ページ

2009年7月21日火曜日

天降る神と訪れる神

更に考えるべきは、記紀においても見られる、天降る神と訪れる神との区別である。前者は、記紀の根幹を為す神々として随所にみられるが、後者の典型は、少彦名神(記では、神産巣日神、紀では、高皇産霊神の子神)と山幸(彦火火出見尊)神話である。このことは、基層神道の信仰が、垂直方向と水平方向との二つの軸を持つ宇宙観を抱いており、そのこと自体が、また文化の複合性を示唆している。こうして「カミ」は、天に住むと共に、また海の彼方にも住むと考えられた。ちなみに、天も海も共に「アマ」と呼ばれていたのは周知である。
 記・紀が例えば、アメノミナカヌシノミコトの様な「考えられたカミ」を冒頭に置いている事実を指摘して置こう。即ちこの事は、記・紀が単に既存の信仰を採録しているだけではなく、広い意味で「神学」していることをも意味するものである。つまり、この神名の本来の意味は何であるかは別として、少なくとも記・紀の神話に或種の総合性をもたらすために、広い意味でのカミという概念を理性的に理解しようとする努力が加えられている事の印である。前述の区別によれば、所謂二次思考がなされている訳である。その結論を受け入れるかどうかは別として、我々は、ここに神道に於て、少なくとも原理的に「神学」する事の可能性が示唆されているのを認めるものである。