を急ぎますので・・・」と丁重にお断りし、100円献金を祭壇の上へ載せて、辞去した。急坂もあり、想像以上に長い道のりで、帰路所々小走りしながら、「犬山」駅へ急ぐ。どうやら今日は昼飯抜きである。「犬山」駅東口には、登りエスカレータがあり、助かった。

7:小牧教会
小牧線の「犬山」発13:57、「平安通」行きに、発車の3分前に乗車できた。クロスシートへ着座し、発車を待つ。不思議に空腹を覚えないが、この後も腹ごしらえできる時間的余裕は無い。いずれにしても、暑からず寒からず、頬を撫でる風も爽やかで、天候にも恵まれたお遍路である。
電車は定刻に発車、「羽黒」「楽田」「田縣神社前」「味岡」「小牧原」に停まって、電車は地下へ潜り、地下駅「小牧」へ14:13に到着。
改札を出て、バスターミナル4番のりばから14:25発「岩倉」行きの名鉄バスに乗車。定刻に発車したバスは、14:32定刻に「若宮」へ到着、整理券と運賃190円を料金箱へ入れて下車。
自作案内書に基づき、広いながらも車の少ない道路を横断して、進むと公園に突き当り、左折すると、こじんまりした可愛い教会が現れる。
向かいの公園から教会全容を撮影後、教会に入り、司祭不在の様子なので、勝手にお御堂に入り、撮影と祈りを済ませる。再度、司祭館のインターホンのボタンを押すが応答がないので、辞去する。
来た道を「若宮」バス停に戻り、15:00発の名鉄バス「小牧駅」行きで「小牧」駅へ戻る。
「若宮」を発車して直ぐ、右手に大聖堂風の建物とこじんまりしているが、小牧教会よりも立派そうな教会風建物が並んでいたのが気になった。セレモニーホールの様でもあり、プロテスタントの教会なのか、よく判らない。
途中信号待ちの折、バス運転手に「10000円札の場合、運転手さんが両替してくれるのかね?」と聞くと「両替します。」と、1000円札10枚にして呉れた。
犬山教会で、楠山さんが「小牧教会は小牧口駅から歩いても10分程ですから、わたしはいつも歩きます。」と言っておられたので、後日調べたところ、「小牧口」駅から「小牧教会」まで1km程であった。

8:春日井教会
バスは「小牧駅」へ15:08に到着。運賃190円。「小牧教会」への往きに乗車したバス停から15:15発の名鉄バス「春日井駅」行きに乗車。
春日井・高蔵寺・定光寺等の中央線沿線は、わたくしが学生時代目にした客車を引く「デゴイチ=D51」SLが濛々たる煙を吐きながら行く山間の寂しいところの先入観があったが、切れ目ない街路の続く現状に唯々驚く。
15:33、「八田(はった)」へ到着、運賃320円を支払って下車。自作案内書に従い、バスの来た方向へ戻り、橋を渡ったところの「新興橋北」信号交差点を右折し、200m程進むとかなり壮大な「春日井教会」が現れる。
全容写真を撮影後構内に入ると、比較的長い登り階段の上に、お御堂入口はありそうだが、とりあえず、階段左手の司祭館入口のインターホンを押す。中で「ピンポーン」の音が鳴るのが聞こえるものの、応答が無いので、先にお御堂へお邪魔する事にする。階段を昇り、入口でスリッパに履き替え、引き戸を開けて、お御堂へ入ると、ロザリオを繰って居られる高齢の婦人が一人。お邪魔せぬように、撮影と祈りを終え、献金箱へ100円投入、退出する。
階段を下り、再度司祭館のインターホンを押す。反応が無いので思い切って、もう一度押すと、司祭が出て来られたので、用向きを伝え、署名をお願いすると、署名表をご覧になって、「わたしは、主任司祭ではないので・・・」とお断りになるので、「ご不在の時には、シスターや信者の方に代筆して頂いているので・・・」とご無理をお願いすると、記帳欄に半分の空白を残して、サインして下さった。そして、「今、勉強中なので・・・」と中へ入られたので、恐縮しつつ、辞去した。
来た道を戻り、降りた「八田」バス停へ戻る。バスの予定時間まで7分ほど余裕がある。空には、やや厚めの雲が張り出し、にわか雨が心配になる。
正確にやって来た16:05発名鉄バス「春日井駅」行きに乗車。「春日井駅」に16:16定刻に到着。運賃は210円である。
JR中央線「春日井」駅は地上駅で、駅舎へ入ると直ぐ改札があり、「TOICA」カードを自動改札にタッチして、ホームへ出ると、そこが、下りホームである。16:23発の「瑞浪」行き快速に乗車、電車はノンストップで「高蔵寺」へ16:28に到着。

9:高蔵寺教会
階段を降りて、改札を出ると、北口に向かって進む。長い通路の左手に沢山ののりばへ出入りする口があるが、のりばと出入り口の対応が慣れないと判り難い。同じ案内図を見ていた地元の人らしい婦人に、「4番のりばへの出入口はどうやって調べるんですか?」と尋ねると、各出口毎に通路の上からぶらさがっている行燈案内盤を指さしながら、「出口を出たところの のりば番号が書いてあるから、行きたい番号の出口を上がるんです。」と教えてくれた。目の悪いわたくしには、行燈の下まで行かないと、判らない。
確認して、2つ目か3つ目の該当する出口の階段を昇ると既に2台のバスが待機している。階段を昇ったところに停車しているバスの運転手に「烏洞橋(からすほらばし)へ行くバスはどのバスかね。」と尋ねると、「前のバスです。」と教えてくれる。
16:33発の「中央台」経由「高森台北」行きのバスに乗る。着座できたが、ほぼ満席である。発車したバスが、どこの停留所か忘れてしまったが、前のバスの直後に停車し客扱いを済ませて、前のバスの発車を待っているのだが、出て行く気配がない。数分待った後、運転手が「車椅子のお客さんのフォローをしていると思いますので暫くお待ちください。」と断ったのだが、一向に動く気配がない。首を傾げながら、降りて行った運転手が様子を見に行き戻ってきて「まもなく、発車しそうです。」と言ったが、また暫く待たされてから漸く動き出した。
やがて、着いた「烏洞橋」で240円払って降りたものの、事前に地図で調べて作成した自作案内書では「バス停直前で道路を横切りその道を直進」とあるのだが、バス道路は掘割のような自動車専用道路で高い中央分離帯がある上に、交差している道など見当たらない。途方に暮れて、ふと上を見ると、7~8m程上を跨道橋が架かっているのである。そして、バス停脇にそこへ昇るやや急な石段があった。「そう云う事か?」とつぶやきながら昇って、やっと地図の意味が判った。(帰宅後、地図を再確認すると、明確に、跨道橋だと判る表示になっていた。)
随分予定時間より遅れているので、その後は案内書に基づいて、進むものの、かなりきつい登り坂が続いている。200mほどで現れた「高蔵寺教会」の全容写真を撮ってから教会に近づくと、司祭館らしき建物の前で、車を拭いている男性が居たので、「失礼ですが、神父様ですか?」と尋ねると「違いますが、居るんじゃないでしょうか?お御堂は向こうですが、鍵が掛かってますから、こちらから入って行かれれば行けると思いますよ。」との事で、その司祭館らしき建物の入り口へ進んだがやはり施錠されていた。」
トラブル続きで、時間が迫っているので、お御堂は諦め、来た道を急ぐ。跨道橋の手前の石段を降り、バス停へ辿り着くも乗るべき17:02発のバスに逃げられてしまった。
バス停の時刻表を見ると、次のバスは17:44で、40分以上待つ羽目になってしまった。周囲を見渡しても、自動車専用道と跨道橋近辺も団地で、休む処も無さそうなので、幸いバス停前に据えられている廃却ソファの埃を払って、座る。
こう云うトラブルの時、癇癪が起きやすい短気なわたくしへの神様のプレゼントかも知れないと、気を鎮めながら、「天使祝詞」を30回程唱える。目の前の道を信号の間隔に合せたように、周期的に車の集団が通り過ぎては静寂が戻る。時折、「回送」と表示した名鉄バスが通り過ぎるのが恨めしい。気を散らせながらのお祈りに、落語に出て来る生臭坊主のお経を思い出す。お経を唱えながら、「今夜のおかずはなんだろう?」と考えている坊さんの面白さである。
この自動車道の路側帯は歩道になっており、忘れた頃に、自転車や、犬を連れた年寄りや女性が通り過ぎて行く。この辺りでも小型の愛玩犬が多いようだ。通り過ぎながら犬が怪訝そうにわたくしの方を横目で見て行く。お昼抜きだったが、不思議に空腹は覚えない。ただ、長い待ち時間にペットボトルのお茶を大分飲んだ。
最後の瀬戸教会が残っているのと、前後駅から車を運転しなければならないので、アルコールは諦めなければダメ、従って、食事は帰宅後だなあ、等と考えても時間の経つのは遅い。木枯らしの吹く寒い時や、蚊に悩まされるであろう夏場でなくて、良かったとも思う。例年なら暑い日が多い筈の今日この頃だが、この時間になると、爽やかだった風も冷やっこく感じられる。しかし、雷雨の心配も杞憂である。
やがて、17:44を2分ほど遅れて、「高蔵寺駅北口」行きの名鉄バスが到着、17:54「高蔵寺駅北口」へ着く。

10:瀬戸教会
「高蔵寺」で「愛知環状鉄道」の「瀬戸市」までの乗車券(270円区間)を購入し、JRと共用の改札口を通って、1番ホームへ上がる。ここからは成り行き任せで、最後の工程にチャレンジである。次の岡崎行きは18:08発であるが、列車はまだ入線していない。
同じホームの2番線から18:02発名古屋行き普通電車が発車するのと同時に、愛知環状鉄道の終着列車(18:03着)が入線してくる。もう少し時間を早めれば、乗り換え客に親切だと感じた。折り返し「岡崎」行きになるのである。愛知万博当時と比較し、車両が更新されている。
定刻に発車した列車は程なく比較的長いトンネルに入り、トンネルを出ると直ぐ「中水野」に停まり、発車するとまた長いトンネルに入る。トンネルを出るとまもなく「瀬戸市」へ到着する。18:15である。
自作案内書に従って、「水南」信号交差点の次の道を右折して、進むが、教会らしいものが目に入らないので、犬を連れた婦人に尋ねると、「もう少し進むと、あります。あそこに塔が見えるでしょ?あそこです。」と教えてくれる。間違ってなかったと、自信を持って、やや登りになった坂を進んでいくと左手に「瀬戸教会」があった。
神父様はご不在の様子なので、お御堂内の写真を勝手に撮らせて頂いたが、本日始めてフラッシュを使った。日が長くなったとは言え、お御堂内は薄暗くなっていた。献金箱は見当たらなかったので、祭壇手前右のマリア像に供えられた花の横へ100円玉を置かせて頂いた。
同じコースを逆にたどり、降りた「瀬戸市」駅舎の隣りの連絡階段を昇って、名鉄瀬戸線の「新瀬戸」駅舎に入り、ホームに立つと、18:42発の「栄町」行き急行に乗れた。
電車は「水野」「三郷」「尾張旭」「大森・金城学院前」「喜多山」「小幡」に停まり、19:02に「大曽根」へ到着。
階段を降り、再び「TOICA」で中央線「大曽根」駅の改札を抜け、長い登り坂の連絡通路をホームに向かう。ホームに着く頃、19:05発の「名古屋」行きが入ってくる。空席もあり着座できた。
「千種」「鶴舞」に停まり、19:14「金山」へ到着。階段を昇り、名鉄との連絡改札口を抜け、「金山」発19:17の本線急行豊橋行きに乗車、「神宮前」「堀田」「鳴海」と停まり、ここで特急の通過待ちの後発車、19:35に「前後」へ帰着。1日世話になった、名鉄電車の「1DAYフリーカード」の最後の改札通過を終え、駐車場へ向かう。5月1日の脚痛を思い出し、今日の無事に感無量であった。駐車料金800円を支払い、20時前に我が家へ着く。「神に感謝!!」

愛知県カトリック教会遍路

愛知県カトリック教会遍路

1. 目的
(1) 日本人信者の減少傾向に歯止めを掛けるヒント探求。
(2) 高齢者向け遍路コース立案。
(3) 健康管理ウォーキング。

2. 要領
(1) 公共交通機関を活用。
(2) 一日乗降自由なフリー切符を活用。
(3) 最寄の駅・停留所と教会の移動時間:15分/km、
教会の滞在時間:各15分(写真撮影・祈祷)、で企画。

3. 実施概要
(1) 名古屋市内のコース(市バス・地下鉄用「土日エコ切符600円」)
  (初日)司教館→布池→主税町→みこころ→城北橋→押切→五反城→
八熊→港→日比野→熱田→膳棚→恵方町。(2009・8・8○土)
  (2日目)守山→名東→東山→南山→緑ヶ丘→鳴海。(2009・8・9○日)
(2) 名古屋市外のコース(名鉄電車用「1DAYフリーきっぷ3000円」)
(初日)長浦→東海→半田→刈谷→安城→岡崎→豊橋→聖心→平針。(2010・5・1○土)
(2日目)尾西→一宮→稲沢→津島→江南→犬山→小牧→春日井→
高蔵寺→瀬戸。(2010・5・30○日)

4. 実施結果
(1) 司教館を除き、市内18教会、市外19教会訪問。
(2) 応対者との面会ができなかった教会6教会。
(3) お御堂へ入れなかった教会5教会。

5. 所見
(1) 平面地図による教会位置予想と現地イメージが異なる場合が多いので、パソコンによる航空写真地図を利用するのが賢明。携帯ナビ普及途上故今後活用可能も予想される。
(2) 公共交通機関の運行は概ね正確で、予定時刻より前に発車する事は無いと考えてよい。
(3) メイン道路から教会への誘導案内表示のない教会が多い。
(4) お御堂・司祭館等の区分が判り難い教会、インターホン等の設置が無い教会も散見された。(初心者は尻込みする可能性あり。)不在時の連絡先も明示するのが親切であろう。「叩けよ、さらば開かれん。」「求めよ、さらば与えられん。」ではなかったか?
(5) 司祭常駐の教会でも、盗難防止の目的でお御堂が施錠されている教会があるが、再考の余地があると考える。レ・ミゼラブルのジャンバルジャンのようなケースもあるのではないか?
(6) 献金箱の見当たらない教会もあったが、盗難除けの工夫を施して常設すべきと考える。(神社の賽銭箱を参考に)
(7) 原則として、事前通告しない訪問であったが、面会者は概ね快く応対
された。勉強会や子供会等の催し中をお邪魔したケースもあり、事前通告の必要性を痛感。
(8) ご応対者の署名表を持参したが、署名に不審を持たれたケースも2~3あ
     ったが、何らかの後難を心配されたのかと、署名の是非は今後の課題と
     したい。なお、自己紹介用の名刺等は用意すべきであったと反省。
(9)お御堂のスローガン貼付・聖像配置・供花等それぞれ工夫され、教会信者
の奉仕状況に好感が持てる。
(10)初心者向けに、各教会の聖人の由来、十字架の道行各コーナの解説を明
示し、イエス・キリストの赦しと人類に対する愛の教えを伝える工夫も 欲しい。
(11)教会の案内(ミサ時間・言語・教えの完結な基本的説明)パンフの常設
   も欲しい。(みこころセンターのパンフを参考にされると良い。)
(12)高齢者の場合、徒歩の時間は20分/km、教会滞在時間は30分位予定 
した方が良い。(応対者がご厚意でお話下さる時、お断りして辞去するのは失礼な気がする。)さらに、食事時間は1時間程度予定しておいた方が賢明。

雑駁な報告になりましたが、何らかのご参考になれば幸いです。1週間程度掛けた余裕のある企画も検討して見たいとは思います。

2010年6月12日
水川 洸

2010年6月12日土曜日

祭司性

信徒の司祭職について

A祭司について
1)本性の祭司性
人間本性:個体本性と対他本性(ペルソナ)「神はご自分にかたどって人を創造された」(創世記1:27)。二つの本性があるのでなく、一つの本性がそれ自体として捉えられる場合と、他者に対する者として捉えられる場合。あらゆる被造物は、他者によって支えられねば、実在できない(ens ab alio) 。しかし、人間の対他本性は、それ以上に、他者に向かって開かれ、他者によって完成される。他者とは、自己以外のあらゆるペルソナであるが、最終的には、神的ペルソナである。ペルソナとしての三一神であるが人間ペルソナは、この神的ペルソナである他者と対峙することで神性と交流・合一する。つまり、神的ペルソナと人間ペルソナが神性を共有する。この対峙は、動的なもので原初の秘義(万物創造・アルファ)から終末の秘義(万物完成・オーメガ)に至る巨大法輪である。この無限ダイナミズムの内にペルソナとしての全人間共同体とペルソナとしての三一神との合一が成就して行く。このような活らきを根拠に人間本性の内に本性的祭司性が形成されている。
2)祭司性の機能(はたらき)←祭り
他者からの働き掛けとしての機能・仲保mediator―――他者への機能・供儀victima・sacrificium 
祭司性の機能は、人間本性に根差すもので、文化、民俗などによってその表現形態は多種多様である。具体的事項については、世界宗教史参照。神道。
3) 身分statusと用務officium
これらは本来社会的区別で、絶対ではないが、相対的に恒常性を保つ。典型的身分は、いわゆる「血筋」で生物的つながりを土台とする。次に「世襲」。様々な手段を使って世襲が図られる。職人、政治家など。用務は、人とは直接関わりはないが、身分化される可能性は常にある。このことは、祭司性に関しても妥当する。バラモン、神官、僧侶。
B簡潔な史的一瞥
1) 古イスラエルの祭司性:アーロンの系譜、生贄をささげる←神殿。
唯一神とイスラエル民との媒体(仲保者・供え物)。古イスラエルの信念では、唯一神と選民との間には、超えることのできない深淵がある。それ故、神の方から仲保者を立てる必要があり(アブラハム、モーセ)、選民は仲介を求めて犠牲を捧げる必要がある。こうして、祭司階層が生まれ、神の言葉を預かる預言と犠牲として動物の生贄victimaが行われた。さらにこれらの行為を実行するため民を纏める統括権も付与された(牧権・王権)。旧約の祭司は、イスラエルの民laosから身分的に区別された人々で、民の罪の贖罪のために犠牲をささげた。大祭司に集約された組織的祭司性である。
2) 新約の祭司性
新約の祭司性は、本性的祭司性を可見的土台とする受肉の秘義(ho logos sarx egeneto)である。この秘義は、神のペルソナが人の子イエスとして受胎することに始まり、イエスの十字架死と復活にいたる全生涯として時・空の場に現存する。さらにこの現存は、受肉のペルソナ・イエスが復活の秘義によって時間性、空間性を可能態として保持しつつ三一神の永遠の交わりの中に合流する。人となったペルソナ・イエスは、全人類を自己に統合・合一させることで、宇宙キリスト・全キリストtotus Christusとなる。これをパウロは、イエスを頭とする「キリストの体」と表現する。こうして全キリストとなった人類は、復活の主キリストによって存在の深淵と罪の深淵とを克服して、三一神と合一し超宇宙的大法輪が完成する。
それ故、新約の祭司性の機能は、根源的には、受肉のペルソナ・イエスであり、延長的には、全キリストつまり(秘跡によって)キリストに結ばれたあらゆるキリスト者である。要するに受肉のイエスは、神と人間(+全宇宙)とを結合する存在であり、イエスの機能を例示すれば、御父の意志を表わす預言、人類を統合する「王」、自身を捧げることで人間を神と合一せしめる祭祀である。
少なくとも洗礼の秘跡によってキリストと一つになり、もう一人のキリストalter Christusとなるキリスト者は、上に例示されたものを主とするキリストの全機能を分有する。これがすべてのキリスト者の祭司性である。ちなみに祭祀の具体的あり方は、固定化されていない。あらゆる形態が可能である。一般に祭司の機能は、犠牲の奉献と言われるが、それは大切ではあるが、多くの内の一つに過ぎない。邦語の「犠牲」は、sacrificiumの訳語と思われるが、元のラテン語は、語源的には、sacrum facere聖化すると言う意味で「神と我々との合一を実現するためになされるあらゆること」がsacrificiumである。従って人間を含む動物の生贄victimaは、sacrificiumとしての祭祀の一つに過ぎない。神との合一を目指すあらゆる活動は、個人的にも、共同体的にも、sacrificiumであり、祭司職であり得る。 
3)新約聖書には、身分的に民laosから区別された「祭司hiereys」は、少なくとも言葉としては出てこない。祭司は、異教ないしユダヤ教の祭司についてのみ言われる。例外は、「ヘブル書」の大祭司キリストと「ペトロの手紙I」が新約の民全体を総称的に王的祭司団basileion hierateyma(2:9)と呼ぶことであろう。[ちなみにこのbasileionを形容詞でなく、名詞とする解釈もある。フランシスコ会訳は、こう解して「王室・祭司」と二つに分けている。新共同訳は「王の系統を引く祭司」と訳す。何れにせよ個人が祭司と呼ばれるのでなく、教会共同体が祭司と呼ばれる。]
4)宗教史的に言えば、キリストの教会には、ユダヤ教的な祭司階級は存在せず、いわゆる(平)信徒共同体である。その理由は、「ヘブル書」によれば、大祭司キリストが、あらゆる祭司職を徹底的に完成してしまったからである。しかし、教会は根源的には、本性的祭司性をもち、この祭司性は、すべてのキリスト者が入信の秘跡(洗礼・堅信・エウカリスティア)を通してキリストに合一することでイエス自身の祭司性として現実態actus, energeiaとなる。これをキリスト者の共通祭司性とよび、その機能を共通祭司職と言う。
5)教会は、キリストの体、全キリストとして多くの活動がある。それらはすべて受肉のキリストの使命つまり神と全宇宙との(再)合一の完成を目指す。これらの活動energeemataは、仕えるdiakoniaiとして総括され(マルコ10:45)、またこの活動の成就のために神の特殊の恵みkharismataが与えられる。Diakoniaとkharismaは、対概念である。「賜物kharismataにはいろいろありますが、・・務めdiakoniaiにはいろいろありますが、・・働きenergeemataにはいろいろありますが・・」(コリI 12:4-6)
多くのディアコニアの中から、キリストの祭司職を集約的かつ専従的に果たすディアコニア(とカリスマ)が顕在化してくる。それは当時の仕来たりに応じて、監督者episkopos、長老presbyteros、奉仕者diakonosに分化し、叙階の秘跡ordinatioによって固定化され、信徒共同体とは身分的に区別された祭司団を形成する。共通祭司職から区別するため、役務的祭司職sacerdotium ministerialeと言う。なお、邦訳では、監督者、長老、奉仕者(執事)は、順に、司教、司祭、助祭と訳される。
C)共通祭司職(信徒の祭司職)の例示
1)共通祭司職は、神と全人類との合一、その(時間的ではない)前段階としての全人類の一致を目指す受肉のキリストの祭司職への参与であり、具体的には非常に多様な形で表現される。パウロは、その手紙の中で幾つかのディアコニアを例示している(たとえば、コリントI、12章、エフェソ4章)。これらすべては、「福音」の伝達に集約できるが、福音とは、ペルソナとしてのイエス自身のことであり(「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられる」(ガラテア2:20))、この伝達のことを「使徒活動」と言う。こうして、新約の祭司職は、福音化(使徒職)に統合された。祭司職の中心課題は福音化(福音宣教)である。福音とは、すべて信じるものを救う神の力(=十字架の言葉)である。使徒の言葉と行為とにおける十字架の現前と復活の喜びが福音の神髄である。
祭司職の具体的行為は、sacrificiumをささげることであるが、奉げられる者(犠牲)とは、主が最初の弟子に「人間たちの漁師にする」と言われたその「人間たち(異邦人?)」である。
2)結びとして;キリストのからだである教会を立てる。神の家の建築素材であるキリスト者そして、聖化としての聖霊の活動への参与。その具体的表現は、状況によるので、予め固定することはできない。不断に進化して行くべきものである。