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2009年10月12日月曜日

神道とカトリックの対話1

 我が国にキリスト教が到来してから(天文十八年)約四世紀半になる。この間、キリスト教は、我が国既存の諸宗教との間に様々な歴史的、文化的経緯を経て育って来たが、戦後の混乱や、占領軍・駐留軍の隠然とした影響力が漸く終息した昭和三十年代後半頃から少なくともカトリック教は、他宗教に対してほぼ正常な態度、関わりを持つことができるようになった。ちなみに、キリスト教の自己理解、他者との関連について世界的な影響を及ぼした所謂バチカン第二公会議の終幕したのは、昭和四十年であった。一般の人々の表面的な印象では、神道とキリスト教は、しばしば緊張関係にあったように思われているようだが、実際に詳しく観察してみると、キリスト教と緊張関係にあったのは、むしろ、判然とした区別は難しいが、我が国の宗教一般、文化、社会、思想、政治などとであって、必ずしも、固有の意味での神道そのものとではなかったようである。この事実に関しては、更に詳細な分析、考察が必要とされようが、筆者の能力を超える問題であるので、割愛する。ただ、キリスト教に対する固有の神道の側からの神学的な対決が、余りなかったことも、その功罪を抜きにして、緊張状態が生じなかった一つの要因であったのではなかったか、と言う点を指摘するに留める。恐らく、この様な言明に対しては、世に言う国家神道との関係が、持ち出されるかも知れないが、筆者は、この問題はいわば偶発的な出来事であると考え、別に所感を述べたいと考えているので、ここでは触れない。
 とにかく、過去は、過去として、無限に開かれている未来に向かって、キリスト教が、民族の心である「神道」とともに微力を捧げて、人間一人一人の真の幸福、民族の繁栄、世界の平和のための、そのかむながらの働きに些かでも貢献できるように、神道に対するこれからのキリスト教のあるべき関わり方の一端を述べて識者のご批判を頂きたい。