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2009年8月2日日曜日

宗教体験の体系化

宗教体験は、誰にでも見られるものであるが、それが人間の体験である限り、多少とも、体系化、社会化を目指すものである。即ち、体験は、人間ペルソナの働きとして、根源的に知性の活動であり、その限りに於て、非質料的であるが、この様な活動は、いわば裸のままで存在し続けることは、不可能ではないにしても、極めて困難である。通常、体験は、概念(言葉)や行動を前提とすると共に、またそれらに依って維持、表現される。概念・行動は、歴史と風土、更に一般的には、「文化」の影響を強く受けている。従って、宗教体験も、文化に必然的に制約されているとは言えないにしても、文化に影響されるところは大である。
 この様に、宗教体験は、体系化、社会化をある程度自然に指向するので、ある一つの宗教体験は、特にそれが、深く強烈な場合は、多くの人々に追体験、共有され、様々な行動や制度に依って維持、伝承されて行く。体系化され、制度化され、社会化された宗教体験を「制度としての宗教」と呼ぶ。勿論、現実には、「制度としての宗教」の「制度化の度合」は、極めて多種多様である。「宗教体験」と「制度としての宗教」とは、分離して実在し得るものではないにしても、少なくとも概念的には、区別されたものである。従って、同種類の宗教体験が、それぞれ異なった「制度としての宗教」に依って「担われる」ことも論理的に不可能ではない。