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2010年6月13日日曜日

愛知県(名古屋市内を除く)の教会遍路紀行(1)

愛知県(名古屋市内を除く)の教会遍路紀行(1)

1:長浦教会
寒さと雨が残り、土日の連日とも好天の日が無かった今年(2010年)であったが、5月1日・2日にチャンスが巡ってきた。
準備してあった計画書に基づき、リュックを背負い、5月1日(土)5時20分に家を出て、名鉄名古屋本線「前後」駅へ向かう。駅前の駐車場へ車を停め、駅舎への階段を昇る。出札口で、名鉄電車全線に連続2日間乗り降り自由の「2Daysフリー切符(3800円)」を求めて、ホームへ降りる。ナップザック1つ持った軽装の若者や、海外旅行へ向かうのかキャスター付きの大きなケースを引っ張った若い女性等数人が、電車の到着を待っている。
文字通りの五月晴れ、快晴である。予定の5:50発「佐屋」行き急行が到着。ゴールデンウィークとあって、早朝ながら国内・国外への行楽目的と判る乗客で50%程度の混み方でも着座できた。「鳴海」・「堀田」に停まり、「神宮前」へ6:02到着。
階段を昇り、3番線へ移動、6:16発「中部国際空港」行き特急の3号車(一般車)へ乗車。航空機利用の乗客でほぼ満員である。「太田川」まで扉を入ったところに立つ。電車はノンストップで、6:25「太田川」へ定刻到着。
乗り換える普通電車は同じホームの向かい側へ入るので、待合室で待つ。程なく、6両編成の普通電車が到着したが、この電車は前4両が河和線の知多半田行き、後2両がこれから乗る常滑線の「常滑」行きであるが、まだ扉を開けないので、待合室でそのまま待つ。
降りた側の線に神宮前後発の中部国際空港行き急行が入線し発車して行き、普通電車利用客の乗り換えを待って、6:36発知多半田行き前4両が発車して行くと、後寄りの2両が少し前方へ移動してから、扉が開き、乗車する。広い車内に乗客は数人である。6:37発「常滑」行き普通電車は「尾張横須賀」・「寺本」・「朝倉」・「古見」の各駅に停まって、6:47「長浦」に到着。
地図を基に想像していた風景は右手が海水浴場で、ホーム左前方に開けた広い土地があり、そこに長浦教会があると云うものであったが、実際にホームへ降り立つと、前方に自動改札があり、これを通り抜けると、辺りは住宅が密集しており、右手は埋め立てられた工場街、左手は住宅の中を登りの急坂が延びている。
とりあえず急坂を登ってみると、右手民家の隙間から高い丘の上に「聖母幼稚園」の大看板が見え、「ああ、あんな上なんだ。」と判ったものの、その場所からはどうやって行けばよいのか見当もつかない。
そのまま、急坂を登り、次の道を右折して見ると、空色の手すりが付いた、急な石段があり、とりあえず昇ってみる。と、「カトリック長浦教会」の看板が目に入った。教会の外観写真を撮影後、お御堂入口へ向かうが、施錠されている。司祭館の場所も判らないので、ベンチに座って、祈りを捧げ、念のために、電話すると、司祭が居られ、「今、開けます。」との事。暫し待つと、東南アジア系の小柄な司祭が出てこられ、「先週来られるかと待っていました。」の由。確かに電話し、お伺いするかもしれないとは申し上げたが、確約はしてない積りであったが、謝罪し、用意し持参した「ご応対者ご記帳表」へ記帳頂き、お御堂を開けて頂いた。記帳には、「Fr.Bija Kizhakkel SVD(ビジュ)」と記されたがご出身は不明である。
写真撮影を終えて、若干遅れ気味なので、再び急な階段を降り、急坂の道を下って、長浦駅へ戻る。降りた駅舎へ入ると、こちらは常滑方面行き専用で、太田川・名古屋方面は線路の向こう側へ渡らなければならないのである。近くにいた女学生に「向こうのホームへはどこから行けばいいの?」と聞くと、おかしそうに笑いながら、「そこの踏切を渡って線路を越えて行けばいいんですヨ。」と云う。まだ判らないわたくしに、「そこに踏み切りがあるでしょう?」と指さす方をよく見ると、線路わきの柵に人が一人通れる位の小さな切れ目があり、踏切標識らしいのが立っている。礼を言って進んで見ると、「なるほど踏切ですねえ。」と言える構造にはなっている。もう少し案内表示を明確にするとともに、電車の接近通過の時の安全に対する工夫が要ると感じた。
ここで、本日最初のトラブルに見舞われた。昨日満充電にした筈のデジカメの電池がカラカラになっているのだ。実は太田川方面行きホームから「聖母幼稚園」の大看板が良く見えるので撮影しておこうと思った事で判明し、東海教会へ向かう前に乾電池を仕入れなければならない事を知って、むしろ幸運だったのである。
記憶を辿ってみると、終戦後、海水浴と云うと、この辺りから南が海水浴場で、古見・長浦・新舞子・大野等は荒い砂と石ころが多いながらも、白砂の海岸と松の防風林が線路際まで迫っており、駅から近かった。この長浦駅前の海岸には大きな蛸のモニュメントがあった。シーズンには、脱衣小屋や貸しボート・貸し浮き輪もあり、沖合には、飛び込み台まであって、海水浴客がひしめき合っていたものである。その海岸が埋め立てられ工場群に替わってしまったのは、経済発展に寄与したとは言え、自然破壊の典型だとも言える。
「長浦」発7:30の「太田川」行き普通電車も2両編成でガラガラである。来る時と逆コースで各駅に停車し、「太田川」へ7:40に到着した。

2:東海教会
「太田川」の西出口へ出て、コンビニで単4乾電池を求めたのだが、2ヶで340円は一般の電気店に比し随分高いと感じた。4ヶ必要なので、癪に障ったが、「随分高いんだね」と嫌みを言いながら680円で求めてデジカメに装着する。約10分のロスタイムが生じた。さらに、折から、太田川駅の高架駅舎と東口の整備が行われており、西口前の道路も整備工事が行われている。併せて駐輪場や駐車場が新設され、様子が変わっており戸惑う。
バスターミナルを抜け左折、247号線の「大田町」信号交差点を左折し、500m程進み、右手の愛知トヨタと地続きになっているトヨタレンタリースの次の広い道を右折、最初の十字路を左折し、短い坂を登ると右手に「東海教会」が現れる。駅でのロスタイムがあったので、ここまでの道中で祈りを捧げておいた。
司祭館の前には、「福信館」と書かれた車があり、扉が開いていたので、インターホンのボタンを押すと、小柄な司祭が出てこられたので、署名を頂き、お御堂撮影の許可を得る。この竹谷神父はホームレスの人達の面倒を見ておられる由、親友の大島恭子さんから聞いていたが、お顔を拝見して数年前のクリスマスの司教ミサの折、ヒッピーのような服装で寄付を求めておられた方だと気付いた。この後のスケジュールの事もあり、挨拶もそこそこに、お御堂内の写真撮影を済まして、太田川駅へ急ぐ。
かなり早足で歩いたものの、数分の事で予定の急行に乗り損なってしまった。5分後に出る太田川8:20発の「内海」行き普通電車に乗車。次の目的地「住吉町」まで、「高横須賀」・「南加木屋」・「八幡新田」・「巽ヶ丘」・「白沢」・「坂部」・「阿久比」・「植大」・「半田口」の各駅に停まる。おまけに、阿久比では河和行き特急を待ち合わせるので、「住吉町」へは予定より16分遅れの8:35到着となってしまった。

3:半田教会
「住吉町」駅ホーム先端のスロープを下り、自動改札を過ぎ広い道に出て踏切を渡り150m程進むと「出口町」信号交差点に出る。そのまま直進すると、登校する高校生が足早に追い越して行く。わたくしも急ぎ足なのだが、若者には負ける。「出口町」から200m程先に「半田高南」信号交差点がある。先程の高校生もこの半田高校の生徒であろうか。
この辺りから長い登り坂が400m程続き、「柊町3東」信号交差点に出る。ここを右折し800m弱ひたすら歩いて「柊町4」信号交差点に到る。この信号を渡ってから左折し、さらに200m程進み、信号から2筋目の道を右折して直ぐ右手に「半田教会」がある筈だが、それらしき建物が見えない。丁度右折した角の家に子供がいたので、「ここらに、教会は無い?」と尋ねると、「うん、直ぐそこにあるよ。」と教えてくれたので、間違いなかったと歩を進めると、最初の道をさらに右折したところに「半田教会」が姿を現した。
ここでも聖堂写真とお御堂内の撮影を終え、年配の谷川司祭に署名を頂き、引き返す事にする。交通手段を聞かれたので、徒歩の旨ご返事すると、車で送るとのご親切なお申し出があったが、遍路ですからと丁重に辞退し、来た道を住吉町駅へ急ぐ。実は約半年程前までは、知多半田駅から本数は少ないが、知多バスが走っていたのだが、採算が悪いために廃止されてしまい、この長距離を歩く仕儀となったのである。
下り坂とは言え、急ぎ足が時折もつれ、転倒などしてはみっともないと、慎重さは失わぬ様気を付ける。予定の電車にぎりぎりとなり、焦って、踏切まで来ると、幸いな事に太田川方面のホームは踏切の手前であり大いに助かった。トイレに寄ってホームへ立つと、直ぐに電車の入線である。「住吉町」発9:39の「金山」行き普通電車に乗車、空いており充分着座できた。「半田口」・「植大」に停まり、「阿久比」へ9:45到着。ここで、後続の9:47発「名古屋」行き特急に乗り換え、先頭車に乗車し着座。途中「太田川」と「神宮前」のみに停まり「金山」へ10:08に到着。西口の階段を昇り、JR・名鉄の連絡改札口を通って、JR東海道線ホームへ向かう。なお、JRの金山~刈谷400円は「TOICAカード」を使用。「金山」10:21発の新快速豊橋行き最後尾の車両に乗車、途中「大府」のみに停まって、「刈谷」へ10:35に到着する。

4.刈谷教会
「刈谷」駅改札を出て左方向の名鉄側へ進み、名鉄改札前を素通り、右手のエレベータで地上へ降りる。最近整備された駅前駐車場を通して見える右斜め奥へ延びる道を進み、「南桜町」「市民会館前」信号交差点を過ぎ、次の道を右折すると、「刈谷教会」。
駅からの距離約600m。比較的自宅から近くにあり、勤務先であったデンソー本社からも目と鼻の先にありながら、一度も訪ねた事のなかった教会である。暁星幼稚園を持つ想像以上に大きな教会に改めて驚いた。写真撮影等済ませた後で、司祭館を訪ねると、若い男性が顔を出したので、署名をお願いしようとしているところへ、東南アジア系(後に矢切庵主に確認したところインド人であった)で小柄なフィリップ神父が出てこられ、署名をお願いした。(修道中?、鳴海教会の矢切庵主こと石脇神父の教え子であった由。)神父からお茶をどうぞと勧められたが、先のスケジュールがあるからと、お断りしたのだが、「ちょっと待って。」と中へ入られたので、若い男性に丁重にお断りするとともに、神父によろしくと言付け、逃げるように来た道を急いだのだが、半田教会までの道中続けてきた小走りと早足の疲労が残り、思うように足が進まず、名鉄刈谷駅の改札口を通るところで予定の電車に逃げられてしまった。幸い、三河線は15分間隔の運行なので、安城で予定した昼飯を返上する事にした。「刈谷」発11:23の「知立」行きに乗車、空いている。途中「重原」に停まって、「知立」へ11:29に到着。階段を下り、地下道を抜けて6番線へ急ぎ、11:33発「東岡崎」行き普通電車に乗車、途中「牛田」に停まって、「新安城」へ11:39に到着。

5.安城教会
ホーム後方の階段を下り、地下道で南口へ出る。駅前から右手の道を進み信号交差点を右折、「八千代病院」の案内矢印の方向へ進む。左手に大きな工場のコンクリート塀が続く。300m程先の信号交差点を左折し、左手に「八千代病院」を見ながら300m程進み、「住吉町7」信号交差点を右折して進むと200m程で「安城教会」に到着。
3年程前、親友の大嵜順弘が北米で死去し、現地で葬儀後、所属教会のこの安城教会で追悼ミサが立てられた折、始めて訪れたところである。当時はガランとしていた教会前の駐車広場が満車状態で、お御堂では、東南アジア系の人達が活発な集会をやっている。邪魔にならぬように、写真撮影と100円献金を済ませて隣の広間へ退出し、そこに居られた司祭に署名をお願いしたついでに、「お御堂はなにがあるんですか?」と尋ねると、「家族の勉強会。」との返事。この司祭も小柄な東南アジア系で、「デメロ・アンセルモ」とカタカナで署名してくださった。お御堂での祈りができなかったので、駅へ向かう途中で、歩きながら捧げた。駅周辺で軽食を採れそうな店も無さそうなので、東岡崎へ着いてから時間を見て、採る事にして「新安城」駅へ来て見ると、丁度12:16発の「豊橋」行き急行が入ってきたので、乗車し、「東岡崎」までノンストップで12:22に到着。
途中で渡った矢作川鉄橋下の河原ではしじみ採りなのか大勢の人がしゃがみ込んで砂を掻いていた。また、岡崎公園前通過時には桜のシーズンが終わっているが、行楽客で結構賑わっていた。

6.岡崎教会
「東岡崎」北口を出て、とりあえずバスターミナル④番のりばで「芦池橋」を通るバスの時刻を見ると頻繁に出ているので、とりあえず、軽食を採る事にして、駅周辺を見渡すが、適当なのがないので、少し歩いてみると、うどん屋があったので、飛び込む。メニューを見るのだが、最近の流行で、定食が多い。店員に「天ぷらうどんの単品は無いのか」と聞くと「できます。」と、ぶっきら棒に応える。「バスの時間があるから早く頼むぞ。」と云うと、「順番ですから・・。」と。気に入らん応対だ、と思いながら待つと、結構早く運んできた。急いで掻き込んだ割には結構美味であった。580円也を払ってバス停へ急ぐ。12:57発の「福岡町」行き名鉄バスに整理券を取って乗車。始発ではないので、先客でほぼ満席だったが、幸い先頭の席が一つ空いており、着座できた。バスは渋滞等もなく、13:02「芦池橋(あしいけばし)」バス停へ到着。180円支払いバスを降り、地図で確認してあった道順に従い、バス停後方の道を入ると、想像に反する急な登り坂である。オッチラオッチラ登っていくと、右前方の高いところに十字架が聳えて見える。長浦教会の時よりきつい勾配である。200m程登ると、右手石段上の駐車場を挟んで、さらに石段の上に「岡崎教会」の比較的大きなお御堂がある。駐車場の端に寄らないと建物の全体がカメラに収まらない。お御堂が開いていたので、中へ入り、祈りと撮影を終えてから、インターホンで司祭にコンタクト、署名を頂く。お若く見える島袋神父である。
岡崎教会を後にして、急坂を下り、バス通りに出て、降りたバス停とは反対方向へ進み、「芦池」信号交差点で道路を渡り、さらに進むと東岡崎方面行き「芦池橋」バス停へ着く。予定より早めで「東岡崎駅」行きの名鉄バスが来たので、整理券を取って乗車すると、今回も一番先頭の席が空いており、着座できた。左手一番前の席は、床下の車輪の所為か、1段高くなっているので、着座や降りる際、行動し難いため敬遠されているのかもしれない。5分程で「東岡崎」駅南口の方へ到着、180円支払い下車、改札へ行くと、予定より1本前の13:35発「豊橋」行き特急に間に合い乗車できた。
途中「国府」に停まり、「豊橋」へ13:56に到着。「豊橋」駅の改札はJRと名鉄で共用されている。改札を通り、トイレを済ませ外へ出ると、そこは地上から1階分高い駅前広場になっている。中央左手にある階段で地上へ降りると豊橋鉄道市内線の発着場である。既に1台の路面電車が入線して客待ちをしている。「豊橋駅前」14:10発「運動公園前」行きである。
この路線には、昔名古屋を走っていた市電を譲り受けた懐かしい車両が活躍していたが、数年前に大量に廃車され姿を消した様である。この路面電車は150円均一で乗車時に支払うシステムである。車内はガラガラ状態である。駅前を発車すると、広い道路中央に建つセンターポール架線の下をのんびり走りながら、「駅前大通」・「新田」・「札木」に停まり、広い十字路を右折し、「市役所前」に14:17に着く。

7.豊橋教会
「市役所前」電停の安全地帯から信号に従って歩道へ移動し、市電の来た方向へ一筋戻り、右折すると直ぐに「豊橋教会」がある。お御堂へ入り祈りと撮影の後、司祭館を訪ねると、女性がにこにこしながら現れ、「良くお越しくださいました。」と迎えられたので、署名を求めると、「神父様がおいでになりますから・・・」とファイルごと奥へ持って行かれたので、暫し待つうち、背の高い外人神父が顔を出され署名くださった。勉強中に邪魔をしたようであった。
教会はこじんまりした感じだが、勾配のきついトンガリ屋根のモダンな建物である。
来た道を「市役所前」電停へ戻り、電車を待つ。程なく到着した電車は試合帰りと云った風情の高校生でほぼ満員であったが、数人分の席が空いていたので、断って座らせてもらった。ちなみに、彼等はこの後、わたくしと同じコースを三河線まで移動していたから、スポーツ大会か何かに参加した豊田市辺りの高校生達だったようである。
「豊橋」駅へ15時少し前に着くと、「豊橋」15:02発「新鵜沼」行き快速特急に間に合った。豊橋へ来るといつも「やまさ」のちくわを土産に買うのだが、駅構内のキオスクにあるちくわは値段の割にごちゃごちゃと色々な種類を組み合わせてあったのと、発車時間までの時間的余裕が無かった事から断念する。

8.聖心教会
快速特急の後ろから3両目に乗車し、定刻に発車。途中「東岡崎」のみの停車で「知立」へ15:31に到着。ホーム後方の階段を降り、地下道を通って2番線へ移動し、三河線の15:35発「猿投」行きに乗車。「三河知立」・「三河八橋」・「若林」・「竹村」と停まって、15:53に「土橋」へ到着。
この沿線にはいろいろな思い出がある。わたくし達一家はわたくしが小学2年生から4年生の間、若林に疎開していたのだが、当時この沿線は一面の田園であった。竹村は終戦前日8月14日に、折から通過中の三河線電車に米軍艦載機P51が機銃掃射を浴びせ、運転手と乗客数人が即死する悲劇が起こったところである。既に敗戦が決まっていたにも拘らず最後の攻撃をする必要がどこにあったのかと、いまだに憤りを覚える。
「土橋」駅改札を出る頃には、脚と腰に疲労を覚えるようになってきたので、エレベータを利用して北口へ降りる。駅前駐輪場横の道を北へ向かい、155号線を左折して進む。往時の田畑が広がる風景をイメージしていたわたくしは、国道の両側に連なる店舗を含む家並みにいささか戸惑いながら歩を進める。500m程行くと「土橋小学校」の案内盤があり、そこを右折、緩やかな登り坂を200m程進むと左手に小学校があり、子供達の元気な声が聞こえる。休日のレクリエーションでもあるまいに、等と思いながらひたすら歩く。やがて、突き当った高岡街道を左折し、300m程で、東名高速道路を跨いで「清水町」信号交差点へ辿り着く。右手に「聖心教会」が姿を現す。
がっしりした立派な建物である。お御堂を出て司祭館で署名を頂き後で気付いたのだが、「鄭有結(名古屋教区)」とあるから、韓国人神父だったようだ。
教会から駅への戻りには、「清水町」から東名高速を跨いで直ぐ右折し、東名沿いの道を155号線へ出て左折した。若干近道になりそうに感じた。
駅と教会の距離は疲労の所為もあるが、予想よりも長く感じた。「土橋」駅手前の「土橋町8」信号交差点を右折すれば、近道のように思えたので、右折し進むと、駐車場で、通り抜け不可であり、やむを得ず引き返し、来た時の駐輪場横の道で駅へ着く。エレベータを使おうと思ったが、手前の階段横にエスカレータがあったのでこれを利用した。「猿投」行き電車が入線していたが、走る元気がないので、エレベータでホームへ降り、ベンチで15分後の電車を待つ。
「急がば回れ!」の実体験であった。

9.平針教会
「土橋」16:53発「猿投」行きに乗車、途中「上挙母」に停まり、「豊田市」へ16:59に到着。着いた1番線から階段を使って、2番線に移動し、発車待ちの17:05発「上小田井」行きに乗車。
赤池を接続駅として、名鉄豊田線と名古屋市営地下鉄が相互乗り入れしている。今回乗った電車は地下鉄車両であった。
「豊田市」を出ると、次の「梅坪」で三河線から豊田線に入り、「上豊田」・「浄水」・「三好ヶ丘」・「黒笹」・「米野木」・「日進」と停まり、地下へ潜り、「赤池」。ここから地下鉄鶴舞線区間へ入り、17:28「平針」着となる。
改札横の駅員に赤池・平針間の地下鉄料金1区200円を精算。わずか1・1kmで200円はなんとも高過ぎる気がした。
改札を出て、壁面に掲げてある「駅周辺の案内図」を見ると、平針駅前信号のあるバスターミナルは1番出口とあるが、地下道が矢鱈に長く感ずる。1番出口への曲がり角のトイレで用足し後、1番出口を出て、信号交差点を東へ向かう。100m程の信号交差点を左折して進むと程なく左手に「平針教会」が現れる。道路側から教会全景を撮影し教会の門を入り、司祭館へ直行する。開いていた入口から呼びかけると、比較的高齢の司祭が顔を出されたが、どこかで会った気がする方である。司祭の方も、そんな感じであったので「どこかでお会いしませんでした?」の質問から、チャンスのありそうな場所を言ってみたが、該当する記憶にはお互い行きつかなかった。署名は森山神父であった。
お御堂へご案内頂き、うす暗くなったお御堂の電気を付けて下さり、「ごゆっくり、ご自由に。終わりましたら、このボタン4つで、消灯してください。」とのご指示。「では、消灯しましたら、ご挨拶せずに失礼させて頂きます。」と断り、本日最後の祈りと撮影を終え、退室。
「ああ、終わった。今日のは、きつかった。」とつぶやきながらもホッとして、「平針」駅へ戻り、長い地下道を抜け、金山までの地下鉄乗車券290円を求めて、階段を降りようとすると、左脚太股内側と、左膝裏側の筋に激痛が走り、左足から先に階段を1段降ろし、次に右足を揃える繰り返しでないと階段が降りられなくなってしまった。平地も足を引き摺るようにしなければ歩行できない状態になり、ホームで電車を待つ間も、「えらい事になった。」と、日頃見かける足の不自由になった高齢者の姿が頭をよぎり、暗澹たる思いに駆られた。
休日とあって、日頃のラッシュアワーの混雑は無いと思っていたが、車内はかなり混んでいる。3人掛けの優先席に男女2人の若者が腰掛けていたが、男性の方が、立って譲ろうとしたので、「一緒に座りましょう。」と真中へ座ると、改めてその若者も座れ、助かった。
八事乗換にしようか、上前津乗換にしようか迷っていたが、「上前津」まで行く事にした。「平針」から「原」「植田」「塩釜口」「八事」「いりなか」「川名」「御器所」「荒畑」「鶴舞」と停まり、やっと「上前津」へ到着。上前津も金山も乗換に際しては、エレベータやエスカレータのご厄介にならざるを得なくなるとともに、平地歩行もゆっくりゆっくりで、電車の予定時刻は無視せざるを得なくなったが、「金山」発19:03豊川稲荷行き急行に乗れ、「前後」へ19:21に辿りつく事ができた。前後駅のエレベータを始めて利用したが、全国的にどの鉄道でも推進し普及しつつあるバリアフリー化の必要性を身近に感ずる事ができた。「前後」駅を出て、駐車場への長い階段に最後の難渋をしながら、車に辿りつく事ができた。

10.初日のまとめ
5月1日は当地方では今年最高の気温だったと後で知ったが、出発時心配した軽装にしたお陰で寒からず暑からずの日和に恵まれ、まさに「神に感謝」である。全教会で司祭にお会いでき、署名を頂け、突然の訪問にも拘わらず、暖かくご応対下さったことに、改めて感謝の気持ちを抱くものである。
名古屋市内の場合、本数の少ないところはあるものの、市バス路線があるので、事前に調査をし、ある程度の余裕を持って計画しておけば、歩行距離は比較的短くできるが、今回の場合は、路線バスが無いか、あったが廃線になった等で鉄道の最寄り駅からの歩行距離が長く、欲張り過ぎの反省点が残った。
各教会ともそれぞれモダンな設計になっており、お御堂も概して明るく、内部のレイアウトも工夫されており、聖像も大あり小あり、また、スローガン等の表示が掲げられ、それぞれの神父様のお好みなのかと微笑ましい気持ちで拝見した。
7つの教会はベンチ式であったが、半田と刈谷は個脚やパイプ椅子で、何かの催しに信者会館的に使われる時の便宜かと拝察する。
本文中にも記したが、各教会でお賽銭代わりに、100円づつの献金をしたが、献金箱のない教会では、説教台の上や、マリヤ様の小さい像に花が供えられてある台の上へ置かせて頂いた。盗難防止の意味があるかもしれないが、賽銭泥棒も多くは無い筈故、用意される事を勧めたい。
また、祈りも主梼文1回と天使祝詞10回でご勘弁頂いたが、時間の無いところでは、駅と教会の往復の間に唱えてお許し頂いた。いずれにせよ、落語に出てくる坊さんのお経のように、他所事を考えて唱えたところもあったと思うが、寛大な神様は「効果一本!」と認めてくださると信じている。
平針から急に不調を来した脚痛も翌日1日自宅の階段の昇降に苦労し、しょげ返っていたが、翌々日には、嘘のように治り、改めて、自然の回復力に驚かされた。(「神のご加護があった」と云うのは、「神の名をみだりに呼ぶなかれ」の掟に反するかも知れないので、あえて書かなかった。
2日目の方は1日目に比し、歩行距離が若干短い筈なので、今月の23日(日)か30日(日)にチャレンジしようと思っている。
(了)