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2009年7月22日水曜日

神道における個人信仰

記・紀神話に現れる神々をその働きの上から分類すると、氏神、土地(産土<うぶすな>)神、霊験神に分けられよう。勿論この区別は、互いに排他的ではなく、ある面で重なり合っているのは、言うまでもない。氏神は、勿論氏族が尊崇するカミであるが、氏は、寧ろ社会学的な概念であって必ずしも生理的に同一の血統を共有しているとは限らない。この意味で寧ろ土地神的な要素を多分に含むものである。従って、厳密に見て行けば、氏神と土地神との境界は、曖昧である。氏神の一種として所謂皇室神があり、これが後に国家神道もしくは、天皇制神道に発展して行く訳である。土地神は、一定の土地に結びついているカミで、その土地から豊かな(農)産物をもたらすと信じられているが、この概念は、更に拡大されて一般に職業による生産物を司どるカミともなる。恐らく発生的には非常に古い土着のカミを現わすものであるかも知れない。霊験神は、何等かのご利益もたらすと信じられているカミで、当然氏神や土地神がこれを兼ねる事もあり得る。
 所で、常識的な神に就いて言えば、一般に、神は、存在的には人間に依存しない筈であるが、認識的には人間に依存する。つまりわかりきったことであるが、人間がカミを認識するから初めてカミについての人間の思考が成立するのである。特に神道の場合それが言える。すなわち、神道のカミは、その大部分が、所謂祭られるカミであって、思弁の対象としてのみ存在するカミは殆どない。即ち、ある特定の人(々)の哲学的な思索の対象として捉えられることが殆ど無かったから、カミを斎つく集団があって初めてその集団が祭るカミとして成立した。そして多くの場合その集団と共に消長した。実際、神道では、個人的信仰は、仮に在ったとしてもその検出はほとんど不可能であり、信仰は、概して部落、もしくは氏族の集団的信仰であった。従って、我々は、前述の北方系もしくは南方系の要素を考慮する外に、当時の部落がどんな状況にあったかを推定することによって、ある程度その部落の集団的信仰、そしてその神観を推定することができる。類型的には、豊富な水源としての山、その水を運ぶ川、この川に沿い、外敵から比較的安全に守られた山麓の小さな空間、このようなところが、稲作農耕、特に水田を営む当時の部落の最適な立地条件であったろうと思われる。事実、当時の遺跡は、このような場所で多く発見されている。人々は、このようなところに比較的緊密な結合を保ちながら住み着き、自分たちの間で協力しながら稲作に従事したのであろう。彼らにとって最大の関心事は、農作物が豊かに実ることであったに相違ない。物理学、生物学についての知識がまだ十分でなかった、当時の人々にとっては、豊作をもたらしてくれるものは、単に人間の努力や、自然の天候のみではなく、これらの彼方に働く、或超越的な力であった。すなわち、彼らの目には見えないが、回りには神秘な力が取り巻いていて、それが時と場合によって、色々なものを生み出し、農作物には豊作をもたらしたり、あるいは不作をもたらすと考えられていた。前述の様に、記・紀ではこのような力は、まず植物を成長させる生命力として捉えられている。すなわち、「むす」力である。しかもこの力は、一定の原因を与えれば、必ず一定の結果をもたらすような、生物学的、物理学的力として捉えられているのではなく、人間の思議や統御を越えた神秘的なものとして崇められていたのである。記・紀では、この神秘性は、「ひ」とか「ち」とかあるいは「たま」と言うような言葉で表現されている。つまり、崇拝の対象になっているのは、「力」そのものであるから、その現れ方は本来無特定である。こうして、農作物に豊穣をもたらす限りに於いて、糞尿までも「カミ」として崇められたのである。この中、「たま」はしばしば漢字で「霊」と書かれているが、これは、事物には目に見えない「霊 anima」と言う実体が宿っていると言う観念を意味するのではなく、ある特定の場合に、そして、ある特定の事物に具体的に神秘的な力が現れると言う信念である。この意味で、これをアニミズムもしくはアニマティズムと理解するのは必ずしも正確とは言えない。又以上の考えを自然物崇拝と言うのも当たらない。山や森や木その他の自然物そのものが崇拝の対象となっているのではなく、ある特定のもの(山、森、木など)が具体的に、そして多くの場合は一時的に、「たま」を宿すものとして、或はむしろ「たま」そのものとして崇められるからである。つまり、例えば、どんな山でも尊いのではなく、部落や氏族との関係で特別な力を現す山のみが尊いのである。