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2009年12月28日月曜日

神道とカトリックの対話:むすび

むすび
 吾々の理性は、上述のように、本来、唯一神論的傾向がある。宇宙の根源的な原理が多であるとは、考えられない。従って、唯一でなければならないはずであるが、この場合の「一」は、果たして、宇宙を超越する根源的原理の述語で有り得るだろうか。上述のように、同一次元において「多」と対立する限りでの「一」、「多」の単位としての「一」でないことは、明白である。すべての「数」の源泉ではあっても、それ自体、「数」を無限に越える者である。この意味では、唯一神論は、形而上学的次元においても厳密に言えば、誤りである。結局吾々は、この原理を表わす適切な概念を持ちえないわけである。敢えて表現しようとするならば、「零」、「ゼロ」とするべきであろう。吾々としては、キリスト教神学の神観を唯一神論ではなく、零神論として捉えたいと考えている。
 さて、キリスト教の信仰に深く帰依している一老神学徒として、意を十分に尽くし得ないまま、神道の「神観」について、所見を述べた。吾々は、神道もキリスト教も帰する所、同一であるなどとは考えていない。また、両者は、何時か融合すべきである、或いはそれを目指して努力すべきであるとも信じない。根本的に不完全、相対的である現存在世界にあって、神道もキリスト教も今後とも共生し、現世における人々の幸せのために、共働して行くべきであると信じる。融合しないと言うことは、全く無関係に併存すると言うことを意味しない。健全な本物の対話を通して、互いに理解し合い、それによって自己改革を絶えず継続することで、それぞれの神与の現世的使命を相応しく果たすことができるであろう。そのためには、神学次元での対話が、欠くことのできない要件となるはずである。

2009年12月1日火曜日

神道とカトリックの対話11

上田賢治先生は、第2の問題点として次のように述べておられる。
「第二にI氏は、存在世界の本質を問うて神に至る時、それを「多」とすることは理性の立場から見て不可能であり、現実の在りようは、判断の停止か、究極的なる「一」を求めるしかない筈だと主張される。確かに筆者は、相対性の自覚が絶対観念の存在を前提しなければならないことを述べた。我が国の神話編成時代には、既に儒・道・仏の思想さへ伝えられていたと考えられるからであり、そして更には、もし絶対の観念を持たなければ、相対的な自己を絶対化して、相対の調和を発想することさえ不可能であったに違いないだろうからである。しかし筆者が神道哲学の拠り所とする神話には、一神としての絶対は語られていない。神話は、所与或は既存としての混沌から多神の出現を語り、混沌そのものを神化或は絶対化していないのである。神世七代の最後に出現された伊邪那岐・伊邪那美の両神は、国生みの始めに失敗し、事後指針を天神に問うたところ、天神は卜占に拠ることを指示しておられる。これは延喜式祝詞の中、最も重要な祝詞に使われる表現「天津神諸々の命もちて」から推すと、最貴とされる天神も一柱ではなく、多であるからこそその意志が御卜によって示されたのだと考えられる。究極的一は、一神ではなく多なのである。
 このような発想の成立しうる根拠が一体どこに由来するのか。筆者は現在のところ、それはやはり日本人の存在理解の在り方そのものに発しているとしか表現の仕様がないと考えている。事実日本語、本来の「やまとことば」には、存在を表す言葉として「ある」一語しかなく、西洋語の如く、例えば英語のエギィジステンスとビーイングの区別、或はドイツ語のダーザインとザインのような意味分別は発想されていない。「ある」ということは現存在的に在ることであって、それを超越するものなど発想されてはいないのである。多がある以上、理性的・論理的には究極の一が求められねばならないとするのは、やはり一神教を前提とする論理であって、神道のそれではない。或はユークリット幾何学と非ユークリット幾何学との相違であるとでも言うべきか。」
 ここでも、吾々が述べたのは、「それ(神?)を「多」とすることは理性の立場から見て不可能」である、と言うことではなかった。また、相対を理解するには絶対の「観念」が必要であると主張したのでもなかった。確かに「筆者が神道哲学の拠り所とする神話」の神々は、すべて相対的であって「一神としての絶対は語られていない」ことは、言うまでもない。天照大御神も、天御中主神すらも所謂ゴッド的絶対超越神としては語られてはいない。吾々が問題としたのは、個別、固有の神格を持っておられる神々やゴッドが、現実にどの様に拝まれているかということではなく、神学が「学」である限り、「存在世界の本質」を不問に付して置くままでは済まないのではないかと言うことであった。これは確かに存在論の問題であるが、何らかの存在論を必須の手段として用いないでは、神学は、学、つまり原因に基づく確実な認識の体系としては成り立たず、精々神に関する思弁的、思索的エッセーに留まってしまうのではないか、と吾々は考えている。ところで、学の視点から言えば、存在世界の究極の根元は、言葉に出して言うなら、「一」であり、少なくとも「多」ではあり得ないだろう、と吾々は、主張した。これは、上田賢治先生が言われるように「一神教を前提とする論理」ではなく、既に述べたように、否矛盾律を根本原理とする人間知性の基本的構造に基づくことである。但し、この「一」を直ちに、「ヤハウェ」、「ゴッド」と同一化した所に、ユダヤ教やキリスト教の齟齬があった。そして、この齟齬は、ユダヤ・キリスト教が育った唯一神論的思考様式に由来するものと思われる。私見では、究極の根元を「一」と表した瞬間に、それはもう正確でなくなっている。何故なら、吾々の言葉では、「一」は、「二、三、・・」に対する「一」であって、相対化されているからである。それ故、「言挙げ」しないことが最も賢明な態度であるかもしれない。この点で、神道神学の方が、キリスト教神学よりも「方法論的に」優れていると言えるのかも知れない。
 しかしながら、神学は、学である限り、不完全ではあるが(それを十分意識した上で)、言葉を用いないわけに行かない。この場合、存在世界の究極の根元は、極端に言えば、遠藤周作が言うように、「玉ねぎ」でも何でも良いわけであるが、「無」とか「空」とか「零」と言うのが最も穏当であろう。
 とにかく、形而上学的・論理的次元では、上述の様に、所謂「絶対者」が二つ以上あるとは考え難い。しかし、神道神学は、実際にその様なことを主張しているのであろうか。そうではあるまい。そもそも「神」と言う概念そのものに問題があるのである。上述のように神道で言う「神」は、一義的な概念ではない。また、絶対者、完全無欠者、超越者などを表わしているのでもない。神道の神は、形而上学的、論理学的概念と言うよりはむしろ言わば宗教的概念であり、常人よりも何等かの意味で多少優れた信仰なり礼拝の「対象」と考えられているものである。敢て言えばそれは、吾々の宗教活動の「焦点」である。所謂「多神教」と言うのは、宗教の実践的活動の場においてこの様な「焦点」が多数在り得る事を主張する立場である。ここで言う「礼拝」と言う概念もキリスト教神学で厳密に「定義」されているような所謂 adoratio つまり唯一絶対の Theos に対する全存在を挙げての排他的帰依を指しているのではなく、無論それを否定するものでもないが、もっと単純な「有り難し・畏し」と言う心地を表わすものである。多神観は、形而上学の次元で絶対存在者が幾つもあると言うことを直接に問題としているのではない。この様な問題については敢て論及を差し控えると言うのが本旨ではなかろうか。宗教活動の焦点が複数である、あるいはこれらの焦点が時に応じて変動すると言うことは決して矛盾ではなく、普通一般に見られる現象である。これは哲学的な唯一神論の立場に立つ、例えばキリスト教の様な場合にも事実上見られることは既に述べた。実際に、一般のキリスト教徒が「ゴッド」を礼拝している場合、その「ゴッド」は、形而上学的、論理学的な概念であろうか。果たして人間には「絶対完全者」そのものを直接の認識対象とすることが可能であろうか。結局、実際には、複数の相対的概念を結合して間接的に「神」を考え、それを「ゴッド」と言表しているのである。形而上学、哲学の次元では、唯一神論が論理的に説かれるが、宗教上の次元、つまり実践の場では宗教活動の「焦点」は、決して単一ではない。そればかりか、これらの「焦点」は、キリスト教においても時と場合に応じて種々に変動していることも否めない。従って具体的な宗教現象、信徒の心理現象として見た場合、所謂「多神教」と言われるものからそれ程掛け離れている訳ではない。
 要するに、多神観は、神学の主要な領域である抽象的、形式的、論理的、思弁的な形而上学の次元では、究極の原理として厳密な意味では成立し難いが、宗教次元ではむしろ人間の自然に適した妥当な態度である。畢竟、人間が救われるのは、「理性」や「哲学」によってではなく、ペルソナとしての神、人間を無条件に愛する神によるのである。この神の「客観的属性」がどのようなものとして概念化されるか、「私」の救いに取っては、それほど重要事ではない。つまり、冷厳な論理的首尾一貫性、整合性を認識するのが救いではなく、人間の現状を暖かく癒し、高めてくれる神との合一が救いなのである。
 とは言っても、人間は、最終的には理性に立たざるを得ない。判断中止は常に可能であるが、思考を続ける限り、理性の立場を自ら堀崩すことはできない。それ故、理性の範囲内では、万物の根源原因は、もしあるとすれば、それは、一であって、多であることはできない。少なくとも人間の理性はその様に構造されている。従って、吾々は、「多神観」もしくは「多神論」を万物の最終的説明根拠に置くことはできない。宗教実践の次元で、多神観を容認するのが本質である神道も、神学の次元、形而上学の次元に踏み込む限り、この問題は、避けて通れないだろう。或いは、キリスト教などのように、事実上の多神観を唯一神論の「神統譜」の中に統合するか、或いは、仏教などのように、「一即多」の汎神論的理論を展開するか、或いは、思考中断を敢えて選択するか、のいずれかでは無かろうか。ここに神道神学が、学として解明を求められている問題点の一つがあると思われる。

2009年11月2日月曜日

神道とカトリックの対話10

上田賢治先生は、Iに対して以下のようなご批判を述べられた。
「(神道の多元論的真理観に対する)I氏の批判は、凡そ二点に集約されると思われる。
 その第一は、・・信仰者の信仰実修、・・神道者の神理解に関する問題である。氏によると、宗教はすべて心理現象的には、多神論的であるのが当然で、イスラエルにおけるヤーヴェや西洋キリスト教におけるゴッドが、唯一絶対の思考枠を示すものとして理解されたことに、むしろ誤りがあったとされる。敷衍すれば、ヤーヴェやゴッドの概念は信仰対象の当体或は実体を示すのではないと言うことであろうか。そこで同氏は刃を返し、神道の神社に祀られた神々を信ずる人々の場合も、その心理的な態度において、キリスト者の神、仏者の仏に向けられた心情と何の変わるところがあろうかと言われる。つまり、民衆のレベルにおいて、神社の神はすべてゴッドではないのかと主張されているのである。その論の補強を目指してか、氏はまた神道の神と雖も、信仰の実際面では現実世界を超越した神性を備えたものとして、理解されているのではないかと問うておられる。
 確かに具体の姿を持たぬ普遍はないという意味では、キリスト教にもイギリスのキリスト教があり、ドイツにはドイツのキリスト教があることを、否定することは出来ないように思われる。しかし神道の場合には、果たしてどうであろうか。神社における祭りは、各御祭神の鎮祭・勧請の経由、御神格の相違によって、同じ祈年・感謝・守護の祈りであるとしても、原則的に、祝詞に表明された神名の役割と祈る側との姿勢には、形式的同一・類似のあることはともかく、内容的な一致を求めることは出来ないと言ってよいだろう。一般氏子崇敬者・・の場合においてさえ、その祭りが特定神または特定の神々に向けられたものであり、かつ特定の地域を対象とする祭であることの意識が、失われていないのが一般であるように思われる。それは参拝者が、御祭神の名を知らぬ場合においてさえ同様である、としてよいだろう。かつて折口信夫が、神道も実際には一神教である、と述べたことがあり、その主意はI氏の指摘しておられる論点と非常に近い。しかし筆者は反問したい。彼らは何故隣村の鎮守・産土を祀らず、自己の村に固執するのかと。そして我々は明治末の強権による神社統合が失敗した事実をも忘れてはならないであろう。やはり神道の祈りは、キリスト者が世界中の諸教会でそれぞれの様式に従って祈っているのとは、根本的に異なったものだと思われる。
 I氏はまた、神道の神と雖も、信仰の実際面において、現実世界を超越した神性を備えたものと理解されているのではないか、と問うておられる。しかし筆者は、これについても肯定的には応答しえない。もしそれを認めれば、日本人がその歴史を通じて、自己の居住地に、鎮守・産土・乃至は氏神社を持ちながら、なぜ様々な霊威を次々に勧請し、先在の神社に対する祭祀を廃することもなく、神社別の祭りに関わって来たかを説明することが不可能となるからである。神道の神々は、現実の具体と切り離された一般的超越性を保持してはおられない。その意味で、ゴッドとは言えない御存在なのである。例えば、極めて現実的な御利益を求めてのご祈祷祈願の場合でも、日本人は一社の神威がそれを満たし得ないと知ると、直ちに他社、特にその祈願内容に御利益ありと伝えられる神威を求めて、遠近を問わず、参拝祈祷寄進の行動を示すに違いない。そこにどうして、キリスト教のゴッドをイメージすることなど出来るであろうか。共通性を見出そうとすることこそ、むしろ先入主観による誤りであると言ってよいのであろう。」
 しかしながら、先ず、吾々が言いたかったのは、「ヤーヴェやゴッドの概念は信仰対象の当体或は実体を示すのではない」と言うことではなく、ゴッドと言う概念も、概念としては、相対的であり、絶対者ではないにも関わらず、例えばキリスト教において、信仰実修の次元でも絶対化されているところに問題があるということであった。従って、神学的には、唯一神論的に説明はされているが、実践上は、キリスト教徒の信仰は、例えば、聖人崇拝などに現れるように、相対的であり、多神論的である。それ故、この面を取り上げれば、キリスト教徒の場合も、その心理的態度において、神道の信徒の場合とそれほど変わらないのではないか、と述べたのであった。「神社の神はすべてゴッド」の「ゴッド」も上述のように相対化された限りにおける「ゴッド」の意味であって、「神道の神と雖も、・・現実世界を超越した神性を備えたものとして、理解されているのではないか」と言うことも、決して、神道の神々が、現実には、唯一神論的ゴッドと同じように、何時でも、何処でも普遍的に崇拝されていると主張したわけではない。所謂「帰依」の心は、その時点に限れば、心理的に絶対的なものに向けられるので、この点で、神道者もキリスト者も同じではないかとの意味であった。それ故、神道の神々が、一神教化されているという意味では決してなかった。「祭りが特定神または特定の神々に向けられたものであり、かつ特定の地域を対象とする祭であることの意識が、失われていないのが一般」であり、「日本人がその歴史を通じて、自己の居住地に、鎮守・産土・乃至は氏神社を持ちながら、なぜ様々な霊威を次々に勧請し、先在の神社に対する祭祀を廃することもなく、神社別の祭りに関わって来た」し、「神道の神々は、現実の具体と切り離された一般的超越性を保持してはおられない」ことも正にその通りであって、「筆者」ご自身の「反問」に自ら答えられた答えに、吾々は、全く同意見であって、「民衆のレベル」で、神道の神々と所謂ゴッドとが共通であるなどとは考えていない。このことは、次のご批判に対する吾々の弁明で一層明らかになると思う。

2009年11月1日日曜日

神道とカトリックの対話9

多神観
 以上のような性格を備えた神観は、或意味で、必然的に多神観に立たざるを得ない。そして、神道神学もこの事を否定しないばかりか、むしろ積極的に肯定している。この点に関して、上田賢治先生は、南山大学南山宗教文化研究所でのシンポジウムで次のように主張しておられる。「筆者(上田氏)は神道神学に関する従前の業績において、神道信仰の特色は・・単純多神、つまり多元論的真理観を本旨とするところにあると主張してきた。」確かに、歴史的にも、神道の信仰が多神論的であることは、議論の余地はない。本来の神道の「カミ」は、飽くまでも本居宣長の理解に近い「カミ」であって、キリスト教的大文字の Theos ではない。従って、本質的に相対的で、多神論的である。 この様な神観の妥当性は、宗教史的な観点からも、裏付けられよう。私見では、宗教は、本来多神論的であると思われる。特に古代の宗教は、実践的であり、多神論的である。要するに、神道の信仰の本質は、多神教であり、多神論的信仰を失えば、宗教としての神道は、その本来の面目を損なうと主張されている。
 以上を受けて、キリスト教神学の観点から多神観の意義について若干の考察を加えよう。従来の西欧流キリスト教思想では、多神観とくに多神教は、宗教の堕落した形態であると考えられていた。健全な理性なら当然唯一神は、一つでなければならない筈である。絶対者、完全無欠者が二つ以上ある訳がないからである。これが、彼らの理論であった。
 しかしながら、吾々は、この様な言明を即時に受け入れ、肯定する前に、上述の宗教上の次元と形而上学的、論理学的な次元とを区別して考える必要があると考える。
宗教上の次元
 信仰実践の次元においては、既に延べたように、人間の営みは、本来多神論的、或いは、吾々の表現では、「多中心的」である。これは、理論と言うよりも一つの事実である。唯一神教の代表と言われる、ユダヤ・キリスト教においても、その信仰の実践を客観的にみれば、多神論的、或いは、多中心的である。これは、聖書を良く読めば、自ずと判明する。尤も、これらの多神論的表現には唯一神論的解釈が加えられているのは、言うまでもない。これは、上述の「唯一神論的傾向」がしからしめているのである。
 「ヤハウェ」観念(観念という語に注意)というのも元来は、イスラエルの一部族神を表すものではなかったかと思われる。何れにせよ、自分自身の信仰を振り返れば、時と場合に応じて色々な「カミ」に祈っているが、これは、西欧のキリスト者にはみられないことだろうか。そうではあるまい。吾々は、この説を裏付ける証言、特に目撃証言を数多く持っている。ただ、このような「多神論的な信仰実践」が、「唯一神論的思考様式」の枠組の中で捉えられるか、「多神論的思考様式」の枠組の中で表現されるかは、また別の問題である。
 以上のような事実は、吾々の実際生活における多神観の意義をもう一度積極的に見直して見る必要を示唆するものである。つまり、多神観は、人間の堕落した考え方なのではなく、むしろ人間本性の正当な要求として捉えられるべきである。勿論、宗教の次元においても、宗教活動の対象つまり「神」に対しては、それが仮令「多神論的」であっても、信じる人々は、即時的、つまり祈願している時点で、心情的には絶対的な帰依、信頼、礼拝などを捧げている。形而上学的に言えば絶対者ではない対象に向かって、この様な絶対的行為を捧げるのは矛盾ではないか、との反論があり得ようが、これに対しては、確かに、相対的なものを絶対化する危険は、如何なる場合にも(唯一神教の場合でさえ)あり得るのであって、そのため絶え間のない自己批判が求められるのであるが、心情的に絶対化されたものが必ずしも存在の次元でも絶対化されるとは限らない、と言うべきであろう。

2009年10月30日金曜日

神道とカトリックの対話8

内在的神観
 吾々の経験するものは、すべて、相対的であり、動的である。永久不動のものは、若しあるとすれば、それは、或仕方で、経験を否定して、或は経験の彼方でしか与えられないはずである。それ故、神をそのまま相対的、動的に捉えることは、それを世界内存在者として捉えることに他ならない。単に、神が世界に働きかけると言うだけでなく、神は、世界の一部である。勿論、これは、世界と神が即同一であるということ、即ち、いわゆる汎神論を意味するものではない。しかし、神々と人間とは、本質的に同質である。神は人間の祖先であり、人間は神の血縁の子である。人を神に祭る(神として祭る)ことの可否について、論議があったが、神道の神観から言えば、別に異常なことではない。
 さて、キリスト教神学の観点からすれば、内在的神観は、必ずしも受容できないものではない。但し、この点に関しては、キリスト教神学でも余り明確にされていないと思われる区別について一言述べておかねばならない。そもそもキリスト教の神は、空間に制約されず、空間を超越するものと理解されている。ところで、「内・外」という概念は、空間を抜きにしては、無意味である。従って、空間を超える神が、世界を超越するか、内在するかということは、厳密には、無意味な設問である。若し、たとえ不完全ではあっても、この様な言明に多少意味を持たせようとするなら、肯定/否定の概念、若しくは、同一/他者の概念を用いねばならないであろう。即ち、若し、神と世界が同一とされるならば、神は、世界内在的であり、神と世界が全く無関係の他者とされるならば、神は、世界外に超越的であると言明することに意味があると思われる。
 しかしながら、従来、キリスト教が神の内在を言う場合、上記の意味での内在ではなく、神は、万物の第一原因として、創造されたあらゆるものの、いわば隅々にまで、その創造力を及ぼしている、と言う意味で、万物に内在すると言われる。つまり、原因は、或意味で、結果に内在すると言われるのである。吾々は、この様な意味での内在は、超越と矛盾するのではなく、従って、むしろ、「臨在」、若しくは、「内住」と言う表現で表す方がより適切であると考える。
 さて、既に述べたように、神道の内在的神観は、世界即絶対者の汎神論ではない。世界と神々との間には、本質的な断絶はないが、両者は、同一ではない。この点については、神道神学の側からのより明確な解明を期待したいが、いずれにせよ、吾々の言う「内住的」と言う方がもっと適切であろうと思われる。即ち、「ムスヒ」としての神々が、この世界に現存し、時に応じて、顕現するとの観念である。これは、絶対者としての「神」が、第一作因力として万物に遍在するというキリスト教神学の説く絶対者の内住性に、結果的には、大変良く似ていると言える。特に、実践の領域においては、世界を聖なるものの顕現としてその前に畏まる態度は、共通している。この点で、キリスト教神学は、神道の内在的神観を更に積極的に評価、摂取しなければならないであろう。
 ちなみに、詳細に論じる余裕はないが、超越的神観が、容易に無神論へ逸脱する傾向を持つのに対して、内在的神観は、特に倫理的汎神論へ逸脱する可能性が強いことを付記しておこう。

2009年10月27日火曜日

神道とカトリックの対話7

動的神観
 神道の神観では、神々は、動的な概念として捉えられている。『古事記』冒頭の創成神話から明らかな様に「ムス」と言う概念が重要な役割を果たして居るが、これは、万物を生み出し、育成し、完成させる「力」である。この力が目に見える形で現われる場合の一つがカミである。ここで注意すべきは、所謂西欧哲学の「本質」若しくは「実体」と「現象」との区別は、形而上学的には、神道では立てられていないことである。従って目に見える具体的な事物の他に、これから遊離した別の「ムス」と言う「実体」が実在すると考えられている訳ではない。ムスと言う力そのものが具体的事物として働き掛け、それが人間の畏れかしこみの対象とされるのである。すなわち、物を生み、育成する力そのものが、ut ens としてではなく、ut actus としてカミと成るのである。存在の「ある esse」の面よりも 「成る fieri」の面の方が強調されていると言えよう。
 磐境、神籬と言う観念も、動的神観を良く表している。「神が宿る」ということは、実体的な思考様式では、正しく捉えることはできない。動的思考様式に立って始めて理解され得るのである。神の御霊が複数の場所に鎮まる、とされるのも、動的神観を前提としてはじめて意味を持つ。従って、実体論的観点に立って、神道の神観を、自然崇拝、呪物崇拝、などと把えるのは、甚だしい誤解であろう。
 ところで、宇宙の根源若しくは究極的な存在は、静的なものであるか、あるいは動的なものであるか、議論の分かれるところである。即ち、万物の究極の根源は、もしあるとしたら、それは、アリストテレスが考えたように、万物を動かしながら自らは動くことの無い、不動の動者であるか、或いは自らも無限に活動する原動力なのか。ギリシア系の哲学では運動は、可能態にあるものが現実態に移行すること、とされているから、根本的に不完全の現れと見なされてきた。不完全であるから、より完全を求めて運動が、発生すると考えられたわけである。従って、完全そのもので無ければならないとされる、万物の究極的な根源には、運動の余地は、全く有り得ない。不動の動者で無ければならない所以である。確かに吾々の経験では、運動は、常に不完全の印である。しかし同時に多くの場合、それは完全性の印でもある。それは、生物と無生物とを比較してみれば良く判る。それ故、活動すると言うことは必ずしも不完全なことではなく、むしろ完全なことでもある。従って、万物の究極の根源から、運動を完全に排除するのは、一面的な見方であるとも言える。論理の次元で、運動概念は不完全性を含むと言うことから、実在の次元でも運動を否定するのは誤りではないだろうか。少なくとも、究極の根源が「動」である、との考え方を単に不条理として退けるべきではないであろう。ちなみに、キリスト教哲学においても万物の根元は、Actus purus 即ち、純粋現実態、つまり活動そのものと考えられている。しかし、この現実態が、「実体」として捉えられてきた。

2009年10月25日日曜日

神道とカトリックの対話6

 ここで、聖書が「神話的」であるとの意味について、簡単に弁明しておく。慣用では、「神話」とは、荒唐無稽な空想物語の意味で解され勝ちであるが、勿論、吾々は、そのような意味で言っているのではない。およそ、人間の深遠な実存的、人生体験、就中宗教体験は、通常の客観的記述用語では、十全に表現することは、不可能ではないにしても、非常に困難である。この様な場合、主体的な態度、感覚を表現することを主旨とする象徴的用語で物語るのが、適切である。個人若しくは共同体の宗教体験に関するこの様な象徴的、詩的物語を、吾々は、神話と呼んでいるのである。
 ところで、現実には、相対的な神観を維持し続けるのは、必ずしも容易ではない。歴史的に見ても、「カミ」観の相対性は、事実上忘却され、特定の「神」、例えば、天照大御神、現御神天皇が、あたかもキリスト教における神 Theos の様に見なされたことがあった。この様な場合、相対的なものが、敢えて絶対化されるわけであるから、必然的に排他的にならざるを得ない。即ち、真の絶対者は、相対者を包超するものであるから、相対者を否定することはない。しかし、本来相対的なものが絶対化される場合は、対立するものを否定することによってしか自己の絶対性を貫くことができない。即ち、神観が相対的であると言うことは、「他」を抱擁、総合することが至難であり、相手の存在を否定することによってしか、統合できないと言う危険な傾向を抱えている。これは、神道信仰のように相対的神観に立っていることの一つの危険性であり、神道の相対性の原理そのものによって克服されねばならないことであろう。
 他方、唯一神論的思考枠の中で育ったキリスト教には、相対の絶対化の論理に加速されて、厳密にいえば、相対的であるもの、例えば、観念としての「神」、人間イエスなどを実践の領域においても絶対化する傾向が一段と顕著である。そのため、上述のように、他を否定することによってしか、絶対性を維持することができない。こうして、キリスト教以外は、拒否するか、少なくとも宗教として認めることができなくなる。このことが、異教即邪教観に道を拓いたことは、歴史の教えるところである。従って、キリスト教と神道も、宗教として互いに排他的であると考えられがちであった。しかし、これは、両者が互いに自己の本質を正しく理解していないか、或いは、そのための努力を怠った結果であったと言うべきであろう。

2009年10月21日水曜日

神道とカトリックの対話5

神道の神観
 神道の神観について考えよう。なお、以下の叙述は、上田賢治先生の諸高著に負うところが多い。
相対的神観
 神道の「神」は、本質的に相対的である。如何なる神も「絶対者」ではない。確かに或神、例えば、天照大御神を皇祖神として事実上絶対化しようとする傾向は、絶えず見られるが、これは、いわば「信奉者」の願望、若しくは意思であって、概念自体は、常に相対的なものを指している。信仰の内容として見ても、「絶対者」自体に対する信仰は、存在しない。生む神と生まれる神、支配する神と仕える神、祀る神と祀られる神など、上下関係はあっても、他に超越する絶対者としての神は、見られない。所謂造化三神も、キリスト教的な意味での絶対神ではない。神々も「和」をもって共存すべきものであると考えられている。
 これに対しては、吾々は、次のように考える。宗教実践の次元に関して言えば、神道の神観は、相対的である限りにおいて、必ずしも、キリスト教の神観と直接には矛盾しない。神道の「カミ」とキリスト教の「カミ=テオス」は、概念としては、類比的であり、それぞれ異なるモノを表現しているからでもあるが、仮に同一のモノを表現しているとしても、宗教実践の領域に限れば、キリスト教の場合も厳密には、相対的概念であるから、矛盾は、生じないはずである。
 キリスト教の聖書の神観も、神話的な表現である限り、また、信仰実修の次元で考えられている限り、相対的な概念である。ちなみに、例えば、「創世記」第一章の「エロヒーム(神)」(神という訳語は、『新共同訳聖書』による)は、神話的であり、後のキリスト教神学が考えるような、形而上学的な唯一絶対者の面影はない。聖書の神を唯一絶対者として捉える様になるのは、紀元前6世紀のいわゆる捕囚後のユダヤ教の唯一神教的な思考様式の影響であろうと言われている。また、ナザレのイエスは、宗教実践の次元、つまり人々が日常的に素直に経験する範囲では、飽くまでも人間であって、ユダヤ教がヤハウェと呼ぶような、唯一絶対者そのものではない。この意味で、人間イエスを、神道的な意味での「カミ」と呼んでも決して不条理ではないだろう。それ故、天の御父を祀る神であるとともに祀られる神でもあるイエス命と八百萬の神々とが共存しても少しもおかしくはないだろう。

2009年10月19日月曜日

神道とカトリックの対話4

対話の具体的問題点
 以上を述べた上で、神道神学とキリスト教神学との「対話」について述べたいが、余りにも広範な主題を絞り込むために、どの神学にとっても、最重要であると考える「神」に関する概念、つまり「神観」に限って、些か考えよう。その前に、若干の区別を導入しよう。
信仰の次元と形而上学の次元:実践と思弁との区別
 一般に、宗教の問題を考えるに当たっては、「信仰実践」の次元と「形而上学的思弁」の次元とを区別する必要があると思われる。実践では、実践主体の在り様が重要な意味を持ち、心理的、情動的要素が決定的な役割を果す。飽くまでも「実践」が主であるから、この次元・領域においては、「真理」と呼ばれるものは、多様で有り得る。それは、個々の主体の「善」に関わるからである。これに対して、形而上学的思弁の次元は、「存在」と「知性的認識」の領域である。ここでは、思弁主体の善よりも、客観的な「真」が重要な意味を持つ。その限りにおいて、「真理」は、認識対象と合致するかどうか、いずれかただ一つだけである。認識主体は、或意味で客体・対象によって規定されるからである。但し、このことは、真理自体が、或特定の集団、若しくは、個人によって全面的に専有され得るということを意味しない。むしろ、真理は、所有されるものではなく、無際限に探求、追求され続けられるものである。
従って、形而上学的思弁の次元においては、個人、集団の感情や、当面の必要を無視すべきではないが、しかし、何よりも論理的一貫性を常に追求して行かねばならない。そして、「神学」は、正にこの領域での営みである。神学は、「信仰」の事実を踏まえて、その理解を深めるのであるが、これは、信仰の事実に何か新しいものを付加するのでも、それをを曲げるものでも無い。理性が信仰を戴いた限り、それをよりよく納得しようと努めるのである。この場合、卑見では、宇宙の究極の「原理」の問題は、避けて通れないのではないかと考える。

2009年10月16日金曜日

神道とカトリックの対話3

対話
 先ず、対話は、真実を明らかにすることを基準とすべきで、真実に関する限り、対話の当事者は、すべて平等でなければならない。さもないと、皮相的な単なる外交的辞令の羅列に終始するか、或いは相手の併呑を目指す宗教的帝国主義に陥る危険がある。平等であるとは、あらゆる宗教が、価値的に無差別で、全く相対的であり、着物のように自由に着替えが可能であるということを意味するのでは決してない。そうではなく、他の宗教に対する或特定の宗教の優越性、特権を暗暗裡にさえ前提としない、と言うことである。即ち、互いに相手の自律、独立、自由を尊重し、相手のより良い変革(回心させる)を願望するだけではなく、真実に対しては、先ず自らが自己を変革する(回心する)ことの可能性と決意とを少なくとも原理的に認めることである。この点に関して、従来キリスト教が、進めていた、「布教」、「土着化」は、当事者の意識は別として、結果的には、宗教的帝国主義の方向に逸脱する危険性をしばしば孕んでいたことは否めない。
 次に、上述のことと対立しているように見えるが、本当の宗教対話が成り立つためには、それぞれの側が、自己の宗教伝統の信仰、神学などに対して、真摯な忠誠心と愛着を持たねばならない。さもないと、対話は、無責任な、観念の遊戯、個人的な自己満足の気晴らしとなってしまうだろう。但し、このことは、対話当事者が自己の宗教に全面的に同化していなければならない、とか、自己の宗教の代表として語るということを必ずしも意味しない。むしろ、過渡的ではあっても、幾多の点で、或程度自己の宗教に対して健全な意味で批判的であり、自己の教団の「主流」と相容れない事態の生じるのが常態である。また、それだからこそ、対話に意義があるとも言えるのである。
 最後に、対話に当っては、従来欧米のキリスト教がともすれば陥ってしまったように、自分の思考の枠組で相手を理解、若しくは、決めつけるのではなく、相手の立場に立って、そこから相手を理解し、また、何らかの批判をしなければならない場合は、真実に基づいて、若しくは、相手の固有の原理に従って、真摯に、慎重に行うよう努めねばならない。

2009年10月15日木曜日

神道とカトリックの対話2

信仰、信仰の実修及び「神学」
 これら三者は、現実の場では、殆ど分ち難く併存しているが、少なくとも論理的には、区別は可能である。従って、対話に際して、触れるべきではない領域と、大いに論談すべき領域とを分けて考えるのが妥当であろう。
 さて、真摯な神学的対話が成り立つためには、お互いに基本的な信仰の内容は、尊重しあい、侵してはならない、との強い決意が必要である。元来、信仰は、万人共通の場である理性を超える領域の事柄であるから、厳密には、真偽を論ずることに意味はない。即ち、信仰そのものは、対話の対象とはならない。しかし、それは、信仰に関しては、一切触れてはいけないと言うのではない。特に信仰の実修は、日常の具体的な生活の中で展開されるものであるから、少なくとも結果に対する言及、評価は、自然であろう。
神学
 本来の意味での対話が成立するのは、神学の分野である。ここでは、神学とは、上田賢治先生に従って、
「・・表だった論議のある無しに拘らず、そこで信じられるべき内容が、予想されてあることを意味している。それを、理性的・論理的に、明確なものとするのが、神学の使命であり、課題なのである。」(上田賢治、『神道神学』、大明堂、1986、p.2.強調は引用者、以下同)「・・信仰は、我々が作るものではない。神学もまた、単に、我々にとって可能な限りの、自覚的・理性的反省の、集大成に過ぎないものである。これを換言すれば、信仰は、本来、神々によって導かれ、与えられるものであり、神学もまた、例え、個人或は集団の究極的な努力の結晶であったとしても、決して、完全で、絶対的なものではありえない・・。・・神学は、簡潔に言えば、信仰の弁証学だが、・・。・・神学というものが抑々歴史的理性と、客観的共通意識に支えられた、或は少なくとも、その方向を志向する、論理的営みの帰結である・・。」(同書、p.9.)「神学は本来、信仰対象としての神に対する弁証の学である。」(同書、p.96.)
などと表現されている「定義」に準ずるものとする。即ち、即ち、神学とは、信仰の事実を理性の力を借りながら、できるだけ、深く理解しようとする理性の客観的・体系的営み、と一応規定することができると思われる。理性の営みである限り、理性を超える領域については、敢えて踏み込むことは慎むべきではあるが、自らの固有の領域については、徹底的に真実の追求に挺身しなければならない。しかるに、理性の領域は、単なる観念の世界ではなく、理性の対象となり得る限りでの存在の世界である。その意味で、認識論は、存在論を前提とする。従って、理性は、経験の範囲を超越して、限界はあるが、超感覚的な世界にまでも踏み込まねばならない。
 それ故、神学においては、究極の実在の存否、もしそれが実在するなら、その本性、特にその世界超越性/世界内在性、完全性/不完全性、絶対性/相対性、唯一/多数などを矛盾なく説明しなければならない。しかも、これらの議論は、実は、信仰実践とは或程度独立している。もしこれを形而上学的議論ということができるとすれば、キリスト教神学は、歴史的にこの形而上学的議論を使用して、自己の信仰を説明してきたのである。しかし、或形而上学的議論を容認する事は、そのまま信仰の「正しさ」を「証拠付ける」事にはつながらない。信仰の根拠は、信仰の対象への帰依(による対象の実在)であって、対象の自明性ではないからである。

2009年10月12日月曜日

神道とカトリックの対話1

 我が国にキリスト教が到来してから(天文十八年)約四世紀半になる。この間、キリスト教は、我が国既存の諸宗教との間に様々な歴史的、文化的経緯を経て育って来たが、戦後の混乱や、占領軍・駐留軍の隠然とした影響力が漸く終息した昭和三十年代後半頃から少なくともカトリック教は、他宗教に対してほぼ正常な態度、関わりを持つことができるようになった。ちなみに、キリスト教の自己理解、他者との関連について世界的な影響を及ぼした所謂バチカン第二公会議の終幕したのは、昭和四十年であった。一般の人々の表面的な印象では、神道とキリスト教は、しばしば緊張関係にあったように思われているようだが、実際に詳しく観察してみると、キリスト教と緊張関係にあったのは、むしろ、判然とした区別は難しいが、我が国の宗教一般、文化、社会、思想、政治などとであって、必ずしも、固有の意味での神道そのものとではなかったようである。この事実に関しては、更に詳細な分析、考察が必要とされようが、筆者の能力を超える問題であるので、割愛する。ただ、キリスト教に対する固有の神道の側からの神学的な対決が、余りなかったことも、その功罪を抜きにして、緊張状態が生じなかった一つの要因であったのではなかったか、と言う点を指摘するに留める。恐らく、この様な言明に対しては、世に言う国家神道との関係が、持ち出されるかも知れないが、筆者は、この問題はいわば偶発的な出来事であると考え、別に所感を述べたいと考えているので、ここでは触れない。
 とにかく、過去は、過去として、無限に開かれている未来に向かって、キリスト教が、民族の心である「神道」とともに微力を捧げて、人間一人一人の真の幸福、民族の繁栄、世界の平和のための、そのかむながらの働きに些かでも貢献できるように、神道に対するこれからのキリスト教のあるべき関わり方の一端を述べて識者のご批判を頂きたい。

2009年8月28日金曜日

聖母への孝愛1

マリアが我々の実母である事実を認めることは、単に我々のマリア信心のあり方を左右
するだけではなく、我々のキリスト者としてのあり方全体を定めるものである。何故なら
ば、上述のようにキリスト者とは、単にキリストを模倣するだけでなく、キリストそのも
のを生命としてこれを生きようとする者、もっと適切には、生かされようとする者である
からである。即ち、キリスト者としての生き方には二つの大きな様相が考えられる。(a)キ
リストのまねび;キリストを自分の理想として眼前に描き、その行動にできるだけ厳密に
与ろうとする生きざまである。これは、客観的であり、把握し易いが、形式主義、律法主
義に陥る危険がある。(b)キリストに生かされる;キリストを内的な生命の原理としてこれ
に全てを委ねて生きる態度である。これは、霊的な活力の漲る充実した生きざまであるが
、熱狂主義、主観主義、独善主義に陥る危険がある。従って、この両者が調和を持って統
合されるのが理想的である。キリストが超自然の生命であるとは、その様な意味である。
キリスト者の生きざまが、この様にして、所謂第二のキリストになる、ことを目指すとす
れば、当然キリストの最も基本的あり方、即ち、マリアの子である事実を真っ先に実現す
べきであろう。子の親に対する関係、その根本的態度は、「孝行」あるいは「孝愛」とい
う言葉で最もよく表現できる。但し、ここで「孝愛」と言うのは、基本的な態度を言うの
であって、単なる感情を指しているのではない。従ってキリストと共にマリアの子である
、とは、キリストのマリアに対する子としての関係・孝愛に参与することに他ならない。
無論、キリストに就いての理解は、多様であるべきであるから、必ずしも万人がこの孝愛
を一定の仕方で、実践する必要はないが、一つの健全な道として推奨されるべきであろう
。それ故、我々の霊生道は、「マリアの子」の霊生道であるのが望ましい。これは単なる
スローガンではなく、霊的生活の全方向を決定的に規定するものである。つまり、マリア
の子としてのイエスに同化することである。

2009年8月26日水曜日

マリアはどのようにして神的生命を私に伝えたか(3)

全ての人間には、対キリスト関係を成立させる何等かの行為が生じるとして、で
は、マリアは、この行為に対してどの様な役割を果たすのであろうか。残念ながら、この点に関しても、聖書的な直接の根拠はない。少なくとも、マリアがキリストの母であることを示すのと同程度に明確に示す根拠はない。従って、我々は、この点に関しては、伝承と神学的な考察に頼らざるを得ない。「マリア信仰」ではなく、「信心」と言う理由の一つは、ここにある。
神学的考察に就いては、様々な立場からの推論が、可能であるが、ここでは、マリアが、キリストの母である、との信仰から出発して、その意味を探ってみる。さて、我々の信仰に依れば、マリアをキリストの母として選んだのは、神の意志である。神の意志が、無目的、偶発的に起こることは考えられない。選びには、何等かの目的があるはずである。我々は、これを「使命」と呼ぶ。それ故、マリアにも、キリストに関して、使命が与えられているはずである。そしてその使命は、当然キリストの母となる、と言うことである。所で、母に取って、最大の使命は、正にその「子」を生み、養育し、完成させると言うことである[マリアは、いつこの使命を自覚したか?遅くとも復活後]。所で、ペルソナは、二つ以上の焦点を共有する楕円形としてイメージすることが出来るから、個々の人間ペルソナは、少なくともキリストをもう一つの焦点とする楕円形で有り得る。これを別言すると、ペルソナとは、単に物理・生理的な個人を指すだけではなく、いわば二つ(以上)の焦点を共有し合う人間集団をも指している。この意味で、古来言われている「神秘体キリスト」は、十分理解できる概念である。即ち、我々の問題にかえって、若しマリアの使命が、キリストを生み、養育することにあるならば、それは、単に歴史的なナザレのイエスの出産と養育だけではなく、全人類を包含する神秘体キリストの出産と養育をも含むはずである。従って、上に述べた、個々の人間の対キリスト関係(この関係によって「共同体としてのキリスト」が生じる)を基礎付ける人間行為(これ自体神の恩寵である)にマリアが直接に関与すること(この関与の性格は、何か。確かに必然的ではないが、「より適切」つまり神の摂理の中で、その方がより良い)を神が許したと考えても、決して矛盾ではない。繰り返して言うが、勿論我々は、この事実に就いての直接の啓示を持たない。しかし、こう考えることは、啓示を裏切ることにはならないはずである。
 こうしてマリアは、イエスの懐妊の瞬間から人間の命の母となっただけで無く、我々一人一人がキリストの命に現実に「生きる」に当たって母としての参与を行った。この参与は、マリアの「使命」の中に潜勢的に現在する。その限りに於てマリアは、一人の例外もなく全ての人間の母である。それも前述のように単に比喩的意味ではなく、固有の意味で母である、と言うことも許されよう。
 要するに、マリアが我々の母である、との結論は、救済史に於けるイエス・キリストの分析を媒介として、マリアは、イエスの母である、との前提から神学的・論理的に引き出される結論である。

2009年8月25日火曜日

マリアは、どの様にして神的生命を私に伝達したか(2)

以上述べたことから、マリアは、イエスを宿すことによって、「根源的な意味での人間の」命キリストの母となった、と言える。しかし、「量的にも完成された命」としてのキリストの母と言えるためには、マリアが、人間の救いとしてのイエスの生涯、特にその十字架上での死去に決定的な役割を果たしたことを明らかにしなければならない。残念ながら、我々は、この点に関しても明示的な啓示を与えられていない。従ってこの問題は、神学的な議論の段階にある。ここで様々な理論に深入りする余裕はないが、例えば、愛する者の苦しみを共に苦しむ「同伴苦」compassioの考え方が有力な示唆を与えている。
 上に述べたように、救いがキリストに対する我々の関係に成り立つとすれば、キリストの受胎の瞬間に全人類は、根本的に救いの状況に入れられた、と言うことが出来る。しかしながら、これだけでは、我々人間に対するキリストの対人間関係の成立が説明されただけで、個々の人間のキリストに対する関係は、未だ説明できていない。いのちは、外から押し付けられるのではなく、内在し、同化するものだから、人間の側からの少なくとも「受ける」働きがなければならない。「受ける」は、人間の場合ペルソナの行為、つまり、少なくとも「断わる」可能性を含む、知性と意志の活動である。つまり、知ることと愛することである。では、上記の関係の基礎としての行為は、人が史的イエス・キリストを知って、愛し始めたときに成立するとすべきであろうか。若し、この様な「概念化された」行為にのみ限定するならば、史的イエス・キリストに対する関係を持てる人は、極く限られた少数の人だけになって仕舞うであろう。このことを、神の普遍的救済意志に調和させるのは、非常に難しい。所で、「至福直観」[神自身が一切の媒介なしに直接に人間の能力を取り上げる、従ってここでは選択の自由はなく必然的である]の場合を除いて、善そのものである神は、常に「造られたもの」を媒介として我々に御自身を提供される。「造られたもの」は、まさにその被造性の故に有限であり、善を相対化する。つまり悪の要因を含む。存在論的にみれば、悪とは、善の欠如に他ならないからである。これは、勿論キリストの「人間性」に就いても言えることである。従って、史的イエスは、万人にとって必ずしも常に「善」として立ち現れるとは限らない。ある人が、キリストを「悪」と見なして「善」のために、拒否することも有り得る。逆に「史的イエス」以外のものが、善そのものへの道として真摯に捉えられることもまた可能である。
 一方、あらゆる行為は、元来神からのものである。ある意味で神との合作であるとも言える。特に、イエスは、同時に神の御子であるから、どの様な被造物もその固有の力によってイエスを(概念的にではなく、実存的、体験的に)知り、愛することはできない(ちなみに、愛の対象は、ペルソナ自体である)。神の特別の助けが必要である。即ち、神が人間の行為を取り上げて、それを、それが本来備えていなかった高次の次元に高めて、知り、かつ愛することが出来るようにして下さる必要がある。所で、あらゆる人間の行為は、神の眼からみれば(と言うことが出来るとすれば)、いわば「無」に等しく本来的な価値を持たない(被造物は、徹頭徹尾全面的に神に依存するものである)。従って、ある行為が、別の行為よりも良く神の愛の対象になると言うことはない。人間の側からみれば、各々の行為の価値は、実在的に異なるが、神の側からは、そうではない。全てが神の純粋の「恵み」である。それ故、「罪」を除いて、人間の行為は、全て神の特別の助けの対象となり得る。「罪」とは、第一義的には、法則の侵犯ではなく、愛、生命(としての「イエス・キリスト」)の受け入れを拒否することである。法則の侵犯は、その具体的現れである。それ故、「罪」つまり「受ける」ことの拒否が、「受け入れ」とは、なり得ないからである。
 更に、人間の認識行為には、直観的要因と、概念化の要因とが区別できることも知られている。概念化は、本来複合的であり、身体的要素、従って文化・社会的要素に左右される。それ故、人間は、多少異なる概念に依って、同一の事物を認識することも可能であるその具体的な一例は、多国語による認識である。確かに言語は、概念の表象であるから、言語の相違は、必ずしも概念の違いを意味しないが(例えば、「本」と「book」が表象する「概念」は同じであろう)、全体的、体系的視野の中では、概念そのものの相違も有り得る。つまり、同一の「直観的」内容が、それぞれの言語に特有のそれぞれに異なった概念系によって捉えられることも有り得る。以上のことを勘案すれば、対キリスト関係を成立させるには、必ずしも史的イエス・キリストに対する概念化された認識と愛を必要とするものではないと言える。つまり、全ての人間の自由意志による最初の行為(人間固有の行為)を、神が取り上げて、それが行為として史的キリストを志向している限り、或はもっと厳密に言えば、史的キリストが表している「神秘」を志向している限り、それがどの様に概念化されていようとも、これを用いて、対キリスト関係を成立せしめられることも神に取っては、不可能ではない。勿論、個々の具体的な場合に、どの行為が「最初の行為であるか、或は、存在の次元で史的キリストを志向しているのかどうか、又、それによっ」て実際に関係が成立したかどうか、などをア・プリオリに断定することは、出来ない。その識別の具体的方法として我々に与えられているのが「秘跡」である。ここに「秘跡」の持つ一つの大きな意味がある。

2009年8月19日水曜日

マリアは、どの様にして神的生命を私に伝達したか(1)

マリアの子イエスが、人間一人一人の命であることは、上述の様に理解することが出来る。では、マリアは、どの様な意味で人間一人一人の母であると言えるだろうか。既に述べたように、命を伝達する女性が、母と呼ばれる。それ故、問題は、どの様にして、マリアは、我々の命であるキリストを我々に伝達したかである。

先ず、マリアがキリストを生んだことに依って、我々の命としてのキリストをも生んだと直ちに言えるであろうか。即ち、イエスは、生まれながらにして「人間の命」であると言えるであろうか。別言すると、イエスが「人間の命」となったのは、何時の時点か。つまり、受胎の時か、或は、生涯のある時点、例えば死の時か、もしくは、復活の時か。キリストがどの時点で「人間の命」となったかによって、我々に対するマリアの母性も変わって来る。このことを明らかにするためには、いわゆる「救い」におけるイエス・キリストの「役割」を見る必要がある。既に述べたように、人間は、史的キリストと連帯することで、神秘と合一し、それによって我々の「救い」が成就するが、このことは、どの様にして可能となるのか。今、逆の観点からこの合一を阻むものを見てみると、それには、二つのことがある。人間の被造物としての有限性と神の愛の受け入れを拒否する人間の意志の反抗としての罪とである。有限性も罪も人間の側からの自発的行為でこれを克服することは、出来ない。ただ神からの無条件、無償の恩寵として克服を授けられる以外に有り得ない。つまり神の側からの全く自由な行為である。神の自由行為であるから、神がそれにどの様な条件を付けられるのも、或は、付けられないのもまた全く神の自由である。従って、神が、この合一の一つの方法として御子の受肉を決められ、ただこの決定だけによって合一を成就されたとしても、それは、根本的には、神の全くの自由行為である。この意味で、イエスの受胎の瞬間が、この神の自由行為の人間に対する表示であり、この時点でイエスは、根本的に人間の命となった、と理解して良いだろう。しかしながら、一方、信仰によって、我々は、イエスが、「我々人間のため、我々の救いのため」に来られたことを知っている。だとすれば、イエスの人間としての生涯が、何等かの仕方で神の自由行為に参与することを神は望まれた、と考えるべきであろう。もしそうなら、イエスの人間としての諸々の行為、就中その最高潮としてのイエスの死が、人間の神との合一の可能性の原因、不可欠ではないにしても、最も適切な原因として神から定められたと言うことが出来る。この意味で、イエスの十字架上での死によって、人間の有限性が克服され、罪が完全に撃ち破られ、人間は、神と合一し得る者となった、と言える。即ち、この時点で、イエスは、単に「根本的に」だけではなく、人間の次元に於いても、「人間の命」となったのである。これを便宜上、「根本的な命」に対して「量的にも完成された命」と呼んでおく。

2009年8月18日火曜日

人間の命としてのキリスト

イエス・キリストが、我々人間のいのちであることをもう少し詳しく考えよう。上述のように、命とは、統合と活動とをもたらす内在的原理である。我々の経験する限り、最高の活動は、知ることと愛することである。本来活動は、単なる「動き」ではなく、存在と存在とを結び付ける広い意味での「媒体」であり、そして知的存在者を真の意味で結合するのは、認識と愛だからである。従って、活動には、常に何等かの「対象」が(実在するかどうかは別として)想定されている。更に、単なる想像の産物ではなく、真の意味での結合が起こり得るためには、「対象」と「活動」との間に、何等かの仕方での「釣合」がなければならない。既に述べたように、人間の究極の幸せは、神秘との合一によって達せられる。つまり、この合一こそ人間の究極の目的であり、あらゆる人間の活動は、この目的に向けられた「手段」である。この意味で、人間の生理的生命も、活動である限りこの目的への一つの「手段」と考えることが出来る。所で、神秘は、それ以外の一切のものを無限に越えるものとして理解されるから、如何なる活動(認識・愛)も神秘に「釣り合う」ことは有り得ない。「釣合」が可能であるためには、(例えば)人間の活動が、「他から」の原理によっていわば、高められ、補完される必要がある。もしこの様な「原理」があれば(我々はそれがあることを信仰によって知っている)、それは、新たな統合と活動とをもたらす原理、つまり「生命」であると言うことが出来る。
 既に述べたように、ナザレのイエスは、人間(=ペルソナ)となった神の御子(=ペルソナ)である。御子の「資格」では、三一神の内的生命(知恵・愛)そのものであり、人間の「資格」では、我々一人一人と存在的に連帯し得る。それ故、我々一人一人は、この連帯を通して三一神の内的生命にある意味で参与する。つまり、人間は、御子に準じて神に愛され、且つ御子に準じて神を(能動的に)知り、愛し得る者となる。こうして、神と人間との「合一」、従って人間の究極の目的・幸せは、イエスを媒介とする我々の活動によって達成され得るのである。それ故、イエス・キリストは、言葉の最も完全な意味に於て我々一人一人の「生命」そのものである。我々は、この様に不完全に表現されたこの事実の内容を信仰に依って受け入れるのである。
 所で、イエス・キリストが人間の命であるとして、説明しなければならないもう一つの問題点は、二千年前に史上に存在し、今は我々の五官・感覚ではその現存が捉え得ない史的人物が、どの様にして我々個人の内在的原理であると考えることが出来るか、と言うことであろう。即ち、①自分ではない他の人間がどの様にして、我々に内在し得るのか、②しかもこの人物と我々の間には、二千年の時間の隔たりがある。これに対して、勿論我々は、所謂「自然科学的」な答えを出すことは、出来ない。自然科学的なデーターが無いからである。しかし、ただ、そう信じている、と言うだけでも十分ではない。少なくともこの信仰の内容は、何なのか、信仰を媒介にして与えられた事実を前提に、その意味するところを説明し、多少とも理解しようと試みることは、可能であり、理性を備えた人間にふさわしいことであると言えよう。
 我々は、この問題を理解するための基礎としてペルソナの概念に訴える。一般にペルソナと言うと、「知性的実体」と定義されるように、存在論的に他から切り離され孤立した「個体」が考えられがちであるが、実は、ペルソナは、本来実体概念と言うよりは関係概念である。凡そこの世に存在するもので、孤立・遊離したものは考えられないと言う事実の他に、ペルソナは、その「本質」に於て、他に対して開かれ、他に依存する対他存在である。ちなみに、神のペルソナは、「自存する関係」relatio persistensとして理解されて来た。これを仮に図で示せば、人間ペルソナは、自我を中心とする同心円ではなく、二つ以上の「焦点」をもつ楕円形、若しくはその複合形で表され得る。従って、物理的、生理的個体がそのままペルソナであるのではなく、少なくとも、この様な個体が二つ以上関係し合うことで、ペルソナは、成り立っている。物理的、生理的個体は、ペルソナという関係が成り立っている主体、もしくは基体である。多少乱暴な比喩だが、生物学で言う「宿主」的なものに当たる。この意味で、ペルソナは、本質的に社会的である。即ち、二つ以上の「個体としてのペルソナ」が、結合して、行動のための一つの「共同主体としてのペルソナ」を形成する。勿論この結合のあり方、度合は、様々で有り得る。
 所で、既に述べたように、「内在」という概念は、単に空間的な内外を言うのではない。空間とは、併存iuxtapositioを本質とする物質の属性である。従って、物質でないものに就いては、空間的な内外を言うことは本来無意味である。それ故、若し「内在」と言う言葉に、何等かの意味をもたせようとすれば、「本性に従って」secundum naturam、或は「本性を越えて」praeter naturamと言う区別を導入しなければならないだろう。この様に理解すれば、たとえ物理、生理的に或「個体としてのペルソナ」に現在しなくとも、そのペルソナの本性を構成する限りに於て、つまり、そのペルソナの本性に従う限りに於て、或一つの別の「個体としてのペルソナ・自我」は、この前者のペルソナに内在すると言うことが出来る。例えば、互いに本当に愛し合っている二人は、どんなに遠く離れていても、一つのペルソナを構成すると言える。しかしながら、人間ペルソナの場合、身体は、ペルソナの本質構成要素であるから、この身体を媒介にして何等かの仕方での物理的、生理的現在が求められる。即ち、上述の「共同主体としてのペルソナ」が、現実の人間次元で行動するには、それを構成する「個体としてのペルソナ」たちも何らかの仕方で、現実の次元で現存し合わねばならない。一方が、他方の想像力(空想の愛人)、もしくは記憶力(追憶の死者)によってのみ「現在」するのでは十分ではない。物理的に今、ここに現存するか、或は例えば、物理的手段(電気、音響)を媒介に現存する必要がある。
 上に述べたことから、イエス・キリストが、人間「個体ペルソナ」として、他の人間の場合と同様に、我々の一人一人と共に「共同主体としてのペルソナ」を構成し、こうして我々の内在原理(=いのち)であり得ることは、明かである。問題は、二千年前に死去したこの「人間ペルソナ」が、どの様にして我々一人一人に現実の次元で現存し得るのか、である。ここで、いわゆる神の「遍在」を直接に持ち出すのでは、答えとはならない。それは、「受肉の玄義」を飛び越えることになろう。所で、キリストが、若し他の歴史的人物と同様に単なる過去の人に過ぎないのであれば、上述の人間次元での「共同主体としてのペルソナ」は、ある人の記憶にのみ依存する思考上の存在に過ぎなくなるであろう。しかしながら、我々は、信仰に依って、イエス・キリストが復活した事実を知っている。我々の理解では、復活とは、神の直接の働きによって、ある人が、その全存在を挙げて(ペルソナ全体として)神(秘)の「次元」へ移行されることである。復活によて、この人は、(人間ペルソナであるから)時空性を保有したまま、時間と空間との制約を克服し、これらを超越して今、ここに現存している(どの様にしてかは、我々には分からない)ことを意味する。こうして、逆説的な表現ではあるが、復活した人は、人間でありながら時間と空間とを越えて今、ここに現存する、と言えるのである。復活のキリストも(と言うより全ての人は、キリストのこの復活に参与する)、時空に制約されることなく、それを越えて、今、ここに現存する(存在は、本来時空に制約されないものであるが、ある種類の存在者は、物質をその本質構成要素としているので、事実上時間と空間の条件の下にのみ実在するのである)。復活のキリストの現存は、認識論的には、信仰に依存するが、存在論的には、信仰に先行する。
 要するに、十字架上で殺され、「三日目に」復活したナザレトのイエスその人が、今、ここに居て、私の生命原理を構成しているのである。

2009年8月17日月曜日

母性について

マリアが神の母であるということに関して、カトリックの信仰理解としては、ほぼ一致した見解がある。問題は、マリアは、我々人間に対しても実際の母と言えるのか、我々に対しても母性を持っているか、いるとすればどの様な根拠でそうなのか、と言うことである。即ち、マリアと我々との間の関係を基礎付ける土台(行為)は何か。マリアが我々一人一人を生理・物理的に生んだのでないことは自明である。従って所謂生理学的な実母・実子関係がないのは明かである。では、マリアが我々の母であると言うのは、単に敬虔な比喩的言い回しに過ぎないのであろうか。主観的な信仰の世界でだけ通用する言い方なのであろうか。
 我々の主張は、我々人間に対するマリアの母性は、単なる敬虔な比喩や、信じている間だけ成り立つ思想ではなく、仮令その事実は、信仰を媒介としてのみ知り得るとしても、一つの客観的現実の事実である、との主張である。それでは、この主張の根拠は、何であろうか。
 先に母性を「ペルソナに人間性を伝達する」ことに成り立つ関係として捉えた。しかし、これは人間の場合にしか当てはまらない狭い規定である。犬や猫などにも「母性」はある意味で認められる。それ故、これらをも含めて広く生物一般に言えるためには、もっと広く、「生命を伝達する」行為に成り立つ関係と規定しなければならない。こうしてある個体に生命を伝達する女性生物が母である、と広く考えて置く。
 一般に、多義的な語の場合、様々なものに述語出来るが、大きく分けて、固有の意味で言われる場合と、比喩的な意味で言われる場合とに区別できる。前者は、思考する者の思考作用に依存しないでもこの語の本質的要因が、述語されるものの内に実在している場合であり、後者は、この作用に依存して、つまりこの作用が働いている間だけ成立する場合、即ち、本質的要因は述語されるものの内に実際にはないが、思考する者から恰もあるように「見なされる」場合である。これを「母」の場合に当てはめると、我々の思考作用に先立って或主体の内に母性の本質的要因が実在している場合、この主体は、固有の意味で「母」と呼ばれ得る。では、この本質的要因とは、何か。先に見たように、母とは、生命を伝達する女性を言う。それ故、「いのちを伝える」が、母性を構成する本質的要因である。従ってこの「命を伝える」という事実が、我々の思考作用に依存しないで、或主体に実在している場合、この主体は、固有の意味で「母」であると言うことが出来る。逆に我々の思考作用に依存して、つまり我々がそう見なすからと言う理由だけで、「命を伝える」と言うことが考えられる場合は、この主体は、比喩的な意味でのみ「母」であると言われる。
 さて、周知の様に「命」と言う概念も、非常に多義的(正確には類比的)である。あるものは、固有の意味で、あるものは比喩の意味で用いられる。もちろんここでは、固有の意味での「母」が問題であるから、「命」が比喩的な意味で使われる場合は、予め除外する。しかし、固有の意味であっても、伝達される命の種類は、唯一ではなく、多様であるから、伝えられるいのちの種類に依って固有の母性も多様であり得る。
 所で、固有の意味で生命とは、あるものの全体的統一と活動を支えている内在的原理であると言える。個体を成立させ、活動させている内在的原理である。内在とは、空間の次元では、ある一定の範囲の中にあることを言うが、空間の次元を越えるものに就いては、本来、内外と言うことは成り立たない。我々自身が、空間に制約されているから、これを越えるものに就いては、固有の意味で言表出来ないわけである。従って、間接的に、不完全にこれを言い表すことになる。こうして、内在とは、あるものの本性に従って、若しくは本性に矛盾しないで、そのものの構成にかかわることであり、外在とは、そのものに取って、異質であること、「他者」であることを言う、と決めておかねばならない。例えば、自動車に活動をもたらすエンジンは、空間的には車体の内部にあるが、無機物の人為的な集約である「自動車」の、本来静止する「本性」にとって異質であり、ある意味で本性を強制するものであるから内在とは、言わない。従って、エンジンは、比喩的な意味ではいのちと言われるが、固有の意味では「命」、つまり内在原理ではない。
 さて、人間は、複合的な存在であるから、内在的原理としての命にも多様な種類がある。生物的生命、動物的生命、精神的生命、霊的生命などなど、そして最終的には、神的生命がある。今我々皆が現に体験している内在的原理は、恐らく精神的生命までであろう。それらを我々は、多少とも実感している。実感はしないがある種の論証に依って我々の内にはもう一つの生命があることを信じて(知って)いる。それは、所謂「霊的生命」、「超自然の生命」と呼ばれているものである。この生命は実感はしないが、信仰に依ってその実在が確かめられているから、単に比喩の意味ではなく、固有の意味で命である。ちなみに、信仰は、実在に就いての認識を媒介する原理であって、主観的認識を発生させる主観的作用原理ではない。
 我々は、この神的生命・超自然的生命がイエス・キリスト自身であることを信仰に依って知っている。史的次元では、イエス・キリストは、単なる個体的人物に過ぎないが、救済史的次元では、彼は、その懐妊から栄光の昇天に至る全生涯に依って人間の内的生命となったと我々は、信仰によって、理解する。

2009年8月14日金曜日

マリア被昇天祭

マリアの被昇天の祭日をできるだけ納得して祝うには、信仰と信心との区別を考えてみる必要がある。信仰は、「神の子イエス・キリストに帰依し奉る」と言ういわば神から授けられた心の態度で、自由に左右することはできない。「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと、よきひとのおほせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にむまるるたねにてやはんべるらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん、総じてもて存知せざるなり。たとひ法然聖人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ。」(『歎異抄』2:1)との心情に通じるもので、神からのものであるかどうかは、別として、他人が容喙できない絶対的なものが信仰である。
これに対して信心は、信仰を深めていくための様々な方便である。多くの場合、伝統に深く根ざしている。また、単に理知の問題だけではなく、むしろ感情や嗜好に訴えるところが多い。信心は、信仰のように絶対的なものではないから、信仰に正しく益するかどうかを基準に客観的に判断する必要がある。この場合信仰に益するかどうかは、本人の事情に大きく関係するから、軽々に他の人の信心を批判すべきではない。逆に、特定の信心を、たとえ伝統に根ざしているからと言って、他の人に強制してはならない。
 さて、聖母の被昇天祭は、1950年に教義として決められてからは、単なる信心ではなくなった。信仰内容の一部となったわけである。しかし、この祭日が永い伝統に育まれた信心であったこともまた事実で、いわば信心としての側面を残していることも否めない。つまり、祭日としてどのように祝うかは、信仰の問題ではなく、信心の問題である。実行的には、この祭日をどのようにふさわしく祝うかは、今後の吾々の課題である。豊かな伝統を勘案しながらすばらしい信心を開発したい。幸い、この時期はお盆にあたる。お盆は、一般には、仏教の行事だと思われているが、本来仏教の行事ではない。釈尊の教えが東漸する間に、土着の信仰、特に先祖崇拝の信情と習合して、わが国独自の信心物語が人々の心を魅了して、仏教の大切な年間行事として定着した。詳細は省くが、要するに家のご先祖様、特に直近の亡くなった親族の霊をお迎えして数日間留まっていただき、その間に御もてなしをして孝養を尽くす。そして最後の日に盛大に幽界へとお見送りし、来年の再会を約束する。ご先祖の霊との親しい交わりによって、現世に生きる我々のペルソナ性が固められ、高められる。客観的な事実ではないかもしれないが、主観的な豊かさもらうことは確かである。
聖母被昇天の信心物語は、来世観が異なるため、表現の仕方は異なるが、吾々の霊的母性である聖母に対する、そして、聖母を介して、吾々の先祖や親族に対する心情は、主観的には、盆の心と通底しているのではなかろうか。今後、お盆の行事と被昇天の行事とを習合して行くことが望まれる。

2009年8月12日水曜日

恩寵論

 恩寵論
☆恩寵の一般的概念
恩寵と言う概念は、われわれの経験の世界から採られたものである。トマス・アクィナスによれば、恩寵と訳された元のギリシア語のカリスcharis には、三様の、互いに関連した意味がある。
第一に、誰か、特に権力者が、他の誰か、特に支配下の者を好ましく思う、慈しむ態度を指している。例えば王がある特定の臣下に好意を示す場合、それは、この臣下にとってカリスである。
第二に、この好意の結果、もしくは表現として、好意を受けた者に無償で与えられる何らかの贈り物を言う。
第三に、この無償で与えられた贈り物に対する、或いはより適切には、贈り物を与えた者に対する感謝を表わす語として用いられた。

元々一般的な用語であったこの言葉が、既に原始教会に採り入れられ、元の意味を保ちながら宗教的意味を帯びて、神と人間との親密な関係を表わすのに用いられる様になった。さて、原意を踏まえて、このカリスと言う概念を分析して見ると、先ずそこには少なくとも二つ以上のペルソナ(個我)が係わっている。その一つは神のペルソナであり、他は、たとえば人間ペルソナである。次いで一方のペルソナ、つまりペルソナとしての神が他方のペルソナを自己にとって好ましいと是認する行為がある。通常の場合、好ましいとされるペルソナの方にそうされる原因がある。つまり美しい、とか、善良だとか、相手の好意を惹き付けるものがあり、それに基づいて第一のペルソナが、このペルソナを好ましいと是認するのである。しかし、これは、必ずしも好意が生じるための必要な条件ではない。むしろ本質的なのは、是認の行為そのものであって、好ましいとされるペルソナの内に好まれるための原因が一切ない場合もカリスの概念は成立し得る。神のカリスはむしろ無償の、つまり好ましいとされるペルソナの側には神の好意を呼び起こすような一切の原因が無いにもかかわらず、神の側からの一方的な行為として理解される。要するにカリスの概念を成り立たせているものは、一位のペルソナが他のペルソナを好ましいとする、つまり愛すると言う事実である。
或るペルソナに対する好意から、この好意の現われとして贈り物すなわち「善」の贈与もしくは、好意者の善への参与を許すこと(の結果)が生じる。吾々が以下で考察しようとするのは、主としてこの意味での恩寵である。
最後にこの様な恩寵を授けられたことに対して自ずと感謝の心が生じるはずである。この心は、様々な形で表現され得るが、神に対しては、何よりも与えられたものを素直に、受け入れると言うことであろう。そして、この受け入れは、今度は、この恩寵に基づく行為、努力として日常生活の中に具現して行くのである。

☆ 創造と恩寵
 あらゆる被造物は、それなりに御子を反映し、その限りにおいて善である。つまり、創造主の善性に参与するのである。より厳密に言えば、参与させられるのである。神の側から見れば(と言う言い方が許されるなら)、神は、先ず総ての被造物による分有「可能態」としての御子(実は神性実体そのもの)を直接に愛することによって、その内に分有可能態としての総ての被造物をも間接に愛される。即ち、御子の中の可能態としての被造物が現実に実在することを欲っせられる。この神の意志によって被造物は、現実に実在するものとなる。愛とは善に対する意志の働き掛け(既存の善を求めるか、あるいは新に善を創造する)であるから、この過程をわれわれは神の愛と呼ぶことが許されよう。こうして神は、被造物を創造しながら愛し、愛しながら創造される。創造的愛と呼ばれる所以である。
 こうして、神は総ての被造物を「愛される」とは言えるが、その愛は、言葉の十全の意味で未だ完全な愛の形態ではない。愛とは、本来夫々互いに他者であると見なされる二つ以上の存在者がその全実存を挙げて、多少の段階はあるが出来るかぎり融合することである。詰まるところ存在 esse の交流、更にはその合一である。所が真に交流、合一が成り立つためには二つの契機が考えられねばならない。一つは、一方の当事者が他方に自己の総てを「差し出す」と言うことであり、もう一つは、今度はこの他方が差し出されたものを余すところなく「受け入れる」と言うことである。言うまでもなく同一の事が相手の当事者からも行なわれるはずである。実はこれらは二つの別々の行為なのではなく、唯一の事態の二つの側面なのである。そして、交流・合一が完全になればなるほどこの「自己贈与」と「他者受容」とは一体化してくるのである。要するに愛がその名に値するためには、贈与と受容と言う二契機がなければならない。今、創造の場合を考えて見ると、「贈与」の面では、神は確かに被造物に贈与を行なうのであるが、それは飽く迄も「共通存在」の贈与であって、神の「自己贈与」と考える訳には行かない。「受容」の面から言えば、神は、創造によって如何なるものも被造物から現実に受け取る事はない。従って創造が神の愛である、と言うのは、愛としては非常に不完全な意味で、である。これに対して三一神の所謂内的愛は、この愛の契機を完全に満たしている。即ち、神においては、御親と御子との対立は、「生む」ことと「生まれる」こととの間の対立のみであって、他のすべては同一の神性実体である。従って御親が御子を愛するとは、必然的に、御子に自己の神性実体のすべてを差し出す(完全な自己贈与)と同時に御子の神性実体を余すところなく受け容れる(完全な他者受容)ことである。御子が御親を愛されるのも全く同様である。こうして御親と御子とは、互いに必然的に、完全に愛し、かつ愛されておられるのである。必然的と言う訳は、御親にとっても御子にとっても同一の神性実体の共有、交流は、その本性そのものだからである。以上は勿論御霊についても言わなければならないことである。
 こうして、御親は、御子を必然的に愛され、御子も亦御親を必然的に愛される。恩寵が根源的に「愛」である、と言う意味で、御子(及び御霊)は、恩寵である、と言う事ができる。むしろ、恩寵の根源であると言った方がより適切であるかも知れない。しかし乍ら、恩寵の概念の中には、「無償性」と言う契機がある。すなわち、恩寵を受ける側、つまり、恩寵の対象は、必然的に愛されるに値する対象ではなく、恩寵の愛に先だっては、全くの「無」か、あるいはそれ以下の反価値である、と言う事実がなければならない。この意味で三一神内の御子も御霊も、御親を必然的に愛し、かつ愛されているがゆえに、つまりこの必然性の故に、恩寵と言うことはできない。従って恩寵の概念が完全に成り立つためには、神の側からの「自由な」愛、つまり対象に全く依存しない愛が考えられねばならない。そして、同時にこの愛は神の言わば一方通行の行為ではなく、これによって神も実質的に「愛される」、その様な愛が在り得るか、すなわち、神の自由な愛であって、しかもこの愛の「見返り」として愛されるに値しないものから、神が現実に愛される、その様な愛が実際にあり得るか検討しなければならない。
☆ 神の無償の愛
恩寵の概念を説明するためには、神のうちに、必然的ではない、真の受け身の愛が在り得ることを明らかにしなければならない。神は善であり、善の本性は、「溢れ出る」ことである。この善が完全であればある程、溢れ出も完全である筈である。さて、非常に擬人的な表現であるが、この神の愛の溢れは、言わば、神自身の内部で‘処理する’か、あるいは外部的に‘処理する’か、のいずれかである。前者の場合は、三一神内のペルソナ間の愛の交流として、幾分理解できる。すなわち、神の愛・善性は、ペルソナ間の交流として永遠から永遠にわたって溢れ出ている訳である。勿論この溢れはあらゆる面から必然的である。後者の場合は、神の外にもう一柱の神があって、この外の神との間に永遠の交流が行なわれると考えることが出来れば問題は、解決する。しかし、神に対立する外の神と言う考えは、超越神の厳密な「概念規定」と両立し得ない。もし神以外に何かがあると考えるなら、このものは、必ず神に絶対的に依存しているものとしてしか考えられない。すなわち、神は自己自身を創造することは不可能で、ただ被造物だけしか創造することが出来ない。そしてこの創造は、必然的ではなく、神の愛の自由な溢れとして理解されるものである。こうして、神は、先ず被造物を創造し、しかる後に、その全能の力でこの被造物を可能な限り「高める」と言う仕方でしか、愛の溢れを「外に」出すことは出来ない。つまり、‘必然的に神よりも不完全であるもの’をあらしめ、次いで、これを高める以外にない。こうして、創造は、恩寵が“外に溢れる”ための必須の前提となる。神は、創造と同時に被造物を高めることは出来るが、創造の前に高めることは出来ない。所で、創造の原理は、御子である。従って、御子は、この神の自由な愛の原理である限りにおいて恩寵の前提をなす。すなわち、御子は、恩寵の一つの契機である「無償性」の原理をなす。すなわち、受肉の原義によって人となった御子は、神としては、神の愛の必然的な「対象」であるが、人間としては、神の愛の必然的な対象ではない。つまり神が人間イエスを愛するかどうかは、全くの自由である。それゆえ、真の神であり、真の人間であるイエスに対する神の愛は、恩寵である。次にわれわれは、恩寵のもう一つの契機である「受動性」に関しても御子が原理であることを説明しなければならない。

☆ 神が“ひと”と成る受肉の玄義
愛を求める神となる:愛されることを望む;受肉:御言は肉と成った:受肉の玄義・“御霊の受肉”
 愛の概念の中には「受動性」つまり、愛されると言う要因が本質的なものとして含まれていなければならない。所で受動と言うことは存在論的にはあるものを受け取ることを意味する。従って、少なくともこの受け取られるものに関して欠如、不完全を含んでいる。神は、完全そのものとして理解されているのであるから、この様な意味での受動は神には考えることは出来ない。それゆえ、もし神について受動性を考えるとすれば、それは神が神自身を愛する行為(能動)の裏面として、(勿論人間の思考様式に基づいて)理解する外はない。即ち、神は、神自身によってしか「愛される」ことはない、と考えざるを得ない。従って、神と人間との間にもし真の友情が成り立つとしたら、それは、何等かの仕方で人間が神となる、少なくとも神と等しく成ると言う可能性が考えられて始めて可能である。即ち、神と人間が固有の意味で互いに愛し合うには、何等かの仕方で人間の「神化theopoiesis 」が可能でなければならない。
 所で、創造は、神の愛の溢れとして捉えることが出来た。しかし、この愛は、飽く迄も能動的な愛(創造的愛:対象の善を愛するのではなく、愛が対象の善を創造する)に留る。勿論、神の愛がこれで完結しても不都合はない。併し、愛の本質は、相互的自己贈与で、愛するだけではなく、愛されることもなければならないから、神は、愛されることをも欲するのである。そしてその一つの道として受肉の玄義が選ばれた。
 では、この受肉の玄義をどの様に理解したら良いだろうか。聖書の述べていることを要約すれば、受肉(言葉そのものは後の神学用語)とは御子がナザレのイエスとなって生まれる、御子が人間の子と成る、と言うことである。ここで注意すべきは、御言が人間ペルソナに成った(le Verbe est devenu une personne humaine)のであって、御言が人間ペルソナを取り上げた(le Verbe a assume une personne humaine)のではなかった点である。即ち、御言は、言わばひとりの人間を取り上げ、その偶有性、具体性を捨象した“人間性”を自分のものとしたのではなく、一人の具体的な人間と成った。つまり、神と人が結合しただけではなく、神が人と成ったのである。勿論ある一定の成長を遂げた具体的人間に突然成り代わった、のではなく、われわれすべての人間と全く同じように胎児の段階から人間と成った。啓示の言っていることは、単純明快であるが、その説明となると困難である。日本の宗教にも‘権化’、とか、神が仮に人の形を借りて宿る、と言う様な考え方があるが、受肉はこれと全く同じことを指すのではない。神は、人間の“借(仮)りの姿”を取ったのではなく、“現実の人間”に成ったのである。単に神が人間に「宿った」だけではなく、人間そのものと成った。私と同じ人間である。
 所で、現実の人間は、歴史(時間)と風土(空間)に規定されている。あらゆる連帯から完全に切り離された「純粋人間」は、実在せず、過去の善人や悪人の血も混ざっている。社会、政治、宗教などの影響も受けている。不完全さを共有している。ある閉じられた系を考えた場合、その中での最も完全な人間と言うことは考えられるが、絶対的な意味での完全人間などあり得ない。それは一種の矛盾である。この意味で「真の人」なるイエスをどの様な仕方であれ、人間のまま「神格化」しようとする試みは受肉の玄義を否定するものである。
では、この神が人間と成った、とする受肉の玄義はどの様に説明できるだろうか。以下は飽く迄も「説明」に過ぎないことに留意しなければならない。スコラ神学者らは、この玄義をペルソナの概念を導入して説明しようとした。

さて、御親は, 人と成った御子、つまり人間イエスというペルソナを愛する(本来の愛の対象はペルソナである)。この愛は、人間ペルソナに対するものとしての限りにおいて必然的なものではない。三一神の「御子」としては、御親から愛されるのは必然的であるが、人間ペルソナとしては、愛されるのは必然的でない。つまり、御子が人間ペルソナに成るのは必然的ではなく、全くの自由である。従って、人間ペルソナと成った御子に対する御親の愛も、人間ペルソナの役割を果たす者としての御子に対する限り、自由であり、その意味で無償である。こうして人間と成った御子に対する御親の愛は、無償の愛となり、これが本来の恩寵である。
 他方、ナザレのイエスと呼ばれる人間ペルソナと成った御子は、依然として神の第二位のペルソナ、神的ペルソナであるから、人間イエスの言わば最終責任主体(つまりペルソナ)は、神的ペルソナである。従って、イエスのあらゆる行為はこの神的ペルソナの、言わば責任の下に行なわれる。すなわち、イエスの全行為(存在と言う「行為」をも含めて)は最終的には人間イエスのペルソナの機能を果たしている神の第二位のペルソナに帰着するのである。但し、少なくとも人間の場合、ペルソナは、直ちに行為の原理とはならない。かえって所謂「本性」を媒介として、つまりそれを言わば手段として、順を追って目的を達成して行かねばならない。望んだだけで直ちに満腹にはならず、まず種子をまくことから始めねばならない、と言う訳である。これはイエスの場合も同様であった筈である。それゆえ、イエスが愛するとき、その愛の最終主体は御子であっても、愛の「行為」はイエスの人間本性を媒介とする人間の行為である。この意味で御親に対する御子の愛と、御親に対するナザレのイエスと成った御子の愛とは同じではない。すなわち、御子は、神として御親を必然的、絶対的、完全に愛すると同時に、人間イエスとして御親を自由に、相対的に、そして不完全に愛するのである。それゆえ、人と成った御子は、神的ペルソナとして御親を無限に愛すると同時に、人としても御親を有限的に愛する。
 こうして、人間イエスは、その神的ペルソナを介して三一神の内的ペルソナの交わりに言わば参与する。所で前述のように神的ペルソナの交わりは、これを動的に見た場合神の徹底的な相互自己贈与に外ならないから、この交わりに参与することはつまりこの自己贈与にも参与することである。こうして神は、人間と成った御子を通して神の総てを世界に与える。このことは、先ず神の側からは次の様に理解することが出来る。すなわち、受肉によって神自身が世界の歴史の中に自らを相対化した、と言うことである。時間、空間だけではなく、総ての存在を無限、絶対に超越するとされる神が時間と空間の制約の下に、所謂「創造主の遍在」とは異なる仕方で実在した。神が人間イエスとして、罪、つまり神的ペルソナそのものに対する最も根源的な拒否(神のペルソナが神の他のペルソナを根源的に否定することは考えられない)を除いてそれ以外の総ての人間としての不完全を受け入れながら生きる。無知、無能、疲労、失敗、恐怖、死、その他あらゆる人間の条件を引き受けた。それゆえ、イエスの日常生活全体から切り離された抽象化された十字架や復活だけが特別な意味を持つのではなく、受胎、降誕から復活まで人間イエスの地上での歴史条件の下における全生活がイエスにおける神の、世界に向かっての自己贈与をなす。こうして人間イエスの地上での生活の一瞬一瞬が決定的な意味を持つ。従って、所謂史的イエスが、(それを完全に再認識するのは最早われわれには不可能であるが、)全体としてわれわれの信仰に決定的な役割を果たしている。[ここから言えるのは、一方では、人間イエスを安易に“神格化”してはならない、と言うことである。つまり神が殊更に自己を相対化されたことを人間が恣意的に絶対化してはならない。つまり、人間イエスは、飽く迄も人間なのであって、神ではない。従ってイエスの「肉体」だけを神の救いの全計画から切り離してそれを独立に絶対化して「礼拝」するのは誤りである。他方では、ある意味で人間イエスの延長である「キリストの神秘体」である教会にも限界があることを是認しなければならない。イエス・キリストは、飽く迄もあらゆる個体にそのまま妥当する普遍概念ではなく、ペルソナつまり最も完全な意味での個体である。この個体があらゆる人間だけではなく、全宇宙の生命原理と考えられる訳であるが、このことについては、「復活の玄義」との関連で考察されりだろう。] 
 所で、世界に対する神の全き自己贈与は、これを世界の側から見れば、世界は、人間イエスとなった御子(神的ペルソナ)を介して夫々の本性が耐えられる限り三一神の内奥の生命に能動的に参加することが許された、と言うことを意味する。即ち、御親と御霊に対する御子の総ての活動、就中その「愛」に参加する。こうして先ず人間イエスは、人間として御親の愛にある程度「対等に」応える。所が、イエスの人間としての能力だけではこの愛に参加し、これに応えることが出来ない。従ってこの様なことが可能となるには神の側からの特別な支えがイエスに与えられねばならない。こういう言い方が許されるなら、人間イエスは、一方では、人間として全く無力でありながら、他方では神として、御親を愛さねばならないのであるから、この神の特別の支えを誰よりも必要としている。と同時に御子として自らが恩寵の源泉であるから、人間イエスにはこの神の特別の支え、つまり恩寵が可能なかぎり豊かに注がれているのである。人間イエスには、こうして恩寵が充満していると言われる。しかも、この恩寵の充満は、イエス個人のためだけではなく、イエスを介してすべての人間、すべての被造物に流れ及んで行くべきものである。
 要するに、受肉した御子ナザレのイエスを媒介として、被造物に対する神の愛は、単に能動的であるだけではなく、受動的なもの、つまり、被造物からの愛をも固有の意味で受け入れる。こうして愛の相互的自己贈与が成就する。神と人間との間の愛は単なる愛憐ではなく、友情となるのである。
☆ 恩寵の超越性と内在性
 われわれは、これまで「恩寵」をいわば神の側から考察してきた。次に、これをわれわれの側から考察する。すなわち、恩寵を受け取るわれわれの側にどのような変化が生まれるのかを考察するのである。その前にわれわれは、まず恩寵を受け取ると言うような表現が許されるものかどうかを検討しなければならない。つまり、恩寵とは、受け取ったり、拒んだり出来るような「物」なのかどうか。既に述べたように、恩寵の源泉は、三一神であった。神がナザレトのイエスを媒介として被造物を愛し、又被造物から愛される、と言うのが恩寵の本性であった。従って、恩寵とは、一義的に神であると言うことが出来る。神ご自身が恩寵であって、これをわれわれは、「創られない恩寵(Gratia increata)」と呼んでいる。しかしながら、これを受け取る人間の側からみた場合、人間は、文字どおり神を受け取ることは不可能である。神は、人間を無限に超えるからである。それ故、以上の事が単に言葉の綾に留まらないためには、出来る限り実質的な説明を試みる必要がある。そしてわれわれは、例によってこの問題を、関係の概念に頼ることによって解決しようとする。即ち、人間ペルソナである御子に対する御親のペルソナルな愛が恩寵であった。無償のペルソナ間の愛によって、御親は御子に於いてその“人間”を愛すべきものとするのである。今まで愛の対象でなかったものが愛の対象となったのであるから、神の側に変化が考えられないとしたら、この変化は人間の方に考えられねばならない。つまり人間の中に新しい関係が発生した。単なる依存関係だけではなく別の関係が生まれた。すなわち、神が被造物を特別に愛された事によって、被造物は、根源的に変化した。この変化は、単なる思考上の問題ではなく、人間が存在的に変化したのであるから、この変化のいわば形相因が人間の中に実質的に存在しなければならない。所で、神ご自身が人間もしくは被造物の形相因になることは、不可能であるとされているから、神以外の何かが人間の中に創造されたと考えなければならない。この創造されたモノによって、人間は、実在的に変化し、有効に神を愛し得る者となった。このモノをわれわれは、「造られた恩寵(Gratia creata)」もしくは、単に「恩寵」と呼ぶ。
 さて、ここで問題になって来るのは、このモノとしての恩寵の存在論的性質である。すなわち、この恩寵は、人間にとって外来の物か、或は内在の物なのか、と言う事である。 先ず、この性質としての恩寵は、神から無償で、つまり人間の方からは一切の要求(権)なしに与えられるものか。神の絶対的超越性を考えるとこの説明は良い様に思える。併し、もし全く人間の側からの要求性がなければ、結局この恩寵は、人間に取って飽くまでも「異物」であって、前述の様な内的生命とはなり得ない。従って、人間を内在的に完成することもない。それは、丁度ボロ隠しの外套のように、外から見苦しいものを覆いはするが、人間を存在的に神の子に高めるものではない。最終的には、恩寵は、全く別個のものの創造であり、御霊は別のものを愛しているということになる。つまり恩寵が衣服の様に単に外から着せかけられるものなら愛は衣服に留るのであって中身の人間に迄至らないこととなる。従って、恩寵が何らかの意味を持つためには、正に人間のモノとならねばならない。ここでG.マルセルの言う etreとavoir の区別を思い出すのも適切であろう。人間の本来のモノになるにはavoir の領域を越えてetreの領域に入らねばならない。つまり、人間の本性、本質の構成要素とならねばならない。この様になったとき始めて愛されているのはこの私ですと言える。
 人間の本性に内在しない恩寵という考えを押し進めて行けば、恩寵は、益々物神化され、宝の倉に蓄えられた金貨のように、人の力で増やしたり、失ったり、果ては、取引の対象ともされ兼ねない。善業によって、恩寵を儲けると言う考えが一般化して来たのはこのためであったろう。
 では、恩寵は、人間本性に内在的なものなのだろうか。そう考えれば、上述の様な不都合は、避けることが出来る。しかしながら、恩寵を人間に内在するものとして捉えることには、重大な難点がある。本質を構成するということは、それは人間にとって不可欠だということであり、その意味で“要求性”を意味することになり、これは、恩寵の無償性、神の超越性を犯すことになる。即ち、内在すると言う事は、存在論的には、人間の本質の構成要素であると言う事を意味する。つまりそれが欠けていると人間ではあり得ない、少なくとも完全な意味では人間ではあり得ないのである。換言すると、恩寵を有するのは、人間であるための必須の条件と言うことになる。神が人間を創造する限り(創造するかどうかは神の自由としても)、必然的に恩寵を与えざるを得ない。丁度知性を(少なくとも可能態で)与えねばならない様に。さもなければ、神は、矛盾を犯すことになろう。こうして、恩寵の本質の一つである無償性が損なわれることになる。これは、恩寵の概念に根本的に抵触する考えであろう。
 かくて、われわれは、深刻なディレンマに直面することになる。すなわち、恩寵は、人間に内在するものなのか、はた超越するものなのか、と言う問題である。しかしながら、問題を詳細に観察すると、このディレンマは、実は、恩寵のみの問題ではなく、神の本性そのものの問題が、たまたま恩寵との関連で表面化したものに外ならない。即ち、有限な人間が、無限の神を何ほどか認識しようとすると、どうしても避けることの出来ないディレンマである。只一つで神を完全に表現できる概念は、有り得ないから、もし幾分でも神の完全性を表したいなら、われわれは、二つ以上の概念を複合的に用いねばならない。この様な概念は、可能なあらゆる完全性を全面的に肯定すると同時に、神以外の有限なものに見られる可能なあらゆる不完全性を全面的に否定するものでなければならない。こうして、神を完全に表現するには、肯定概念と否定概念とが同時に成立しなければならないが、この様な相反する二つの要素を同時に含む唯一の概念は有り得ない。従ってわれわれは、二つの概念を用いて、しかも思考操作によってそれが同時に成立すると考える外はない。即ち、神は、宇宙万物を超越する、つまり、宇宙万物ではない、と同時に、宇宙万物に内在する、つまり、宇宙万物である。この何れかのみを主張するのは誤りであるが、人間は、事実上時間の前後関係の中で何れかのみを主張せざるを得ないところに問題の難しさがある。結局、われわれは、以上述べたことを条件に、「恩寵は、人間本性を超越すると同時に、これに内在する」、と言う互いに矛盾し合っている命題を肯定せざるを得ない。実行上は、恩寵に就いて述べられたことは、直ちに思考操作によって否定されるか、或は少なくともその逆が指摘されねばならない。そしてこの事の根拠は、人間理性の論理性ではなく、結局神の愛の神秘性に求められねばならない。即ち、われわれは、恩寵を可能な限り説明しようと努力するのであるが、結局は、それを説明し尽くすことは出来ないのである。
 以上の考察は、現代われわれが直面している多くの神学的問題に幾可かの光を注ぐ筈である。ここでは例示的に若干の問題を取り上げたい。
1)恩寵は、外から(上から)与えられるものか、或は(人間の)内から引き出されるものか。
 恩寵の超越性を強調する考え方では、勿論恩寵は、上から、外から与えられるものである。人間には恩寵に対する如何なる適合性も有り得ない。恩寵は、外からプレゼントのように与えられるものである。そこから恩寵の「物体化」が生じた。超自然界の金貨として教会という「銀行」に蓄えられていて、特定の祈りや善業でそれを引き出すことが出来る。
人間は、それを自由に使ったり、簡単になくしたりする。それは、飽くまでも所有の場のモノである。この考え方の前提には神は絶対超越であるとの考え、神と世界は断絶しているとの考えがある。神の絶対超越性を強調すれば、つまり本来世界と全く無関係な神が特に「恵を垂れる」という面にだけに目を向ければ恩寵は自然と“物体化”されて来るだろう。
 この考えに依れば、人間は、全体としても、個人としても、徹底的に神の不倶載天の敵である。神と人間(宇宙)との間には、単なる異質性だけではなく、敵対性があるとされるのである。そして、どの様にしてこの様な敵対性が発生したのかとの説明として、所謂原罪説が持ち出される。この様な敵対性にも拘らず敵をも愛すると言う神の無限の哀れみによって極く例外的に(神によって選ばれた)個々の人間に与えられる無償の施し物が恩寵である。明らかなように、この考え方では、神の超越性、正義、絶対性などはよく説明される。しかしながらここから現れる神のイメージは、ともすれば、自己の尊厳以外如何なるものの幸せも全く眼中にない血に飢えた残忍なモロクの神となりかねない。本来自己以外の如何なるものをも必要としない神が、自己の尊厳を高めるために、創造される必然性のない人間(宇宙)を、しかもただ苦しめるためにだけに創造する、と考えるのは不条理である。少なくともわれわれ人間に理解できる、世界創造の説明は、善の充溢、つまり、愛以外にはない。それ故、敵対性、少なくとも神の側からの敵対性を前提として恩寵を考えることは誤りであろう。神と人間との関係の出発点には、先ず何等かの意味での同質性、友好性が考えられねばならない。生命は外から与えられるものではなく、存在の内部から発露するものである。つまり、生命と存在者の間には連続性がある。このことの説明には絶対超越神だけではなく、世界に内在する神という考えが必要である(内在immanentia:神と世界は一である/内住inhabitatio :神[超越神]が世界の内奥で働く)。神の内的生命を直接の対象とする性質がどうして人間の中から出て来るか。恩寵を生命として受け取る素地が人間の中にある。総ての人間の中に恩寵の種子が内在する。この様な理解の仕方は、矛盾律を基礎とする思考の枠組で考えているわれわれにとっては、理解至難であるが、神と人間は(互いに異なると共に)何等かの仕方で同一である、とする考え方を導入する必要があろう。

☆ 恩寵による“神化”
 --罪のゆるし・remissio peccati・reelevatioと神化・elevatio--
§1 恩寵による「神化」:
 恩寵とは、キリストの恩寵(生命)に生き、生かされることである。それは、私に与えられる御霊に応えて生きることでもある。御霊は、三一神の愛のペルソナであるから、これに応えるとは、御霊をペルソナの次元で愛することである。そしてこれを可能にしてくれるのが、恩寵、つまり愛の原理・源泉であって、それは結局御霊に他ならない。御親が、御子を、御子が(私の内にあって)御親を愛される、その愛(御霊)に参与する。これが恩寵の具体的な結果である。
 即ち、“肉”となった御言は、御子である神自身であるから、神の内的生命を必然的に持つ。むしろ神の内的生命そのものである。一方、人間ペルソナとしても神の三一性、すなわち神の内的生命に“参与”する。人間ペルソナとしては、神の内的生命そのものではないが、御言によって“ペルソナ化”されている人間性は(つまり、人間イエスの最終的行動主体は、第二位のペルソナである御言だから)、神以外のものが可能である限りに神の内的生命に参与する。それ故、あらゆる個々の人間は、キリストの恩寵の生命(神の内生に参与している人間の生命)に参与することに依って、この神の内生にある意味で参与する。
 では、神の「内的生命」とは、何か。それは、御親と御子と御霊の間で永遠に必然的に交流されている神の知性、神の愛、つまり、神の本性(神性)そのものであるが、静的な観点からではなく、動的な観点から見たものである。神は、時・空の次元を無限に超えているから、内・外の区別はないし、単一な存在であるから、本来区別そのものが神にあるわけではない。従って「内的生命」という言い方に意味があるとすれば、それは、われわれにとってだけである。この事を幾分分かるために、われわれ人間の場合を考えてみよう。人間の情報収集手段は、典型的ものとしては、見る、と聞く、がある。その特徴を際だたせてみると、見る情報は主として人間の外面の事、聞く情報は他人の心の内面の動き(これは、聞く以外にない)が主である。これを神に関することに当てはめると、「見る」は、つまり経験世界を見ることに依って、その最終原因として神を知ることである。この場合、人間は、理性的な力(感情なども伴う)だけで、神が実在すると言うことだけではなく、神の若干の「特性」をも知る。勿論、神は、三一神としてではなく、単一のペルソナ(知り且つ愛する方)としてのみ知られるが、これは、神が三一神としてではなく唯一神として世界を創造したからであると説明される。次に、「聞く」、つまり「啓示」に依って、「見る」事では知り得ない神についての情報を知ることが出来る。この様に分けて考えることで、世界に対する神の行為(外的)と神の内面的な生命(内的)を分けて考えることが意味を持って来る。
 ところで、人間が神の本性・神性に同化されることは決してあり得ないとされる。人間は飽く迄人間であり続ける。しかし、人間は、恩寵によって人間のまま神の「活動」に与り、それによってこの活動に同化されて行く。神の本性的活動に同化される。本性は行動の原理であるという意味で、これは神の本性への(飽くまでも活動の次元での)分有、参加と言える。そしてこの本性が三一神であるから、夫々のペルソナの固有の“働き”に同化する。こうして恩寵の賜物の多様性とその統一性が理解されるが、勿論、これは、神の複合性を認めることではなく、人間の不完全さによるものである。この様に限定した上で、次のように言うことが出来よう。即ち、この賜物によって人間は、先ず神性に同化されるが、しかし、神性は三一神であるから、賜物の多様性と統一性によって、ある賜物はあるペルソナの発生源に同化する。こうして、英知の賜物によって、第一の発生源である「知ること」、光に同化することで、人間は、御言に似たものとなっていく。愛の賜物によって、第二の発出・愛に同化することで、御霊に似たものとなっていく。恩寵そのものの賜物によって、総ての行動と生命の原理に同化することで、御親に似たものとなっていく。人間はペルソナであることから、「知」「愛」によって三一神の像をやどしているが、これが恩寵によって更に高められ、三一神の各ペルソナ夫々に同化されて行く。繰り返して言うが、以上は勿論「帰属」であって、三一のペルソナが、ペルソナとして人間に直接に関わるわけではない。
 こうして、三一神は、人間の単なる礼拝・賛美の対象であるだけでなく、私がそれに向かって限りなく同化していく、根源である。私は、恩寵によって限りなく神となって行く。
その結果、私の日常活動はいわば、三一神の活動である。例えば、祈るとき私は、神に向かって祈るだけではなく、むしろ、神と共に祈るのである。ちなみに、実行的なことを言えば、この神化は、全て三一神の恩寵であって私の側からは何も誇るものはない。私に求められているのは何かをすることではなく、素直に受け入れ、そして、邪魔をしないことである。また、総てのキリスト者は、この恩寵を受けている。その意味で基本的に平等である。従って、私と全く同じ恩寵が他者の中にも恐らく私以上に働いている。最も下らないとみなされている人にも合掌の気持ちを抱かねばならない。彼の中に三一神が生きているからである。
§2 世界創造への参画:
 恩寵に依って「神化」された人間は、神の活動に参加する(神となる)従って内的活動だけではなく、外的活動つまり、神の世界創造のみ業にも参与する。神は、被造物を創造に参加させる。神は、中間の出来事(歴史)を一切飛び越えて、ドラマの終局を直接に現出させることもできた。
 神は、不断に世界を創造する。神にとって創造とは、万物に実在とその基体とを同時に与えることであるが、それは、全体と個とが各々にふさわしいし方で自らの完成を達成する方向で与えられる。人間も、勿論、その本性に従って行動する。ところで、人間も同じく自らの完成を目指して創造されているが、ペルソナであることから、二つの異なった要因がみられる。一つは、人間は、「個」でありながら、決して全体の単なる部分とはなり得ない、否、なることは、許されない。従って、如何なる場合にもペルソナを如何なるものの手段としても用いることは、決して許されない。但し、ペルソナも個体であるから、個体である限りに於て、ある場合には、より高い価値のために自らの自由な決断に基づいて、犠牲となることは許される。もう一つは、人間は、この自らの完成を「自己の物」として追求する(ペルソナの特徴は、la possession de soi)、即ち、事態を意識しながら、自由に、--少なくとも拒否できると言う意味で--これを追求するのである。換言すれば、ペルソナである人間は、主体的な行為者として世界の創造に、実在そのものを与える者としてではないが、その完全性の実現者として、つまり実在のあり方を実現するものとして、参加する。ペルソナにふさわしい動かされ方は、管理者、執事として、与えられた方針を実行する事である。
 恩寵は、以上の秩序を前提とした上で、更にこれを高揚する。恩寵に依って神の内的生命に与る人間は、その世界創造にも参画するが、単に神の意志を忠実に履行する管理者としてだけではなく、キリストを介して、いわば神の「立案」にも与る。こうして人間は、神の「友」となり、「共同創造者」となる。神が人間を愛されるばかりか、人間から愛されることも望まれるとは、具体的にはこの様なことである。愛の次元に於て、人間は、或意味で神と等しい高みに迄上げられ、愛のパートナーとなる。
 しかし、この「高揚」は、目的に関する高揚であって、何か高揚された新しいものを目に見える形で付け加えることではない。この世界が既に恩寵の世界であるから、恩寵がこの秩序を変えることはない。人間行為の他に恩寵固有の行為があるのではない。内的生活は、日常生活と別の物ではない。恩寵は、人間の行為を根源的に強化し、これを高める。例えば、食事を考えよう。恩寵に依って、必ずしも食事の仕方が上品になったり、優雅になったりするわけではない。高めるとは、食事の通常の目的(健康維持、交友)をより高い目的(神)に向けることである。食べることが、即神への愛となることである。この場合、意志に直接左右されない人間の行為(actus hominis)と意志が直接関わる人間的行為(actus humanus)とを区別する必要がある。直接高められるのは、後者の人間的行為であって、この主体的行為は、単に人間的行為であるだけでなく、神との共同の行為を構成するのである。
 ここに、昔からの論争がある。つまり、神の意志の絶対確実性と人間の意志の自由の問題である。ここでは、先ず二つの確実な事実を抑えておく必要がある。即ち、全ては、神の完全な自由に懸かっている。と、全ては、人間の自由意志、つまり恩寵に同意し、恩寵に協力し、且つ脱落することもできる人間の意志に懸かっている、である。この二つの命題は、それぞれ確実であり、キリスト者の確信である。しかし、どの様にしてこの二つが、同時に成り立ち得るのか、神自身が関わる問題であるから人間の側からの明快な答えは、不可能である。
 ところで自由とは、何か。通常、われわれの自由は、あれか、これかの「選択の自由」として経験されている。では、選択の自由とは、どういうものか(ちなみに、選択とは普通考えられるように善と悪との間の決定ではなく、善と善との間の決定である。悪自体は、存在しないし、悪は、悪として意志の対象になることは出来ない。意志とは、善に対する能力だからである)。一般に能力は、対象に依って規定されている。目は見ることしかできないし、耳は、聞くことしかできない。対象が与えられると必ず反応する。しかし、意志は、対象からのみ規定されるのではなく、むしろ対象を規定する要因もある。つまり自己に取って何が善であるかを最終的に決定する。経験の場では、善は、有限な個別的善として提示されるが、意志は、より大なる善をそれなりに考慮するが必ずしもそれに決定されるのではなく、より小なる善を決定することもできる。これが選択の自由という形で現れる。
 善を決めると言うことは、一つの善を絶対化することで、これに自己の全存在を懸けることである。従って、決断は、善を媒介にして自己自身のあり方を決定することで、これが、行為-善の主体であると言うことに他ならない。自由と言うのは、この様に善を今、ここに、或意味で、創造する力の事である(この力が選択を介して現れる)。ところで人間が創造する善は、必ずしも存在の領域に於いても善であるとは限らない。つまり、私が生み出す善がそのまま自動的に善として通用するのではなく、外在する基準に依って判定されねばならない。この基準は、結局は、私自身の「存在」である。つまり私の自由は、存在に依って制約されているのである。それ故、もし存在そのものが自由であるような存在者があったら、つまり制約されないと言うことがその存在の「制約」であるような者があるなら、その者の生み出す存在は、自動的に善となる。つまり善そのものが基準だからである。即ち、自分の意志がそのまま基準となる。これを追求して行くと、自らの本質が即自由である(本来限定を意味する本性が、限定のないことが正に本性である)という事実に到達し、これは、神以外に有り得ない。つまり、自由は、神の本性そのものである。従って、自由の極致は神的自律性と言うことになる。神には外的規範がないから、神の行為は即法であり、善であり、自由である。選択の自由はこの様な自律性の不完全な表現と言うことになる。だから、自由意志の問題は、本来人間の自由選択に依る決定と神の決定とがどの様に両立するか、と言うことではなく、人間の自律性は、何処まで神的自律性に迫れるか、つまり、人間は、何処まで神になり得るか、と言うことである。換言すれば、人間の意志が神の意志に完全に従うと言うことは、人間の自由を損なわないばかりか、かえってこれを益々完成することになる。キリストの意志は、この意味で最も完全に自由であった。この方向で二命題は融合的に調和させることが出来る。(勿論、人間に取って自律的であると言うことは最終的には本性を否定すると言いう矛盾を抱えている。)
 ところで、選択の自由が成り立つのは、「手段」の領域だけであって、「目的」に対しては成り立たない。目的という概念が選択を排除している。「目的を選ぶ」と言うことは、厳密には無意味なことで、もし、そう言えるならば、それは、「中間目的」つまり手段としての目的についてである。ある目的を達成するためには複数の手段があってそれを選ぶと言うとき意味がある。
 とにかく、世界創造に参加するとは、神の御旨を行うことであるが、これは、「進行形」で捉えるべきである。つまり、神が既成のものとして予め定められたプランを単に消化して行くことではない。恰も全く人間の事業であるかのように、ある意味で神と共にプランを立てて行くことである。このプランは、究極的には自由を目指している。具体的には外在している法を如何にして内在的法にして行くかということである。ここに「法」の問題がある。「法」は、神の御旨の表現であると共に、その実現のための手段である。この意味で法を正確に守ることが目的ではなく、神と共に「プラン」を実現して行く事が霊性の目的である。法中心の霊性から恩寵中心の霊性へと高められる必要がある。例えば、「従順の徳」は、人間の意志を懲らしめるのが本義ではなく、神の自律へ人間を高めることめざすものである。
 更に、世界創造は、「個人」の次元と同時に世界もしくは社会の次元でも展開される。社会的次元での展開は、正義に基づく社会構造の創造として具現化されよう。また、言うまでもなく世界創造には、肯定的側面、つまり積極的に建設して行く面と、否定的側面、つまり消極的に邪なものを破壊して行く面とがある。そして、この事は、「個人」の次元と同時に世界もしくは社会の次元でも等しく妥当する。いわゆる「神の国の建設」とは、以上のような事を総括的に表現するものである。
§3.神の栄光への参加;「既に」と「まだ」の狭間で。三一神の顕現
 人間の目的は、通俗的には、天国で神の栄光に与ることであるとされている。ところで天国は、どこか空間的な場所にあるのではない。それではこれを、どの様に考えたら良いか。それ故、「栄光」と言う考えを分析する必要がある。神の栄光とは、何か。それは、結局、三一なる神自身に他ならない。但し、「顕示・発露」された限りに於て、「輝き」として捉えられる。三一神は、神自身であるから永遠に輝いている筈である。恩寵は、創造されないものとして(ut increata)聖霊であり、神自身であるから、恩寵と神の栄光とは、結局同一である。創造と恩寵の場合は、神の二つの行為を前提として理解される。即ち、先ず神は世界を創造し、次いで、恩寵によってこれを高める。しかし、恩寵と栄光は、神の唯一つの行為として理解できる。ただ、恩寵の概念の方には、「顕現された」と言う面と、その受取手という考え方が入っていないだけである。本来唯一の存在である神にとって、顕現するとは、どう言う事か。もし意味のある説明を加えるとすれば、それは、神が人間と世界に現れること、つまり、人間と世界の目から覆いが取られて、それまでは見えなかったものが見えるようになることである。恩寵の働きは、信仰に依って知られるが、信仰とは、知性の働きを助けて聖霊を見させる恩寵である。信仰には、見るための手段、前提として「命題」の受け入れを伴うが、命題には、被造物から取られた概念が入っている。この様に、知性(人間)の行為、被造物からの概念、人間の罪などが聖霊を明らかに見ることを妨げ、隠している。従って、神と人間の間にあるあらゆるもの、恩寵、信仰さえ消滅すること、つまり、人間本性と三一神が直に触れ合うことが期待されている。これが「至福直観」と言われる状態で、スコラ学者は、これを次のように説明した。能力とその対象間には均衡関係が予想される。例えば、認識とは、対象が実在界に於て事物を規定しているその規定性そのものに依って知性が規定されることである。しかし、至福直観の場合は、神が対象の代わりに人間(の知性)を直接に規定する。いわば、神自身が人間能力の対象の役割を積極的に果たすのである。こうして能力とその対象の均衡が破れ、全く不可解であるが、一切の媒介無しに神と人間=世界が合一する。神が人間全体を「奪い取る」。そのとき一切が顔と顔とを合わせて露になる。この際人間性を補強するのが栄光の光lumen gloriaeである。
 恩寵は、被造として、人間の態勢であるから、究極的に栄光を目指す。換言すれば、この態勢は、最終的には、「至福直観」への態勢である。それ故、人間の言葉が意味を持つ限りで言えば、神の栄光は、創造されない恩寵として、「空間的」にも「時間的」にもわれわれから遠くはなれているのではなく、既に、いま、ここに、いわば現存している(逆に言えば、その様な関係でわれわれは、存在させられている)。もし、経験的な仕方でこの神の栄光が世界に現れていないならば、それは、人間の側からの条件が整っていないからである。現時点では、われわれは、信仰に依ってこの神の栄光をかいま見るだけなのである。
 神の栄光は、丁度枡の中に置かれた燭のように、恩寵の中に隠されて現存する。従って、この世に於けるあらゆる不完全、不都合と共存している。これは、理論と言うよりは体験である。この意味で、恩寵は、賜であると同時に約束であり、喜びであると共に希望であり、既に所有しながら、同時に待ち望んでいるものである。

むすび:喜びの福音
 恩寵charisとは、喜びを生み出すものの性質である。喜びとは、「善」を現実に所有することから生じる主体的な充実性であって、単に感情だけではなく、ペルソナ全体に充満する。三一神は、先ず人間を愛されただけではなく、不可思議な事ながら、人間から愛されることをも望まれる。愛そのものである神が、正にそれ故にこそ、人間から愛されることを求め、いわばそのためにあらゆる事を敢えて行われた。その頂点が、人間を自分の内的生命に与らせること、人間を愛のパートナーとすることであって、それを可能とするために最愛の御子イエスを与えられた。その結果、人間に取って、最高の善は、三位一体のこの愛、恩寵であり、この事実の告知が福音である。正に、この意味で、福音は、最高の喜びである。但し、この喜びは、それを味わうための態勢dispositioを必要とする。そしてそれが恩寵と呼ばれるものである。つまり、福音は、喜びと共に、それを味わうための恩寵をわれわれに与え、その事実を告知するのである。この喜びは、現在の状況では、悲しみ、苦しみなどと共存するばかりでなく、むしろそれに圧倒されている。しかし、福音は、信頼し、愛する人々に取っては、正にこれらの苦しみを喜びに変容する力をも与えるのである。ここからわれわれに求められているのは、喜ぶこと。感情のみでなく、意志と行動を伴う喜びを体験することである。受身でなく、喜びを阻むものを排除し、積極的に喜びを創造する。そしてこれは、単に個人の次元だけではなく、社会の次元でも実現すること。更に、この喜びを回りの人々に伝えること。喜びは、「物」のように人に「手渡す」ことは出来ない。それは、共に喜ぶことに依ってしか伝わらない。われわれにせいぜい出来るのは、他の人の内にも既に喜びの源が現存していることに気づかせることだけである。なおこの点でも、単なる感情の伝達ではなく、時には社会構造の抜本的改革への積極的参加をも義務的に要求するものである。福音を伝えるとは、神学理論を教授することではなく、上に述べたような意味で喜びを実践的に伝えることである。(完)

2009年8月6日木曜日

歴史上の人物としての「史的アダム」

「創世記」1~3章に登場する「アダム」と呼ばれる人物は、歴史上の人物であろうか。更に、1~3章は、歴史的出来事の忠実な記述であろうか。アダムが、歴史の次元で、仮に全人類の「最初の父」でなかったとしても、少なくとも「最初の罪人」であるとすべきかどうか。或いは、この罪人アダムは、全人類がその起源以来、連帯して罪人である限りにおいて、全人類を象徴的に表わす者であろうか。これらを確定するのは、吾々の問題ではない。吾々の問題は、原罪の教義、若しくは教説を認めるためには、「史的アダム」を認めなければならないかどうか、である。既に見たように、トレント公会議で「定義」されたような形での「原罪説」は、上記「創世記」の直接、且つ、厳密な意味での釈義から由来するものではない。定義された原罪説の「本質」は、「人間は、神の意志に反して成聖の恩寵を失った。その原因はすべて人間の側にある。この恩寵喪失状態は、すべての人間が、人間として産まれ出ることによって、つまり、それによって人間本性を分有することで、各人に固有の、内在的状態として、すべての人間に伝播する。この状態は、類比的ではあるが、本来の意味で、罪である」と要約されよう。即ち、人間における罪の発端は、人間にあること、人間は、例外無く、この罪に連帯していること、これが、「原罪」の核心であろう。神学の任務は、本来善なるものとして、創造された人間に、何故、どのようにして罪が入ったのか、何故、どの様にしてすべての人間は、この罪に連帯するのか、と言うことを神秘の責任に帰すことなしに説明することであろう。人祖アダムの犯罪を、全人類が、アダムを始祖とすることで共有するとの説明は、キリスト教初期当時の「人間観」を前提にする限り、非常に優れた説明と言うべきである。しかし、世界観や人間観が、革命的と言って良いほど深められた現代では、神学的説明は、「教義」の本質を保全しながら、更に洗練されてしかるべきであろう。この意味で、吾々は、「原罪説」の説明として、必ずしも史的アダムに固執する必要はないのではなかろうか。
 とにかく、人類の起源についての生物学の仮説は、原罪説の核心を明確にすることを求めている。それ故、神学者は、今日、アダムの身元確認問題について自由に論じ、又、この主題に関して、様々な研究仮説を提起することが出来る。但し、トレント公会議が定義しようと望んだこと、即ち、原罪は、「その起源から一であり、万人に、模倣ではなく、繁殖によって伝播する」との主張を擁護するのが条件である。
 各人が、個人として罪を犯す以前に、その誕生の瞬間から、「作因された罪」と呼ばれる原罪を身に負うのは、起源以来、人間の歴史において犯されたすべての個人的罪の理由によるのであり、罪人アダムで象徴される罪ある全人類との同一かつ唯一の連帯性の理由によるのである。

2009年8月4日火曜日

唯一の仲保者を巡る類型論

i.排他主義Exclusivism;キリスト教以外はすべて駄目。
ii.包括主義Inclusivism;キリスト教以外の宗教は、全てなんらかの仕方でキリスト教に含まれる。キリスト教は、最終的頂点である。
iii.多元主義Pluralism;神に就いての認識は、キリスト教を含む全ての信仰において部分的である。
 あらゆる宗教は、多様な方法で表現された、真理の譲渡できない核を含んでいる。宗教は、自己の本質を把握するに連れて、全ての宗教の「本質」を把握する。この「本質」は、未来に実現するものである。(W.E.Hocking)
 救いをもたらす、神と人間の接触の場は、幾つもある。神の啓示し、あがなう活動は、歴史を通して、文化的に条件づけられた幾つもの仕方で、応答を引き起こしてきた。それぞれの応答は、部分的、不完全、独自のものであるが、それらは相互に関連し合い、その結果、それらは、唯一の究極的な神的現実に就いての、様々な文化的に焦点を合わせた把握を表す。
 ただ一つの神学形態で受容され得るような、世界に対する只一つの啓示があると言うことは有り得ない。神学的地動説{キリスト・キリスト教中心から神中心へ}(J.Hick)

2009年8月3日月曜日

キリスト教以外の諸宗教の意義

 キリスト教以外の諸宗教も神秘に関する我々の(学的)認識を構成する必須の構成要素として(「神秘」の部分として)受け入れる事が出来るであろうか。これが諸宗教の神学の根本問題である。神学の一般主体(素材主体)は、神秘に係わるすべてのものであるから、その中には、当然キリスト教以外の他の諸宗教も含まれる筈である。しかし、神学の一部門としての諸宗教についての神学は、ただそれだけを意味するのではない。即ち、諸宗教が、単に存在の秩序において善なる要素を含んでいる、もしくは更にそれ自身善であるということを論証するだけではなく(これによって諸宗教が第一原因としての神秘の意志の対象であることが論証され得る:これはいわゆる「自然神学」もしくは「宗教哲学の問題であろう)、更にその上に諸宗教は、神秘の「自由意志」によって、つまり存在の第一原因としての神秘ではなく、それを無限に超える神秘固有の意志によって、意欲されて(許容されて)いることをも解明しようとするものである。所で、問題は、この事を積極的に論証するための方法が、与えられているかどうかと言うことである。つまり、上述の「潜勢的啓示」の中に「諸宗教」が含まれているかどうか。言葉による啓示、出来事による啓示、何れかにこの問題は含まれているだろうか。実は、これは所謂「実証神学」の領域であって、今後この方面での成果が期待される。従って我々としては、仮に所謂啓示からの積極的な「証明」を導き出すのはさしあたって出来ないとしても、少なくとも諸宗教が救いのための正常の道であると考えることには、他の知られている天啓の諸事実と矛盾するものではないことを論証する必要がある。また、それに留まるものである。
 これを要するに、我々は、既に、宗教本能と宗教体験の普遍性を述べ、宗教体験には、真正なものとそうでないものとの区別が可能であることを論じた。この場合、「真正なもの」とは、単なる主体の自己内体験ではなく、主体から実在的に区別された何らかの体験対象(客体)があるとされる場合であり、超越者を立てる思考様式の枠内では、究極的に超越者の実在が体験に対応している場合である。しかし、この最後の場合は、正に超越者であるが故に人間の側からの「検証」を許さない。従って、個々の宗教体験について、それが真正であるかどうかを積極的に「証明する」ことは原理的に不可能である。それゆえ、諸宗教の神学は、キリスト教以外の宗教の「真正性」を論証することは出来ない(勿論、キリスト教の真正性をも論証することはできない)。ただ、キリスト教神学の立場から、他の宗教が真正であっても、矛盾ではないことを可能な限り明らかにしようと努めるのである。諸宗教の神学、さらには神学そのものの限界を率直に認めるものである。

2009年8月2日日曜日

宗教体験の体系化

宗教体験は、誰にでも見られるものであるが、それが人間の体験である限り、多少とも、体系化、社会化を目指すものである。即ち、体験は、人間ペルソナの働きとして、根源的に知性の活動であり、その限りに於て、非質料的であるが、この様な活動は、いわば裸のままで存在し続けることは、不可能ではないにしても、極めて困難である。通常、体験は、概念(言葉)や行動を前提とすると共に、またそれらに依って維持、表現される。概念・行動は、歴史と風土、更に一般的には、「文化」の影響を強く受けている。従って、宗教体験も、文化に必然的に制約されているとは言えないにしても、文化に影響されるところは大である。
 この様に、宗教体験は、体系化、社会化をある程度自然に指向するので、ある一つの宗教体験は、特にそれが、深く強烈な場合は、多くの人々に追体験、共有され、様々な行動や制度に依って維持、伝承されて行く。体系化され、制度化され、社会化された宗教体験を「制度としての宗教」と呼ぶ。勿論、現実には、「制度としての宗教」の「制度化の度合」は、極めて多種多様である。「宗教体験」と「制度としての宗教」とは、分離して実在し得るものではないにしても、少なくとも概念的には、区別されたものである。従って、同種類の宗教体験が、それぞれ異なった「制度としての宗教」に依って「担われる」ことも論理的に不可能ではない。

2009年8月1日土曜日

宗教体験

次ぎに、一般に「経験」、「体験」と呼ばれているものに就いて考えて見よう。体験と言う語を厳密に定義するのは難しいが、ここでは非常に広く、凡ゆる経験、特に、単に知性の作用だけではなく、広い意味での感覚全般を媒介として与えられる経験を指す。即ち、経験は、通常、思弁に対して言われる。つまり、知性の活動だけ(厳密にはあり得ないが)によって得られるとされる知識に対して、知性以外の凡ゆる能力特に身体を活用して、その意味で直接に得られる、非常に広い意味での知識、あるいはその過程を経験と呼んでいる。勿論知性が最終的に排除されている訳ではないが、重点は、それにはなく、寧ろ五官や感性及びそれらを通して直接する環境などが強調される。従って、具体的に言えば、生きていると言うことが、即体験なのである。
 ちなみに、体験は、概念化が難しく、従って知性の統御の及び難い領域であるが、豊富な情報源であり、人間の生存に重要な役割を果たしている。本来、思弁と経験とは対立する別個の認識手段ではなく、両者とも人間ペルソナの活動として、一つの認識手段の両面であって互いに補完し合うべきである。つまり、目が見るのではなく、ペルソナである私が目で見て知るのである。
 これを要するに、宗教体験とは、上述の宗教的事象を対象とする体験のことである。
 さて、この体験の成立根拠もしくは起源には二つの場合があり得る。一つは、対象としての宗教的事象の実在並びにその意味が我々の能力の限界内に於いて確認することが出来るとされる場合であり、他は、確認が理論上不可能であるとされる場合である。即ち、厳密な意味での信仰の対象は、定義によって、人間の能力を超越する筈であるから、この対象に就いての体験は、人間の側からの働き掛けに依存しないで、純粋に与えられなければならない。つまり人間は、この対象に就いての知識を「与える者」から受け取らねばならない。従って、この「与える者」は、あるいは、自らが人間の能力を超越している者であるか、あるいは、さもなければ、この様な者から与えられものを正確に、且つ忠実に伝達する者でなければならない。つまり、後者は、前者の権威を忠実に媒介しなければならないのである。
 又、体験が与えられる場合、何等の媒介なしに直接に与えられる場合と、個人もしくは、集団の体験を媒介として与えられる場合とがある。厳密に言えば、我々の信仰は、この後者の種類の体験に主としてかかわるものを指すのである。現実の問題として、我々は、親なり、教師なり、先輩なり、あるいは、特に我々が生きている共同体なりの信仰(ここでは広い意味での)を継承して行くのである。
 所で、この様な信仰は、前述のように、多くの場合、第三者を媒介として伝えられのであるから、媒体、つまり媒介の手段が重要になって来る。これらの手段は、多種多様であるが、何と言っても一番適切なのは言葉である。勿論、言葉にはそれなりの制約があるが、その範囲内では有効な手段である。又言葉と言っても、色々のジャンルがあるが、理論的に概念化を越えるとされる信仰を容れるものとしては、象徴的な表現で、ある歴史的な事実の核心を述べる物語が最も適していると思われる。我々は、この様な物語を広い意味で「神話」と呼ぶ。それゆえ、神話は、信仰内容を指し示す唯一の手段ではないが、主な手段であることは否めない。我々は、神話を正しく解釈することによって、又その他の補助的手段を駆使することによって、ある信仰体験の事実とその内容とに出来るだけ近く迫れる筈である。
  我々が、信仰の正偽を論じる場合には、以上の様な諸点を明らかにする必要がある。特に、信仰の伝達者に適正な資格、適正な権威があるかどうかを検証する必要がある。併し乍ら、ここに述べたことは、飽く迄も抽象的な理論の領域の問題であって、実際の具体的な場合には、事態はもっと複雑であることは言うまでもない。即ち、先ず信仰の理論があって、それに基づいて、論理的に信仰が成立するのではなく、実際は、その逆である。それゆえ、必ずしも常に凡ゆる信仰が適切に解明し尽くされるとは限らない。
 さて、宗教体験とは、宗教的なものについての経験であるが、上述の様に、宗教体験と宗教知識とは本質的に異なる訳ではない。確かに信仰者と宗教学者とは同じではないが、その対象としているものは、同一の事実である。その意味で、経験は、そのものとして分析や伝達が至難であるが、その対象の分析から幾分間接的に経験を明らかにすることは、不可能ではない。
 宗教をこの様に定めるならば、所謂「宗教体験」もしくは「宗教経験」は、言わば日常生活の中で通常に見られる出来事である。宗教体験を何か高尚な神秘的経験にだけ限るのは、一種の知的驕りではないだろうか。勿論神秘体験も宗教体験には違いないが、その極く一部に過ぎない。従って、宗教体験は、所謂教団の枠を超えて見られる普遍的な現象でもある。では、何故この様な宗教体験、もしくは現象が世界の至る所で、およそ人間の居る所に見られるのであろうか。我々は、その根拠を人間本性に基づく本能の内に見たい。つまり、人間には「宗教本能」とも呼ぶべき本能がある。この本能の基本的現われは、人間の願望、欲求は直接する対象によって完全に規定し尽くされる(充足され尽くされる)ことなく、絶えずこの対象を超えて求め続けるところにある。「本能」そのものの分析は、ここでは行なわないが、その表現は、極めて多様であり、かつ風土と歴史とから著しい影響を受けることを指摘するに留める。それでは、この様な宗教本能と所謂既成の「宗教」とは、どの様な関係に立っているのか。これを理解するため先ず、上述の宗教本能の「対象」について見て置かねばならない。先に我々は、この対象を、非常に広い意味で捉えて来た。何等かの意味で、宗教本能が求めるもの、本能を満たすものは、総てその対象であると言うことが出来る。今これらの対象を現実との関わりから見れば、この対象に本能とは独立に現実に実在する「何か」が対応している場合と、そうではなく言わば本能の「自己励起」とも言うべきものに過ぎない場合とが考えられる。前者の場合は、更にこの「何か」は、原理的に人間の理性に基づく手段によって検証可能であるとされる場合と検証不可能とされる場合とがある。後者の場合には、この「何か」を検証するには、上に述べたようにこの「何か」自体が与えてくれるとされる検証の手がかり(例えば「信仰」)が必要になる。即ち、この「信仰」によって具体的なある特定の宗教本能の体験が、実は、超越する「神秘」の「体験」であったことを知るのである。但しこの場合、「体験」と言う概念は、能動的、つまり我々の方から「神秘」に働き掛けるのではなく、受動的、つまり「神秘」の方から我々の能力なり、活動を採り上げると言うことを意味するものである。即ち、「神秘」は、その超越的自由によって、望むときに、望むところで、我々に介入することが出来る筈である。こうして厳密な意味での「神秘体験」は、人間の一般的な宗教本能を前提とし、かつこれを完成するのである。宗教本能は、人間の自然性に基づく本能であるから、それ独自の力では勿論本来の意味での「神秘体験」を生み出すことは、絶対に在り得ない。しかし、上述の様にもし「神秘」が望むならこの宗教本能を採り上げて「神秘体験」を起こすことは不可能ではないであろう。
 こうして、少なくとも理論的には、過去に於いても、現在も、さらに亦未来にも真正の「宗教体験」が在り得る筈である。所で、この様な宗教体験は、個人の次元で起こることも在り得るし、また集団の次元で起こることも在り得る。亦この体験は、一過性のことも在り得るし、また第三者自身の(最広義の)宗教体験を媒介として追体験の形で広く時間空間にわたって伝播して行くことも在り得る。勿論この第三者自身の宗教体験が前述の意味での真正の「神秘体験」であることも当然考えられる。ただ何れの場合にせよ、宗教体験は、言わば「裸のまま」ある、のではなく、必ず広い意味での概念化を経て保持され、伝播されるものである。ここに体験そのものとその概念化との間の「ずれ」の可能性と、そして概念が必然的に蒙らねばならない歴史、文化的な制約の問題とが現われる訳である。所謂既成の宗教は、以上のような諸々の要素が複雑に絡み合って発展して来たものであり、宗教本能に対しては、言わばこれを土壌、培養液としながら、自らの「組織」を拡大し、他方では、これに理性的な規制を強要し、自らの内にこれを統御しようと試みるのである。

2009年7月30日木曜日

宗教本能

あらゆる存在は、実在を目指し、すでに保有していればこれを確保し、より一層これを確実にしようとする。生物一般については、この様な「欲求」は、自己保存の本能と呼ばれるが、広義に眺めれば、これは生物だけに限られるのではなく、あらゆる存在者について妥当する。即ち、この「欲求」は、現状変更に対する「抵抗」として現われる。人間の場合この欲求は、「対象を超えた対象」への欲求として現われる。即ち、人間の欲求には、それぞれそれにふさわしい充足をもたらす対象があり、この点で他の生物と共通している。しかし人間は、この様ないわば「即場の」対象に依ってだけ充足されてしまうのではなく、絶えず、それを超えて何かを求めている。この様な「何か」が現実に存在するのかどうか、或は、存在するとして、果して手にはいるのかどうか、などは別として、この様な欲求のあることは、明らかである。この様な欲求は、存在者としての人間の本性から由来するものであるから、一つの「本能」である。これを広義で「宗教本能」または「幸福本能」と呼ぶことにする。これは、本能つまり本性に由来する欲求であるから、当人が意識するしないに関わらず、あらゆる人間に普遍的にみられるものであり、また、人間の条件に左右されるものである。この様な欲求が、時に満たされることのあるのは、経験の教える事実である。この場合、現実に何からの「対象を超える対象」に依って直接もしくは間接に満たされたのか、或は、単なる幻想であったのか、今は問わない。とにかくこの欲求の「充足」を、これも広い意味で「宗教体験」と呼ぶ。つまり、宗教体験には、現実の体験と、幻想とがあり得るわけである。宗教体験は、人間の体験として、人間が本性上共同体的である限り、たとえ幻想であるにせよ、必ず「文化」の中で生起し、「文化」の中で表現される。 即ち、人間は、個人としても、集団としても、ある時に、ある宗教体験をすることがある。抑々宗教、体験、と言う概念そのものが多義的であるから、ある程度の概念規定が必要であろう。宗教の詳細な分析は、やや小論の範囲を超えるので、ここでは言葉の意味の説明にのみ留めたい。「宗教」の「定義」は種々試みられて来た。その場合、当然のことかも知れないが、既存の“大”宗教、特にキリスト教を基準として考えられることが多かった。しかし、小論の論旨からすれば、この様な「定義」は、狭小に過ぎるので、所謂擬似宗教をも含めることの出来る様な極めて広範柔軟な概念を採用する。従って、ここで言う宗教とは、非常に広義であって、各々の現象の究極的原因(それが実在するか否か、あるいは共時的に意識されているか否かは別として)にかかわる事象一般を指す。それゆえ、理屈を言えば、所謂無神論も、否定された究極の原因にかかわると言う意味で、一つの宗教体験である。又、大自然や人情の機微などに直面した時の人々の心の態度も、それが究極的原因に対する関わりを潜在的に含有する限りに於いて、宗教的であると言うことが出来る。勿論、宗教的のものとして主観に意識されていない場合もあり、寧ろその方が多いかも知れない。要するに、宗教とは、“究極的なものを求める過程に於いて、何等かの仕方で、自己の経験の範囲を超えるものと信じられているものによって自己の願望を満たそうとし、そのため、これを可能とすると見なされる「手段」を用いる人間の文化現象の総体”である。
 凡そ人間の活動は総て広い意味で欲求を満たす行動であるが、この欲求を満たすことの出来るものが対象と呼ばれる。所で、これら対象と見なされているものには自ずと二つの区別、もしくは種類がある。一つは、行為を行う者の自己の能力なり、経験なりで--直接に、今すぐにではなくとも--達成出来ると考えられている対象、もう一つは、この様な範囲の外--少なくともその獲得方法に関して--にあると見なされている対象である。人間が前者の意味での対象だけでは満たされ尽くさないことは、言わば自明である。従って、後者の意味での対象をも手に入れようとする「努力」が必ず表われるが、この努力は、意識的であることも、意識されていないこともある。併し、何れにしても前提からしてこれらの努力は、独力では達成出来ないことも自明である。こうして宗教が究極的なものを求める限りその概念には、願望の対象だけではなく、この願望を満たしてくれる自己以外の何等かのモノと言う考えが、必然的に含まれることになる。このモノが人間の(思考)活動にのみ依存するものか、あるいは、それとは独立に実在するものか、又その本性、数、働きなどがどんなものか、などは、差し当たっては問わない。

2009年7月29日水曜日

神々の実在に就いて

「概念化された」神道の神々が果して実際に人々の思考作用を離れて実在するものかどうか、実在するとすればそれはどの様な性質の者なのか、検討しなければならない。
 先ず神々は、「絶対者」とは考えられていなので、論理的にその実在を(テオスの場合のように)証明することはできない。証明できるのは、その可能性のみである。そして、我々は、矛盾概念でない限りその実在は常に可能であると考えることが出来る。即ち、我々の場合は、神々の実在は、可能である。つまり、我々人間の経験を越える何等かの存在態、或は、神道的に言えば、明界に対する幽界が実在するとしても矛盾ではない。但しその実在そのものは、別の証明を要する。この場合、カトリック神学の側からは、伝統的ではあるが、あくまでも伝統に過ぎない宇宙観に基づいて、「幽界」の実在を云々すべきではない。少なくとも我々は、人間の経験を越える問題に就いて未知の事が非常に多いことを認めねばならない。他方神道の側からは、神々に就いて言われていることは、飽くまでも「神話」であることを忘れてはならない。神話が言わんとしている所を洞察すると共に、幽界に就いては、余りにも知られる所の少ない事に留意すべきである。
 次に、個々の神々の具体的な実在に就いてであるが、一般に信仰とその対象に関しては、論理的には、対象が信仰に先行し、その逆ではない。従って、信仰の事実から、その対象の実在を論証することはできない。しかし、健全な(何を以って健全とするかは難しいが)信仰には、その説明根拠として何等かの実在的な対象が対応していると考える方が妥当である。従って、我々は、ある神に対する健全な信仰には、その対象の性質は未知ながらも、何等かの実在的対象が対応しているものと考える。即ち、神道の信仰は、総て幻想である、とア・プリオリに断定することは為すべきではない。勿論、安易にキリスト教的概念、例えば、神の力、天使、聖人、悪魔などを持ち出して神道の神々は、その様なものの「日本的な」概念化であると説明することも避けるべきであろう。現時点においては、神道の神々の「実在」は、実証的には、未だ、断定を下すための手段に欠けると言うに止めざるを得ない。

2009年7月28日火曜日

多神観

 神道の神観は、或意味で、必然的に多神観に立たざるを得ない。そして、神道神学もこの事を否定しないばかりか、寧ろ積極的に肯定している。歴史的には、基層神道の信仰も多神的であることは、議論の余地はない。
 上田賢治は、神道が、多神教である論拠を以下のように挙げている。
 「第一に、神道信仰は、・・・記紀に示された信仰心意の原理に背馳しないものでなければならない。・・神道信仰のアイデンティティ―を保証するものは、記紀時代、すでに成立していた民族自発の発想・信仰原理に基づくものであり、それからの展開として神社祭祀の現実にも継承されていなければならない。・・第二に、神道神話には、全智にして全能なることを属性とする神は出現せず、祭祀の現実においても、・・多数神(延喜神名式--九二七年--には三千一百三十二座)が、同時に奉幣の待遇を受けて来た。p.26-27.(神話の神々は不完全であった)
 一神にして多くの神名を持つ神の問題・・神道の神理解は、・・尋常ならずすぐれた徳(働き)あるものに向けられており、・・人間がその実体を全体として把握しうる対象ではない。我々が神の存在を知りうるのは、神からの働きを受けてのことであり、その故に神の御名は、我々がその働きに対して奉ったものに外ならない。もし統合的に神を理解し、思念する志向が中心的傾向を占めていたのなら、大穴牟遅も八千矛ノ神も、共に大国主の御名で祀られていた筈である。ところが事実は逆に、大穴牟遅ノ神はあくまでも大穴牟遅ノ神として奉斎されて来たのである。この事実は、一神教化への傾向よりも、むしろ多神教化への志向こそ、神道本来の姿であった・・。p.27-28.
 最後に、古典神話には、超越神、従って創造神も語られていない・・。・・神道神話は、・・世界を所与からの発展、或いは展開として理解しており、神はその所与から、存在を存在たらしめ、発展させる力としての本質が顕現する形で語られている。p.28.
 神道の神が「ナル」神であり、或は「生れる」神であるが故に、多神となる、というのが筆者のこの問題についての理解である。p.28.
 要するに、神道の信仰の本質は、多神教であり、多神的信仰を失えば、宗教としての神道は、その本来の面目を損なうのではないかと思われる。以上のような考えを踏まえて、ここで、所謂多神観の意義について若干の考察を加える必要があろう。従来の西欧流キリスト教思想では多神観、特に多神教は、宗教の堕落した形態と考えられていた。健全な理性なら当然、「唯一神テオス」は一つと考える筈である。絶対者、完全者が二つ以上ある訳がないからである。確かにその通りだが、我々は、ここで形而上学的、論理学的な次元と宗教上・心理上の次元とを区別して考える必要がある。後者は、主体の在り様が重要な意味を持ち、心理的、情動的要素が強調される。あくまでも「実践」が主であるから、この次元・領域に於いては、「真理」は、多様で有り得る。それは、個々の主体の「善」に関わるからである。これに対して、前者の形而上学的、論理学的思弁の次元は、「存在」と「認識」の領域である。ここでは、主体の善よりも、客観的な「真」が重要な意味を持つ。その限りに於いて、「真理」は、ただ一つである。主体は、或意味で客体によって規定されるからである。
 前者の次元では、前述の様に、「テオス」が二つ以上あるとは考え難い。しかし所謂「多神教」は、実際にその様なことを主張しているのであろうか。そうではあるまい。抑々「神」と言う概念そのものに問題があるのである。上述のように神道で言う「神」は、一義的な概念ではない。絶対者、完全者、超越者などを表わしているのではない。それは、形而上学的、論理学的概念と言うよりは寧ろ言わば宗教的概念であり、常人よりも何等かの意味で多少優れた信仰なり礼拝の「対象」と考えられているものである。敢て言えばそれは、我々の宗教活動の「焦点」である。所謂「多神教」と言うのは、宗教の実践的活動の場に於いてこの様な「焦点」が多数在り得る事を主張する立場である。ここで言う「礼拝」と言う概念もキリスト教神学で厳密に「定義」されているような唯一絶対の神に対する全存在を挙げての帰依を指しているのではなく、無論それを否定するものでもないが、もっと単純な「有り難し・畏し」と言う心地を表わすものである。 それ故、多神観は、形而上学・論理学の次元で「絶対存在者」が幾つあるかと言うようなことを直接に問題としているのではない。この様な問題については敢て論及を差し控えると言うのが本音であろう。宗教・心理上の次元では、宗教活動の焦点が複数である、あるいはこれらの焦点が時に応じて変動すると言うことは決して矛盾ではなく、普通一般に見られる現象である。これは哲学的な唯一神論の立場に立つ、例えばキリスト教の様な場合にも事実上見られることである。実際一般のキリスト教教徒が「神」を礼拝している場合、その「神」は、形而上学的、論理学的な概念であろうか。果たして人間には「絶対完全者」そのものの概念を有つことが可能であろうか。結局、実際には、複数の概念を結合して「神」を考えているのである。哲学の次元では、唯一神論が論理的に説かれるが、宗教上の次元、つまり実践の場では宗教活動の「焦点」は、決して単一ではない。そればかりか、これらの「焦点」は、キリスト教に於いても時と場合に応じて種々に変動していることも否めない。従って具体的な宗教現象、信徒の心理現象として見た場合、所謂「多神教」と言われるものからそれ程掛け離れている訳ではない。
 信仰実践の次元に於いて、人間の営みは、本来多神教的、或いは、筆者の表現では、「多中心的」である。これは、理論と言うよりも一つの事実である。唯一神教の代表と言われる、ユダヤ・キリスト教に於いても、その信仰の実践を客観的にみれば、多神教的である。これは、聖書を良く読めば、自ずと判明する。尤も、唯一神的解釈が加えられているのは、言うまでもない。これは、上述の「唯一神的傾向」がしからしめているのである。
 「ヤハウェ」観念(観念という語に注意)というのも元来は、イスラエルの一部族神ではなかったかと思われる。この点については、石田友雄、『ユダヤ教史』、p.22-26.及び、以下の引用文をも参照すると良いだろう。
 「・・聖書資料をよく検討してみると、族長たちが礼拝していた神とモーセに顕現したヤハウェが、実際には同一神でなかったことがわかる。何よりも、“アブラハムの神”“イツハクの神”“ヤコブの神”という特有の呼び名が、族長の神--より厳密には族長たちの神々--の本質を表わしている。・・守護神礼拝は、多分に一神礼拝的性格を持っている。族長たちが、モーセ時代以降の激しい異教排撃と無関係なことは、彼らが一神教徒ではなく、一神礼拝者であったことを示していると思われる。」(石田友雄、『ユダヤ教史』、p.23-24.)
「旧約の宗教は主として時間の軸に沿って展開するのだが、..私は、天幕の中に神の名を唱えつつ、天幕の無の空間に神の霊が満ちたという、そういう経験が繰り返されたと推定し、それが族長時代のひじょうに重要なことではなかっただろうかと考える。..族長時代にはあるかぎられた空間が霊的空間として重要な意味をもったと考えたい。..祭儀というのは空間的なものである。聖なる空間、霊的空間、神霊の満ちる場所ということは現代の我々には分かりにくいが、族長の信仰なり..を具体的に考える上で、そういうものを想定することが重要..。一番深い問題は神の名と一定の空間における神の現在との関係であろう。」(関根正雄、『古代イスラエルの思想家』、p.55-57.)
 「旧約の神は一般的、抽象的ではなく具体的なのである。..万有在神論というのは自然物そのものが神だというのではなく、自然という、神とはぜんぜん違ったものの中に神性が宿ること..。旧約聖書の神は、超越的で天にいて人を裁く神だというのが俗説だが、..それは結局旧約聖書を厳密に読まないからである。..旧約の神はすべての自然物の中に来たり給うし、我々の体の中にも来たり給うのである。けれども、我々の中に内在しきってしまうということはなく、その意味で我々を越えている。」(関根正雄、『古代イスラエルの思想家』、p.64-66.)
 「「存在する者」とか「存在せしめる者」とか、さらに現代的に「実存者」という意味だ、というが、問題はこの時代に「存在」とか「実存」とかいう概念が正確に原語の意味に応ずるか、..。やはりある経験的・論理的な意味を少なくとも反省の段階ではヤハウェという名前に中に含めただろう..。ヘブライ語、アラム語に出てくる「ハーヤー」「ハヴァー」は、動詞の起因話態としては他に例がないので、「あらしめる者」という起因的な意味はむりであろう..。「「ある」を神の存在性、不動性、恒常性という抽象的意味から解すべきではなく--これは西欧的な神の属性の考え方である--、..「..君とともにあるであろう」という具体的な神の同伴、現在から解すべきであろう。..モーセとイスラエル全体に対しての歴史の中での、神とともにある霊的リアリティが中心だ、..歴史の中での神の活動を含む。」(関根正雄、『古代イスラエルの思想家』、p.67-68.)
 「..イスラエル人はカナンに入ってから周囲のカナン人の世界にふれたのだから、複数的に神を考える思考に当然ふれていた。「創世記」一章の「我々のかたちのように人を造ろう」という場合のような「我々」というのは複数である。カナン的な考え方を前提していわれているので、天の宮廷を考えて神的存在という意味で「我々」といっているのだ、..(アルトの説)」(関根正雄、『古代イスラエルの思想家』、p.133.)
 「・・われわれ日本人は、絶対者としての神をいわばノエーマ的にではなく、ノエーシス的に把捉しているといってよかろう。したがって、神社の祭神は、時代の宗教思潮の変遷に伴って、また、しばしば変遷するであろう。」(西田長男、『日本神道史研究』、9、p.420-421.)

 何れにせよ、我々自身の信仰を振り返れば、時と場合に応じて色々な「カミ」に祈っているが、これは、ヨーロッパの人にはみられないことだろうか。ただ、このような「多神的な信仰」が、「唯一神的傾向」で現れるか、「多神教的傾向」で現れるかは、また別の問題である。
 以上のような事実は、我々の実際生活に於ける多神観の意義をもう一度積極的に見直して見る必要を示唆するものである。つまり、多神観は、人間の堕落した考え方なのではなく、寧ろ人間本性の正当な要求として捉えられるべきである。勿論、宗教の次元に於いても宗教活動の対象つまり「神」に対しては、それが仮令「多神的」であっても、心情的には絶対的な帰依、信頼、礼拝などが捧げられる。形而上学的に言えば絶対者では在り得ない対象に向かって、この様な絶対的行為を捧げるのは矛盾ではないか、との反論が在り得ようが、これに対しては、確かに、相対的なものを絶対化する危険は、如何なる場合にも(一神教の場合でさえ)在り得るのであって、そのため絶え間のない自己批判が求められるのであるが、心情的に絶対化されたものが必ずしも存在の次元でも絶対化されるとは限らない、と言うべきであろう。

2009年7月27日月曜日

内在的神観

 我々の経験するものは、すべて、相対的であり、動的である。永久不動のものは、経験を否定して、或は経験の彼方でしか与えられない。神をそのまま相対的、動的に捉えることは、それを世界内存在者として捉えることに他ならない。単に、神が世界に働きかけると言うだけでなく、神は、世界の一部である。勿論、これは、世界と神が即同一であるということ、即ち、いわゆる汎神論を意味するものではない。超越的神観が、容易に無神論へ逸脱する傾向を持つのに対して、内在的神観は、特に倫理的汎神論へ逸脱する可能性が強いことは、否定できない。

2009年7月25日土曜日

動的神観

宇宙の根源もしくは究極的な存在は、静的なものであるか、あるいは動的なものであるか、議論の分かれるところである。即ち、万物の究極の根源は、もしあるとしたら、それは、万物を動かしながら自らは動くことの無い、不動の動者か、あるいは自らも無限に活動する原動力なのか。ギリシア系の哲学では運動は、根本的に不完全の現れと見なされてきた。従って、完全そのもので無ければならない、万物の究極的な根源には運動の余地が全く有り得ない。不動の動者で無ければならない所以である。確かに我々の経験では、運動は、常に不完全の印である。しかし同時に多くの場合、それは完全性の印でもある。それは、生物と無生物とを比較してみれば良く判る。それ故、活動すると言うことは必ずしも不完全なことではなく、寧ろ完全なことでもある。従って、万物の究極の根源から、運動を完全に排除するのは、一面的な見方であるとも言える。論理の次元で、運動概念は不完全性を含むと言うことから、実在の次元でも運動を否定するのは誤りではないだろうか。少なくとも、究極の根源が「動」であり、との考え方を単に不条理として退けるべきではないであろう。所で、神道の神観では、神々は、動的な概念として捉えられている。『古事記』冒頭の創成神話から明らかな様に「ムス」と言う概念が重要な役割を果たして居るが、これは、万物を生み出し、育成し、完成させる「力」である。この力が目に見える形で現われる場合の一つがカミである。ここで注意すべきは、所謂西欧哲学の「本質」と「現象」の区別は、形而上学的には神道では立てられていないことである。従って目に見える具体的な事物の他に、これから遊離した別の「ムス」と言う「実体」が実在すると考えられている訳ではない。ムスと言う力そのものが具体的事物として働き掛け、それが人間の畏れかしこみの対象とされるのである。すなわち、物を生み、育成する力そのものが、 存在としてではなく、力 としてカミと成るのである。存在の「ある」の面よりも 「成る 」の面の方が強調されていると言えよう。

2009年7月24日金曜日

相対的神観

 神道の「神」は、本質的に相対的である。如何なる神も「絶対者」ではない。確かに或神、例えば、天照大神を皇祖神として事実上絶対化しようとする傾向は、絶えず見られるが、これは、いわば「信奉者」の願望、若しくは意思であって、概念自体は、常に相対的なものを指している。信仰の内容として見ても、「絶対者」自体に対する信仰は、存在しない。神観が相対的であると言うことは、「他」を抱擁、総合することが至難であり、相手の存在を否定することによってしか、統合できないと言う危険を抱えている。

2009年7月23日木曜日

個別神について

具体的な個別神として、天之御中主神、天照大神について一言してこう。
1 天之御中主神信仰
 「天地初めて発[ヒラ]けし時、高天原に成りませる神、御名は天之御中主神。」(『古事記』)とある様に、この神は、始源神(初発神)である。この神が唯一神的性格を持つに至った理由は、一つには、儒教の「天」の思想の影響であり、他は、仏教の「応現」(或いは権現)の思想の影響によるのであろう。特に、日本書紀が編纂時の儒・仏教の影響が強いことは周知である。神武紀には、「天道に逆らう」、神功皇后紀には、「百済国は天の致[タマ]わるところ」、仁徳紀では、「天命なり」と言うように、「天」の思想は、当時の日本人によく理解されていたはずである。更に「神道五部書」の中の『倭姫命世記』(大治[ダイジ]四(1129)成立?)では、豊受大神を大自在天及び天之御中主神と同一視しているが、大自在天とは、シヴァ神である。これが、天之御中主神と習合している。これが、平田篤胤(1776-1843)によって、万物の主宰神とされた。中世以降、妙見信仰と習合した。
2 天照大神信仰
「共に三輪の地に分祀されたとされる天照大神と倭大国魂神は、いずれも三輪山麓を祭場として祀られるべき三輪山の神であったと考えられる。しかし、もちろん天照大神は巫女神オホヒルメを原像とした舒明~天智朝以降の所産であるから、ここは、・・五世紀以前の三輪山の祭祀はタカミムスビの原形になる太陽神とオホナムチの原形となる土地神とにかかわるものであり、いいかえれば、王権の最高守護神たる太陽神と、これに対応する農耕神の風貌をとどめた地域的守護の統合神たる大地主[オオツチヌシ]神の双方を祀っていたとみるのが、最も正鵠をえた解釈といえよう。とすれば、四世紀後半~五世紀前半の第一段階の三輪山での祭祀も、その互いの神威を畏怖して分祀した日神と地域的統合神の、二つの本質的に異なった祭祀が想定されねばならない。」(寺沢薫、「三輪山の祭祀遺跡とそのマツリ」in『大神と石上』(和田萃編)、p.71-73.)
「古く日本人は、森羅万象のすべてに神がいるというアニミズムの世界に住んでいた。心の御柱は、この形なき神々の段階のものである。そのなかから、しだいに農業を支配する神としての太陽神・穀霊神へと信仰は集中していった。「用明紀」にみえる「日神」は、この段階を示しており、穀倉の段階がこれに当たる。そしてさらに太陽神は天照大神、穀霊神は豊受大神という名のある神へと昇華され、神話によってライフヒストリーの語られる人格神へと発展した。この段階にいたって、人の姿をした神の宮殿にふさわしいものとして、回廊をめぐらした唯一神明造りが創りだされたのである。」(上田正昭編、『伊勢の大神』、p.46.)
1.太陽神
 この神は、神々生成の最終段階に出現する、太陽神である。つまり、書紀本段が言うように、天照大神は、「日ノ神」であり、「この子[ミコ]、光華明彩[ヒカリウルハシ]くして、六合[クニ]の内に照り徹る」太陽である。しかし、これは、中世までの信仰であって、近世以降の神学ではない。学問的に信頼性の高い説としては、天照大神は、太陽に仕える巫であった。それ故、天照大神は、太陽でもあり、またそうでもない。その両面を信仰事実の中で備えている。ここで留意すべきは、上代人の太陽信仰も、必ずしも天空の一物体としての太陽に対する信仰ではなく、「陽光」のくすしき働きの中に神霊を感得する信仰と言うことである。ちなみに、神道祭祀においては、直接太陽を対象とする崇拝はない。とにかく、天照大神は、高天原の中心神格であり、神話と人代とを結ぶ役割を持つ。仏教との習合としては、後に、密教において、天照大神の本地が大日如来であるとされる様になる。
2.皇祖神
「天照大神もしくはその原体の原初的・基本的な性格が祖神たることに存した・・。・・その祖神性には、二期があり、初めは衆庶もしくは民族の御親でおはしたのが、やがては統治者・天皇氏の御親即ち皇祖神となりましたと思う。切言すれば、日本国内に於て行われた北方系民族と南方系民族との混融は、武力的優位による前者の後者制圧の形をとったが、しかし前者が員数の上で後者に匹敵し得なかったこと、又わが国への移動に当たって女人を伴うことが多なかった事から、後者の母権母系母処婚に規制されて、夫と妻とが別居し、子女は母の許で養育されたことなどのために、両民族の混融が成果させた文化は、「南方系文化による北方系文化の吸収」の過程を基調とした文化であり、その結果、父系的民族に於ける男性の祖神が、母系的民族に於ける女性の「民族の御祖(みおや)の色調を帯びるようになり、そして遂にはそれが、北方民族の、もしくは南北両民族の混融から成る民族の首長としての天皇氏の皇祖として崇拝されるに至ったのであると思う。」(松村武雄、『日本神話の研究』、2、p.57-571.)
 更に、天照大神は、皇祖神として天皇直祭の歴史を持ち、伊勢神宮創立後も、各地の天皇直轄地に神明社として勧請された。しかし、厳密には、天照大神は、皇祖ではない。天忍穂耳命は、天照大神の左のミズラに纏かれた八尺勾を物実とした成った神であるから、生みの子ではない。迩迩藝命は、高木ノ神の女・万幡豊秋津師比売と天忍穂耳命の子であるから、天忍穂耳命とは血縁関係にある。この意味で、天忍穂耳命は、神話的な「成る神」と「生まれる神」とを神話的に媒介する者である。何故、「皇太子」ではなく、「皇孫」が降臨したのかと言う神話的説明の一端(神童降臨説の他に)がここに見られるのではないだろうか。即ち、天照大神は、人間神としての皇孫と血縁の親子ではない。しかし、その自然神と皇祖神との結合にこそ、神道信仰の本質が示されている。(上田賢治、『神道神学』(神社新報社)、第三章、参照)
 いずれにせよ、太陽神としての神格が、天照大神を天津神、国津神の統括神とした。しかし、天照大神信仰の絶対化傾向は、皇祖神としての信仰からも生じたのである。いわゆる三大神勅、特にその「天壌無窮」の神勅がこの信仰の基礎にある。この面では、仏教よりも寧ろ儒教と習合し、大義名分論、尊皇斥覇の論となって明治維新を迎えるのである。
「天照大神という広大無辺な名が新しいゆえんは、それが一つのあらたな政治的次元を表現していることに関連する。・・太陽崇拝についていえば、少なくとも日本でそれがきわだって意識されてくるようになるのは、王を太陽の子すなわち「日の御子」とする政治的神学の軸が急速に強められるに至った過程に応ずるものと考えて、ほぼ間違いあるまい。・・アマテラスといういいかたは決して自然発生的ではなく、光りかがやく君臨をあらわす。」(西郷信綱、『古事記注釈』、第一巻、平凡社、1989.、p.225-226.)
3.女性神

「・・天照大神の原体の三性格の一つである司霊者的性格と太陽神との関係の在り方がほぼ明らかになって来た。原体は太陽神そのものではなくて、太陽神を祭る者としての霊巫であったとすべきである。それはヒルメ即ち日の神の妻[メ]であった。そして天照大神がその主要性格の一つとして太陽神的性格を帯びるに至る路が、実にここに存した・・。上代の日本民族は、或る神に奉仕してこれを祭祀する女性---霊巫をば該神の妻[メ]であると観じ、且つ信じていた。そしてさうした者としての霊巫は、一面に於てその神の憑代[ヨリシロ]であると共に、他面に於てはその神の配偶としてその神の子を生むべき者、従ってまた他に配偶を持つことを容されない者であるとされたもの、上代日本民族の固い信仰であった。およそこうした観念・信仰が、やがては「祭らるる者」と「祭る者」との隔たりを撥無して、神とその霊巫とを同一化するに至る・・。」(松村武雄、『日本神話の研究』、
「天にあって照り給う神の意だが、・・紀に天照大神の亦の名を大日貴[ヒルメノムチ]と呼び・・。ヒルメはすでにいわれているように日の妻[メ]、すなわち日神に仕える巫女の意であろう。・・ヒルメという名が日の光に感じて孕む聖母の意であることがわかる。・・巫女は聖母なのであり、この聖母という観念は天照大神の何たるかを考えるにさいしても(ヒルメと違い天照大神は至上神としてかたがた中性化するのだが)、やはり捨てさるわけにゆかない。・・ヒルメより天照大神という名の方が新しい。ヒルメが天照大神に転化したのであり、天照大神はヒルメの後身である。ここで神名の新旧をいかに判読するかについて一言すれば、透明度ということが一つの基準になりうる・・。」(西郷信綱、『古事記注釈』、第一巻、平凡社、1989.、p.224.)
 天照大神が女神である論拠は、「記紀共に、素嗚尊との関係で、姉弟の言及があること、それが殆ど唯一であり、天照大御神直接の御行為に関しては、斎服殿に於いて神衣を織られたことぐらい」(上田賢治、『神道神学』(大明堂)、p.202.)にすぎない。しかし、男性神であると言う信仰も「古典に関する限り皆無」(同、p.202.)である。私見では、恐らくこの神は、原初には男性神であったのであろうが、遅くとも古典形成期には、既に女神としての信仰が確立していたのであろう。

2009年7月22日水曜日

神道における個人信仰

記・紀神話に現れる神々をその働きの上から分類すると、氏神、土地(産土<うぶすな>)神、霊験神に分けられよう。勿論この区別は、互いに排他的ではなく、ある面で重なり合っているのは、言うまでもない。氏神は、勿論氏族が尊崇するカミであるが、氏は、寧ろ社会学的な概念であって必ずしも生理的に同一の血統を共有しているとは限らない。この意味で寧ろ土地神的な要素を多分に含むものである。従って、厳密に見て行けば、氏神と土地神との境界は、曖昧である。氏神の一種として所謂皇室神があり、これが後に国家神道もしくは、天皇制神道に発展して行く訳である。土地神は、一定の土地に結びついているカミで、その土地から豊かな(農)産物をもたらすと信じられているが、この概念は、更に拡大されて一般に職業による生産物を司どるカミともなる。恐らく発生的には非常に古い土着のカミを現わすものであるかも知れない。霊験神は、何等かのご利益もたらすと信じられているカミで、当然氏神や土地神がこれを兼ねる事もあり得る。
 所で、常識的な神に就いて言えば、一般に、神は、存在的には人間に依存しない筈であるが、認識的には人間に依存する。つまりわかりきったことであるが、人間がカミを認識するから初めてカミについての人間の思考が成立するのである。特に神道の場合それが言える。すなわち、神道のカミは、その大部分が、所謂祭られるカミであって、思弁の対象としてのみ存在するカミは殆どない。即ち、ある特定の人(々)の哲学的な思索の対象として捉えられることが殆ど無かったから、カミを斎つく集団があって初めてその集団が祭るカミとして成立した。そして多くの場合その集団と共に消長した。実際、神道では、個人的信仰は、仮に在ったとしてもその検出はほとんど不可能であり、信仰は、概して部落、もしくは氏族の集団的信仰であった。従って、我々は、前述の北方系もしくは南方系の要素を考慮する外に、当時の部落がどんな状況にあったかを推定することによって、ある程度その部落の集団的信仰、そしてその神観を推定することができる。類型的には、豊富な水源としての山、その水を運ぶ川、この川に沿い、外敵から比較的安全に守られた山麓の小さな空間、このようなところが、稲作農耕、特に水田を営む当時の部落の最適な立地条件であったろうと思われる。事実、当時の遺跡は、このような場所で多く発見されている。人々は、このようなところに比較的緊密な結合を保ちながら住み着き、自分たちの間で協力しながら稲作に従事したのであろう。彼らにとって最大の関心事は、農作物が豊かに実ることであったに相違ない。物理学、生物学についての知識がまだ十分でなかった、当時の人々にとっては、豊作をもたらしてくれるものは、単に人間の努力や、自然の天候のみではなく、これらの彼方に働く、或超越的な力であった。すなわち、彼らの目には見えないが、回りには神秘な力が取り巻いていて、それが時と場合によって、色々なものを生み出し、農作物には豊作をもたらしたり、あるいは不作をもたらすと考えられていた。前述の様に、記・紀ではこのような力は、まず植物を成長させる生命力として捉えられている。すなわち、「むす」力である。しかもこの力は、一定の原因を与えれば、必ず一定の結果をもたらすような、生物学的、物理学的力として捉えられているのではなく、人間の思議や統御を越えた神秘的なものとして崇められていたのである。記・紀では、この神秘性は、「ひ」とか「ち」とかあるいは「たま」と言うような言葉で表現されている。つまり、崇拝の対象になっているのは、「力」そのものであるから、その現れ方は本来無特定である。こうして、農作物に豊穣をもたらす限りに於いて、糞尿までも「カミ」として崇められたのである。この中、「たま」はしばしば漢字で「霊」と書かれているが、これは、事物には目に見えない「霊 anima」と言う実体が宿っていると言う観念を意味するのではなく、ある特定の場合に、そして、ある特定の事物に具体的に神秘的な力が現れると言う信念である。この意味で、これをアニミズムもしくはアニマティズムと理解するのは必ずしも正確とは言えない。又以上の考えを自然物崇拝と言うのも当たらない。山や森や木その他の自然物そのものが崇拝の対象となっているのではなく、ある特定のもの(山、森、木など)が具体的に、そして多くの場合は一時的に、「たま」を宿すものとして、或はむしろ「たま」そのものとして崇められるからである。つまり、例えば、どんな山でも尊いのではなく、部落や氏族との関係で特別な力を現す山のみが尊いのである。

2009年7月21日火曜日

天降る神と訪れる神

更に考えるべきは、記紀においても見られる、天降る神と訪れる神との区別である。前者は、記紀の根幹を為す神々として随所にみられるが、後者の典型は、少彦名神(記では、神産巣日神、紀では、高皇産霊神の子神)と山幸(彦火火出見尊)神話である。このことは、基層神道の信仰が、垂直方向と水平方向との二つの軸を持つ宇宙観を抱いており、そのこと自体が、また文化の複合性を示唆している。こうして「カミ」は、天に住むと共に、また海の彼方にも住むと考えられた。ちなみに、天も海も共に「アマ」と呼ばれていたのは周知である。
 記・紀が例えば、アメノミナカヌシノミコトの様な「考えられたカミ」を冒頭に置いている事実を指摘して置こう。即ちこの事は、記・紀が単に既存の信仰を採録しているだけではなく、広い意味で「神学」していることをも意味するものである。つまり、この神名の本来の意味は何であるかは別として、少なくとも記・紀の神話に或種の総合性をもたらすために、広い意味でのカミという概念を理性的に理解しようとする努力が加えられている事の印である。前述の区別によれば、所謂二次思考がなされている訳である。その結論を受け入れるかどうかは別として、我々は、ここに神道に於て、少なくとも原理的に「神学」する事の可能性が示唆されているのを認めるものである。

2009年7月20日月曜日

天神・国神

 我々は、記・紀神話に於て、神々の中に天神(アマツカミ)と国神(クニツカミ)との区別が立てられているのを見る。これはどの様に解釈されるべきであろうか。前者は、征服者のカミ、後者は、被征服者のカミ、と単純に理解して良いだろうか。一般に、太古には、現在の島根を中心に出雲系民族が繁栄していたのに対して、所謂天孫系民族がこれを服属して大和朝廷を立てたとされ、前者の民族に属する神々が、国つ神、後者が、天つ神であるとされている。大変示唆に富む説であるが、難点が無いわけではない。先ず、出雲地方にその様な大民族圏の中心があったとすれば、それなりの考古学的な痕跡があるはずであるが、それらしきものは見られないようである。但し、最近かなり重要な意味を持つ資料が大量に発見された模様であるが、その正確な評価については、今後の解明に待ちたい。次に所謂国つ神を斎き祭る古い神社が出雲地方よりも寧ろ畿内に多いという事実をどう説明するかと言う問題がある。第三に、九州、筑紫地方並びに後に、「熊襲」、「隼人」と呼ばれるようになる文化圏との関係をどう捉えるか、これらも「出雲国家」の一部と見なすべきかどうか。
 以上のような事情からみて、単純に「出雲国家」の存在を想定する訳には行かない。従って、天つ神、国つ神の区別も、冒頭に述べた程に単純ではない。
 私見では、「出雲国家」、「出雲系民族」は、政治的要素の濃い概念である。
勿論、これらの言葉が記・紀神話に出ている訳ではないが、それらが指し示している事態は、確かに在り、それが政治的な色彩を担っていると言うわけである。敢えて言えば、それは、記・紀信仰集団が幾らかの事実を基礎に創り出したものである。即ち、弥生時代の文化史的状況は、北方的文化要素と南方的文化要素とが複雑に絡み合っていたと思われる。従って、神々も両系のものが、複雑に混在していたであろう。その様な状況の中で、北方的文化要素を強く引きずった、後に天皇家と呼ばれる氏族を中心とする豪族群が、次第に統一政権を形成してきた。彼らの列島への到着が何時であったかは判らないが、少なくともその記憶の中に移住の痕跡が残っていたのは確かであろう。彼らはこの記憶を「高天原神話」の形で神話化したが、それに伴って、謂わば必然的にその対立項として「出雲」を生み出した。勿論これは、単なる空想的捏造という意味ではなく、何等かの意味で異質的な要素を感じたことが、その基礎にあったのであろう。こうして、「高天原神話」圏に属さない神々が、国つ神として捉えられたのである。しかし、少なくとも「神観」に関する限り、両者の間に本質的な差異は認められない。それ故、私見では、両者は、判然と区別出来るものではなく、遥か昔に数次にわたって渡来してきた人々の歴史的記憶と、経験の外に理想のくにを求める民衆の願望とが一体となって成立した宗教理念である。従って天つ神は、渡来者のカミ、征服者のカミ、国つ神は、土着のカミ、被征服者のカミと単純に分類すべきではないであろう。

2009年7月19日日曜日

二種類の神

 神道のカミには大きな二つの種類がある。即ち神名と共にそのいわば経歴が具体的に述べられているものと、単に神名だけが挙げられているものである。これらの神名に纏わる種々の状況から、我々は、前者を「祭られるカミ」、後者を「考えられたカミ」と呼ぶことにする。祭られる神は、恐らく部落共同体の共通の宗教体験に基づいて、信仰実修の対象として、古くから具体的に斎き祭られて来たカミであり、従って、後の世にも多少とも崇拝者群を持ち続けてきたカミである。更にこの「祭られるカミ」は、これを細分すると、或集団に血縁的に関わっていると考えられたカミ(例えば氏神)と或集団に機能的に関わっていると考えられたカミ(例えば産土神)とに分けられる。これに対して、「考えられたカミ」は、何等かの目的のために、崇拝者群とは無関係に、いわば哲学的に考察されたカミである。西欧の思想史の中では、例の有名なパスカルの「哲学者の神」と「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」との区別が、ある意味で似たような事を言わんとしているのであろう。

2009年6月6日土曜日

神はいるか

何かが「ある・いるか」を私たちが尋ねる場合、この何かがわたしたちに多少とも関わりのあることが前提となります。まったく関係のないことについて、その存否を問うことは意味がありません。もちろん、空想の対象としては、それなりの意味はあるでしょうが、実生活の場では、ほとんど実効がありません。「神はいるか」と言う問いも、このような文脈で問わねばならないでしょう。哲学・神学的に正解であったとしても、それがわたしたちの実生活になんらの影響ももたらさないならばあまり意味はありません。たとえば、この広大無辺な宇宙のどこかに高等生物がいるとしても、今のところは、いないに等しいのです。彼らが私たちの実生活に何らかの影響を持ち始めた途端に、その存否は、現実の意味を持ってくるのです。
 わたしたちが「神」と称しているものについても同じことが言えます。わたしたちが「神はいるか」と問う場合、絶対超越者としてどこかに神が観念的に存在しているか、と問うているのでなく、わたしたちの実生活に実質的なかかわりを持つ何かが実際に働きかけているのかどうかを問うているのです。この場合、二つのことを明らかにしなければなりません。1)実際に働きかけがあること。2)この働きかけているものは、「神」と称されているものであること。1)は、わたしたちの経験にかかわることですから、検証できないことではありません。しかし、2)については、ことはそれほど簡単ではありません。結論を言ってしまえば、主観的にどの様に称するかは別として、客観的な検証は、できないのです。結局は「・・と信じる」かどうかの問題です。こうして、天災や人災は、或る人にとっては、「神のみ旨」であり、他の人にとっては、単に偶発事故が累積したに過ぎないと言うことになります。主体の受け止め態度からすれば、大変な違いでしょうが、実用主義的な見地からは、いずれであってもそれほど大きい違いはありません。とにかく、災いは、あらゆる手を尽くして予防し、復興しなければならないのです。もちろん、このことは個人の次元でも当てはまるのです。
 さて、人間は例外なく、すべて「ペルソナ」です。ペルソナとは、他に向かって開かれた存在であり、他とともに共存することによってのみ自己完成を遂げることのできる存在であります。別言すると、「愛され」「愛する」ことによってのみ自己を確立する存在です。特に「愛される」ことは、決定的な要因となります。愛されなければ、愛することはできません。愛されないと言うことは、ペルソナとしての人格障害の主要な原因となるでしょう。この場合、人間は、受肉した精神と言われるように、本性的に感覚的な存在ですから、感覚の要素のない純霊とされる神の「愛」によって直接満たされることはできません。必ず「被造物」の仲立ちがなければなりません。ただし、この仲立ちによって、何でも望むものが手に入るという意味ではありません。人の心を満たすことができるのは、本質的には、心的なものであって、モノは補助的な役割を果たすに過ぎないのです。もちろん、この心的なものも被造物であって神ではありません。このような意味で、神の愛の仲立ちをするのは、何よりも両親の愛であり、兄弟、友人の愛です。これらが決定的に欠けている場合は、「神の愛」も人格障害を決定的に癒すことはできないように思われます。むしろ、神の愛との名目で別のものが提供されるなら、結果は一層深刻となるでしょう。かつてのキリスト教の幾つかの「養護施設」や年少者を受け入れた「修道志願院」の少なからずの実例がこのことを実証しています。結局、わたしたちがすべてを神のみ旨として主体的に受け入れる分には問題はありませんが、他者に対しては、不運や苦難などを軽々に「神の思し召し」と断定してはいけないと思われます。

2009年5月29日金曜日

基層神道

 弥生時代人の宗教現象もしくは信仰が少なくとも素材としての基層神道の中核を形成する。問題は、果して実際にこの様な太古の人々の信仰内容が仮に実在していたとして、我々は、それを知ることが出来るかと言うことである。それゆえ、極めて不備ではあるが、何等かの形で実証的な問題を取り扱わざるを得ない。 さて、我々が先ず明かにしなければならないのは、所謂「基層神道」なるものの実在である。換言すれば、遅くとも弥生文化時代の後半から中央統一政権の成立--成立の年代を正確に定めるのは難しいが、ほぼ三世紀末頃と考えたい--に至る時期の一般庶民の信仰内容が実在したとして、それを知る手段が果たしてあるだろうか。周知の様に信仰内容の様な抽象的な事柄は主として言語、文字を媒体とする概念によらねば、精確に、詳細に伝達するのは至難である。従って、固有の文献が未発見であるこの時期の宗教・信仰について精確に知るのは困難であるが、我々は、次ぎの様な方法(手段)を総合的に駆使することによって幾分なりとも実態に近づいて行けるものと信じている。すなわち、1)所謂古典の分析(文献学的アプローチ)、 2) 当代にまで遡れるとされている神社の由緒の検討、3)同じく太古からとされている神事の研究、 4) 所謂民俗信仰の分析、5)周辺民族の当代の文献、宗教思想、民話の研究(比較神話学的アプローチ)、 6) 考古学、民俗学、人類社会学などの成果による補完、そして最後に7)現在の信仰との対比、などがある。
 さて、古典の分析を考える場合、最初に挙げるべきは、矢張り『古事記』、『日本書紀』(以下記・紀と略称)であろう。
1)記・紀に就いての考察
 先ず記・紀に収録された神話に現れる信仰内容を分析することになるが、本題に入る前に、少なくともこの我々の分析のための主要な源泉の一つである『記・紀』に就いて我々が、どの様に考えているかを明らかにして置く必要があろう。
 我々が考察の対象としている弥生時代、特にその後期に、いわゆる「倭(大和)民族」の存在を考えることが妥当であるかどうかは別として、この列島に複数の人間集団が住み着いていた事は事実である。各々の集団は、自らを一つの「民族」として自覚することはまだなかったであろうが、他の集団が多少とも自らの集団と種々の点で違っている事は意識したに違いない。これらの集団を大別すれば、ほぼ北方系と南方系の二つに分けることができよう。これらの二系統は、各々まとまった二つの集団群としてある時点で同時に併立し、一方が他方を征服、もしくは併呑した、と言うよりは、むしろ、長い時間をかけて、各々の小集団単位で、特に結婚などを媒介として、複雑に接触、融合して行ったと見た方がよいだろう。この場合、全体として南方系の方が、時間的にも早く列島に住み着き、数の上でも優勢であったと言えるのではないか。これに対して、いわば合目的的な組織化や、‘政治’の面では、かえって北方系の方が優位にあったと言えそうである。こうして、ある一つの地縁的、血縁的共同体もしくは氏族を取り上げれば、多くの場合、二つの系統が多少ともその中に混交して居るのが見られる筈である。言うまでもなく、これらの共同体もしくは氏族は、更に他のものと複雑に接触融合して行ったのは自然である。これを信仰の面にのみ限って見れば、各々の集団には、多少とも北方系と南方系の要素を交えた複雑な信仰系が、勿論実修を伴って、成立し、その集団の政治的消長と共に、推移した。やがて、これらの氏族群の中から、一ないし数氏族が強大化し、恐らく現在の奈良南部(現桜井市周辺か?)を中心に「統一政権」を樹立することになる。政治的な統一の偉業を果たした集団が土着のものであるか、あるいは比較的近来に外から移住してきたものであるかは、我々の問題にとってそれほど本質的なことではない。とにかくこの様な集団は、当然の趨勢として自らの偉業をイデオロギー的に補強しようとする。すなわち、自家の伝承の信仰物語を中心に、服属、もしくは統合した諸氏族の信仰物語を適当に取捨選択、修正して一つの神統譜を造り上げようとした。こうした高度に政治的な理念の下に編集されたのが、『古事記』であり、『日本書紀』である。従って、記・紀の主要な編集目的の一つは、これを生み出した集団の政治権力の正当化、つまり統治権の合法性を内外に宣言することにあったのであろうが、この目的を編集主体は、諸々の信仰系をある意味で統制することによって、遂行している。つまり、新しく信仰を造り上げるのではなく、既存の信仰を一定の理念に基づいて、取捨選択、修正することによって、所期の目的を達成しようとした。この場合、既存の信仰には、単に自己の氏族もしくは氏族群のそれだけではなく、政治的に統合されたかつての有力氏族の(合目的的に修正された)信仰をも含むことは言うまでもない。それ故、以上の手続きを逆に辿って行けば、間接的ではあるが、素材としての元の信仰に到達できるはずである。元の信仰が何時まで遡れるかは、厳密な考証を加えて見なければ予断は出来ないが、少なくとも記・紀が書かれた時点よりも可なり古いと言うことは言えるであろう。

2)記・紀信仰集団に就いて
 次に、記・紀を生み出した信仰集団に就いて一言して置く。我々の考えでは、一般に受け入れられた、宗教的典籍は、単にそれを実際に書き記した人物の外に、それを支えている或信仰集団の存在を予想する。つまり、この様な典籍は、著者個人(群)のものであると同時に、その個人(群)が信仰的に所属するところの集団が生み出したものでもある。勿論、この様な集団の内実を具体的に明示するのは、必ずしも常に容易ではないし、又この集団の全構成員が等質の信仰を抱いていたとも限らない。しかし、大まかに言って、同一の信仰を共有しているとは言えるだろう。それ故、逆にある宗教的典籍から遡って、それを生み出した信仰集団を考えることは、無謀ではない。こうして我々は、記・紀を生み出した信仰集団を考え、これを仮に「記・紀信仰集団」と名付けることにする。既に述べたように、現存する、もしくは散逸した宗教的典籍を生み出したかどうかは別として、上記のような信仰集団が、幾つもあったに相違ないが、これらの集団は、少なくとも他の集団の信仰を積極的に排除しようとしない限り、いわば、末端の部分で多少異なる信仰を持っていたとしても、又互いに地域的に多少離れていたとしても、広い意味で同一の信仰集団に属するとして差し支えないであろう。従って、例えば九世紀以降の日本の文化的指導層が、記・紀を自らの文化的遺産と認める限りにおいて、彼らも同一の信仰集団に属すると言える。更にこれらの信仰集団の構成員に就いて言えば、出身地、言語、文化などに多少の違いはあったであろうが、それらは、信仰を根本的に分割するものであるとは考えられてはいなかったようである。従って、勿論、彼らにもいわゆる「外つくに」の意識はあったであろうが、それは、今日の「外国」の意識ではなく、身内ではない隣り「むら」、と言うほどの感じであっただろう。少なくとも、列島以外の近隣の信仰が、全く異質のもの、とは考えられていなかったようである。これらの点で、更にもっと厳格に組織化された例えば後の所謂「仏教教団」の様なものとは異なっている。要するに、我々の言いたいのは、少なくとも信仰に関する限り、列島を孤立的に考えるのではなく、主として朝鮮半島を中心に周辺の諸地域をもほぼ同質の信仰圏と見なすべきである、と言うことである。即ち、記・紀の信仰を知ることによって、時間的にも空間的にもその前後の可成り広範な人間集団の信仰を推定することが出来る、亦逆に同一信仰圏内のある地域の信仰を知れば、記・紀の信仰の内容を一層明らかにすることが出来ると言うことである。換言すれば、「記・紀信仰集団」は、地理的に列島内にのみ限るべきではなく、中核は飽くまでも列島内であるにしても、影響する範囲は、周辺の諸地域にも跨るものとして捉えるべきであろう。

3)記・紀神話の解釈について
 記・紀に現れた信仰内容を考える前にそもそも記・紀に述べられていることは何か、それをどう受け取るべきかに就いて考えて置かねばならない。記・紀に述べられていること、特にその「神代」と呼ばれる部分は、客観的な歴史的事実である、或はその忠実な記録であるとする見解があった事は周知である。この様な見解が、時の国家権力によって強引に押し付けられたと言う不幸な事態も原因となって、この様な国家権力が弱体化されると共に今度は、逆の考え方、つまり記・紀は、非科学的な荒唐無稽の、歴史的には全く無価値な書物であるとする主張が幅を利かせた。我々は、この両者の何れの見解にも与する事は出来ない。そもそも民族の古典である書物の、所謂ジャンルを簡単にあれかこれかに、而も自分の都合の良い様に決めてしまうのは、敢えて言えば、冒涜であろう。むしろ古典は、古代の人々の真摯な生活経験が生み出した様々なジャンルの要素が複雑に総合されて成り立っているものであるから、一つ一つの要素を慎重に検討し、理解して行かなければならない。
 さて、我々に特に関係の深いのは、所謂「神代」に関する記・紀の部分である。「神代」そのものに関する種々の論議はさておいて、我々は、この部分全体を「神話」であると理解する。神話と言うと、非科学的で、非論理的な空想物語と思われがちであるが、ここで言う神話は、一つの文学的な表現方法を指すのであって、ある集団の共通の実存的な体験を象徴的な言葉で表したものである。体験の表現であるから、その体験は、単に心理的なものに過ぎない事もあれば、或は、客観的な出来事が対応している場合もある。しかしそれが現実にある集団の実存体験であったと言う限りにおいて、単なる心理的な現象である場合でさえ、時の流れの中に位置付け得る何らかの歴史的核心を持っていると言える。但し、歴史的核心と言っても、或歴史的出来事が単純に説話化されていると言うような簡単な意味ではない。核心に迫るには、可なりの努力が必要であり、恐らく核心に到達できない場合も多いに違いない。また、神話は、必ずしも普通に言われる意味での宗教の次元にのみ属するとは限らない。しかし、深刻な実存体験は、殆ど常に、広い意味での宗教的体験に関わるから、神話と宗教体験は密接な関係がある。この意味で、神話は、ある集団の信仰を直接もしくは間接に表現するものである、と言うことが出来る。但し、この信仰が客観的な事実を指し示しているかどうかは、ア・プリオリに断定することは出来ない。例えば、伊邪那岐神(伊弉諾尊)、伊邪那美神(伊弉冉尊)の国生み神話は、当代の人々の経験にある多くの国々(ここで言う国は、勿論近代の民族国家ではなく、一定の経験的な地域を指す)が、これら二神によって生み出されたとする信仰を表現しているが、それが実際に生理学的な国の出産を記録しているものなのか、或は、或歴史上の事実の象徴化された記録なのか、にわかに断定は出来ない。断定するには、各々の分野の固有の手続きを経た上で、厳密な検証を行わねばならない。例えば、国生みの信仰から、この様にして生まれた或國を信仰の対象として崇めることは、同一の信仰の領域の問題として妥当であるが、歴史的な検証を経ないで、この國の政治的主権が、例えば二神の子孫と信じられている歴史上の人物に必然的に帰属すると結論するのは、不当である。即ち、政治的統治権は、歴史的に基礎付られるべきであって、信仰によって基礎付られてはならないのである。特に現代の日本におけるように信仰が多様化している所では、この配慮は大切である。
 ついでに言えば、天皇家の現状の適法性は、神話に依存するのではなく、歴史的な伝統に基づくものである。一般に、その端緒が何であれ、長期間に亘って比較的平和裡に公共の秩序を維持している権力は、合法と認められるべきだからである。要するに神話は、飽くまでも信仰を表すものであって、その信仰の内容が妥当性を有するのは、この信仰を共有する人々の間においてだけであって、それが、客観的な事実かどうかは、各々の分野で、個々具体的に検証する必要がある。ただし信仰そのものは、本来検証を必要とするものではなく、それが必要なのは、実は、信仰以外の各分野自身なのである。何れにしろ、神道の神学の一つの目的は神道の信仰の解明であるから、記・紀の神話がどんな信仰を表現しているかが重要であって、それが、歴史もしくは政治その他の分野でどの様に理解されているかによって、直接に左右されるものではない。

2009年5月27日水曜日

神道とは

§1.「神道」の史的展望:
 「神道」と言う言葉によって表示されている事態を簡潔に定義することは、難しい。それは、この事態が極めて流動的であり、時代と共に柔軟に変遷しているように見えるからである。
 さて、今日、日本列島と呼ばれている島弧群の地形がほぼ現在の形に近づいたのは、鮮新世(約500万年前-200万年前)に入ってからだと言われている。また、四面が海で囲まれる様になったのが、沖積世(約一万年前-現在)になってから、そして九州と四国が本州から離れて夫々島の形になったのは、約八千年前であると言われる。この列島に明確な石器や遺構のはっきりした遺跡やヒトの化石があらわれるのは、新人(ホモ・サピエンス)の段階で、いまから三、四万年前の氷河時代(ウルム期)である。恐らくこの悠久の時の流れの間に、無数の個人や、そして特に個人の小集団が、あるいは陸路で、あるいは、それが絶たれた後は島伝いや海流に乗って、波状に列島に渡来し、次々と各地に住み着いて行ったのであろう。これらの集団は、この列島に堆積し、併存し、混合し、日本民族の複雑で多様な身体的形質、言語的、文化的性格を形成した。また後から渡来した集団も、先住の種族を駆逐し、殲滅するというようなことはなく、先住民との混血、混合は、日本列島の地域ごとに多様であった。
 これらの個人もしくは集団の出自は、元より多種多様であり、一々これを個別的に同定することは不可能であるが、彼等が、身体的形質、言語、文化現象などに残した痕跡から、その大まかな趨勢を知るのは、必ずしも不可能ではない。しかし、それらは飽く迄も間接的な推論の域を出難いので、論者の解釈の相違によって種々の結論のあることはやむを得ない。小論の目的は、宗教現象の解明であるから、主として言語学的な痕跡から一応の作業仮説を立てて置きたい。例えば、村山七郎氏によれば、「日本語は南島系言語のうえにアルタイ=ツングース系の言語が重なり、後者の文法形式が下層言語(B[南島語系要素=引用者])に及んで成立したものとみられる。日本語は文法形式においてアルタイ=ツングース的、語彙において南島語的、より少なくアルタイ=ツングース的といえる。」 勿論、このことから直ちに諸集団の出自を断定することは差し控えるべきであるが、少なくとも渡来集団は同一種のみではなく、南方的要素と北方的要素が様々な仕方で長い年月をかけて(一部は既に渡来以前に)融合して行ったと言うことは出来よう。大体の傾向としては、先ず南方的要素が列島全体を覆い、その上に北方的要素が重層したと考えて良いのではないかと思われる。
 ほぼ一万年にわたって継続したと推定される縄文時代の精神・宗教現象について正確に知るのは至難である。所謂縄文時代人が、その全期間を通じて同一の「人種」に属していたものかどうか、これも確認は至難であろうが、恐らくは、前述のように、様々な小集団が北から、南から何回にも亘って列島に渡来し、徐々に融合を重ねて行ったものであろう。従って、ある一つの、例えば北方系の大集団が、他の、例えば南方系の大集団を、駆逐もしくは征服したのではなく、仮令地域的には小規模の征服や支配・服属関係があったにしろ、全体としては、寧ろ、融合、同化が主であったのではなかろうか。闘争の形跡は、縄文時代よりも、むしろ弥生時代に顕著であると言われている。こうして全体として見た場合、南方系の方が、幾分優勢であったと言うことであろう。
 人間には、その具体的な現われは様々であるにしても、一般に「宗教本能」があることは、ほぼ確かである。また人間の本性が「社会的」存在である限り、この宗教本能も集団を媒介として表現されるのが通常であろう。従って、少なくとも生活に根ざす人間集団がある所には、最広義での宗教現象も存在すると言えるのではないか。従って、南北系の何れを問わず、前述の各々の小集団は、既にその出発地に於て何等かの宗教的な信念をその集団内で共有していたであろう。それは極く素朴な感情に過ぎず、勿論論理的な形では未だ表現されてはいなかったかも知れない。しかし、非常に広い意味で「制度としての宗教」であったに違いない。即ち、単なる感情の高ぶりではなく、或程度継続した考え方、繰り返し可能な行動、象徴として以外は殆ど無意味な行為などを伴う集団的な「宗教現象」であったであろう。この様な「信念・宗教」は、列島にもたらされることによって、新たな風土に順応し、回りの諸集団との接触によって何等かの変容を蒙り、総合され、ここにいわば、「縄文人の宗教」とも言うべきものを形成して行った。その内容は詳かにはなしえないが、しかし、基本的には狩猟採集文化を営み、比較的に組織化の進んだ集落をなして住み、文化遺物も豊かであり、人口密度は全期間を通して太平洋側の東日本が西日本よりも圧倒的に高く、弥生時代と逆の傾向を示すと言われている事などを手がかりに、幾分縄文人の宗教状態を推定するのは不可能ではないだろう。
 所謂弥生文化が、紀元前三、二世紀に起こり、その下限は、紀元二、三世紀であるとするのは、大体の定説である。また地域的に北九州で始まり、稲作特に水稲農業と結び付いていたことも立証されている。しかし、具体的にどの様にして縄文文化から弥生文化へ移行して行ったのかと言う点については不明な点が多い。別の観点から言えば、元来列島に存在していなかったとされるイネが、どの様にして列島に伝わり、やがて稲作農業が一部を除くほぼ列島全域に普及するに至ったかと言うことを具体的に跡付けるのは困難である。稲作農業が普及するには、ただ米だけがもたらされると言うのでは十分ではない。時間的には少なくとも一ケ年を要する技術のシステム全体が必要であるから、所謂知識だけの技術導入のみではなく、実際に稲作をしていた人々の集団の導入も同時に考えられねばならないであろう。恐らく稲作農業を営む複数の集団が技術と共に主として北九州方面に渡来し、稲作に適し、しかも人口が比較的希薄であった西日本に広がり、その過程で、先住の所謂縄文人と融合して行ったのであろう。勿論、在来人の方からも積極的に技術を取り入れ、これを独自に発展させ得る主体的な条件を備えていたものと思われる。また稲作農業を営む諸集団は、ある日突然に現われた全く異質の集団と考えるよりも、少なくとも部分的には、元々何らかの意味で在来人と関わりのあった人々と見た方がよさそうである。
 こうして、多少の地域差はあったが、在来の縄文人をも含めて比較的短期間に弥生文化への移行が達成された。約五~六〇〇年に及ぶとされる弥生文化の内容については、特に史料的に不明な点が多々あるが、大勢としては、一つの纏まりを有する文化であり、「経済・社会・文化の基本的な面で」歴史時代の所謂日本人と「共通性をもっ」ていることは否めない。従ってこの時期をもって今日の「日本民族」の形成期とする江上氏らの説は、妥当であるとしなければなるまい。
 即ち、弥生時代の文化が現代の日本文化とほぼ同質であることは、一般に認められている所で、現代の日本民族は、弥生時代にほぼその根幹が成立したと考えて大過はあるまい。言うまでもなく「民族」と言う近代的概念がそのまま太古に当て嵌る分けでもなく、また「根幹」自体が、雑多な要素を含むのは周知のことである。又、弥生時代の人間集団にも何等かの形態の「宗教/信仰」が存在していたことはほぼ確実で、この事実は、考古学的な研究によっても証明されている。
 凡そ文化は、通常の場合、無から突然に発生するものではなく、常に「その前段階」を予想するものであるから、この時期に日本の、特にその精神文化が総て忽然と(天界から降って)発生したと考えることは無理であろうが、少なくともこの文化の中核となるものが、この時期に徐々に熟成されて行ったと見て良い。この事は、宗教についても妥当する。凡そ、人間は、総て宗教本能を持ち、これは何等かの集団の中で表現されることが多いから、人間集団のあるところ最も広い意味での宗教現象が見られる筈である。それゆえこの列島に人間集団が住み着き始めた時点から、宗教現象があったに違いないが、その実態を知るために我々に残された資料は余りにも乏しい。しかし、弥生文化の時代になると、そろそろ「日本民族の宗教」について論じても必ずしも可笑しくはない時期に来たと言うことは許されよう。即ち、少なくとも稲作農耕文化が列島に普及した頃から、可成りの纏まりのある、文化的にほぼ類似の人間集団を対象として考える事が出来るであろう。この様な集団がどのようにして成立したのか、その構成機構はどのようであったか、詳らかにするのは、困難であるが、一応作業仮設として我々の考察の出発点とすることは許されよう。
 さて、特に弥生時代の後半には水利を中心に大小の河川に添って比較的纏まりのある集落が発達したことが知られている。恐らくこれらの集落はそれぞれの「長(おさ)」を中心とした比較的纏まった集団をなし、固有の(と言うことは必ずしも他とは異質のと言う意味ではない)“信仰系”を持っていたであろう。あるいは、むしろ逆にこの様な“信仰系”の統合者が集団の長を兼ね集落を維持していたのであろう。この様な“信仰系”を担う集団は、記憶が失われた遠い昔からほぼ同一の地域に発展を遂げて来たものもあろうが、また別の(海外を含む)地域から新に移住して来たものもあろう。それら“信仰系”は、比較的初期の段階では夫々相対的に独立して独自の発展を遂げると共に、やがて他の集団や「外来」の集団と接触を重ね、これらの人々のもたらす「外来」の要素をも吸収して豊かなものとなったであろう。しかし、一方ではそれを担う集団と消長を共にし、集団の「政治的」な統・廃合に伴って“信仰系”の統・廃合も行なわれたことであろう。こうして列島内の諸集団が政治的に統合され、後に「天皇家」と呼ばれる様になる宗族によって中央統一政権が成立すると、宗教・信仰も天皇家の“信仰系”を中心に少なくとも形態的にはほぼ纏まった単一の「宗教」となった。我々は、以上の様な経過を『古事記』や『日本書紀』などの「古典」を通してもほぼ推察することが出来る。また逆に言えば、この様にして形成された宗教集団が記・紀などを生み出した訳である。所で、上述の様な信仰系の統・廃合は、現代的な所謂「思想統制」として(部分的にはあったとしても)意図的に且つ排他的に遂行された訳ではなかったであろうから、上記の文献自体やもろもろの『風土記』などからも伺われる様に、様々な異質の“信仰系”が生き残り、特に民俗信仰の形で基層をなしてきた。神道を考える場合この大切な事実を見落としてはならないであろう。
 以上の様に諸信仰系の統合は、ある時点以降は天皇家を中心とする所謂王朝貴族によって進められて行ったことが確かめられるが、勿論総ての要素が統合され尽くした訳ではない。しかし、形の上では所謂律令制国家の成立と共に一応完成し、多くの神社は国家の奉幣に預かるものとなった。こうして「神道」は、公(おおやけ)の祭りを遂行する主体となった。この時期の神道を、クニによって統合されてないものをも含めて律令制神道と仮に呼んで置く。これには、道教、儒教、陰陽道、(山岳)修験道などの影響が考えられるのはもちろんである。こうして歴史時代に入ると共に「神道」は、ほぼ均質の日本民族固有の宗教として、日本人の精神構造を支えながら、様々な外来の思想・宗教と交渉しながら現代に生き延びて行くのである。 とにかく、この生命体は、時代と共にその当時の様々な思想、宗教の栄養を吸収して発展成長してきた。実は、これら総てを言わば「乗り熟 (こな) して」来たもの、更に未来に渡って「乗り熟して」行くもの、つまり、この様な「受容原理」を担う「基体」を我々は広く神道と呼びたい。従って、歴史の上に現われる「神道」のどれか一つの形態のみを取り上げて、それだけが純正な神道であると主張するのは、一面に偏した誤りである。逆に、総ての「外来」の要素を完全に排除して単純に古来の思想・信仰に戻りさえすれば、真正の神道であると考えるのも正しくない。神道は、今正に生きている生命体だからである。それゆえ、我々の作業は、太古の時代から現在に至るまでこの列島で生き続けて来ているこの神道と呼ばれる「受容原理」の実態は、一体何であるのかを出来るかぎり概念的に明らかにすることである。この「受容原理」の中核は、二千年以上に亘る歴史の様々な変動にも拘らず、常に「倭(やまと)民族」としての自己同一性を動的に保持してきた生命原理である。そしてこの中核の更に中心を成すものが、広義での宗教信仰もしくは信念である。即ち、この様な信念は、単に「民族」の始点にあっただけではなく、今日も種々形を変えながらも日本文化を深層において規定し続けているのである。この主体的受容原理(の基体)を歴史に表れた様々な神道の形態と区別して「基層神道」と呼ぶことにする。単に時間的な意味で根源的であるだけでなく、時代を通じて様々な思想・文化をその根底において現在も支え続けているとの意味である。即ち、「基層神道」とは、倭民族と共に成立し、倭民族の歴史を通じて現代にまで生き続けてきた宗教的信仰のことである。

2009年5月24日日曜日

神道の史的概観

一般神道(「・・神道とは日本に発生し、主として日本人の間に展開した伝統的な宗教的実践と、それれを支えている生活態度及び理念をいう、・・」(岸本編、『世界の宗教』、p.228)
日本人は、自然の働きに神を感じ、自然と調和し、また自然に働きかけて生業を営み、豊かな風土を作り上げて生きてきた。共同体を中心とした生活の中で、日本人は生命力や神霊に満ちた自然の働きや祖先によって生かされていることを思い、自然や祖先に対する感謝・祈願の祭を行ってきた。これが神道の基本である。神話は、世界が混沌から生成され、神が国を生んで作り固めて(修理固成)、日本という国土が生まれたところから始る。神によるこの業を、神の子である人間が受け継いでいく話として語られており、アマテラスオオミカミがこうした営みをいよいよ栄えるものとして祝福している。ここに神道の本質がある。神道とは、この現実世界が人間や自然の自らの働きによって不断に生成発展することを説く現世主義の宗教である。(ひろさちや他、『神道の聖典』、鈴木出版、1993、p.40)
 第1項 古神道(古墳時代から仏教伝来まで)(538年以前)
i.自然神
ii.人間神
iii.観念神
農耕儀礼;祈年[トシゴイノ]祭、新嘗祭
禊祓[ミソギハラエ]
世界観:垂直的、水平的。
現世中心的楽天主義
iv.古神道の展開
a.皇室による神話統合。
b.神人分離←同床共殿
c.神祇制度確立:権力による信仰の強制でなく、諸氏族の氏神を尊重、守り神として迎え入れる。(養老令、延喜式[927]→神祇式[最初の10巻]、その9、10巻は、神名[ジンミョウ]帳→式内社)
2月祈年[トシゴイ]祭、3月鎮花[ハナシズメ]祭、4月神衣[カンミソ]祭、三枝[サイグサ]祭、大忌[オオイミ]祭、風神[カゼノカミ]祭、6月月次[ツキナミ]祭、道饗[ミチアエ]祭、鎮火[ヒシズメ]祭、7月大忌祭、風神祭、9月神衣祭、神嘗[カンニエ]祭、11月相嘗[アイニエ]祭、鎮魂[タマシズメ]祭、大嘗[オオニエ]祭、12月月次祭、道饗祭、鎮火祭、6・12月晦日大祓。(神祇官の恒例祭祀)

 第2項 神道理論の展開
1 神仏習合
 奈良時代に仏教主導の下に、神道と仏教の習合が行われる。
1.護法神の観念;仏法を守護する。(例、宇佐八幡の東大寺大仏鋳造)
2.神々の解脱;神宮寺、神願寺の建立。
2 本地垂迹思想;仏教的神道
1.本地垂迹
 平安時代には神は衆生済度のために現れた仏の仮の姿だとする本地垂迹思想が、仏教側から説かれた。
2.天台神道(山王一実神道)・比叡山
3.真言神道(両部習合神道)・高野山
3 反本地垂迹説;鎌倉時代から自主的神道が起こる。
 中世には、学派神道と呼ばれる伊勢神道・吉田神道などが成立し、理論化が進む。
1.伊勢神道(度会神道)
2.吉田神道(室町時代)
4 儒家神道(江戸時代)
 朱子学を始めとする儒教と神道とが結びつく。神儒合一
1.朱子学者(性理説・藤原惺窩、林道春)
2.陽明学者(良知説・中江藤樹、熊沢蕃山)。
3.吉川神道;吉川惟足[コレタル1616-1694]、朱子学派。太極=国常立尊。
4.垂加[スイガ]神道;山崎闇斎[1618-1682]、朱子学派。天皇信仰、勤王思想の源泉。
5 復古神道
 国学運動;国学は古典を研究し、日本民族の精神を明らかにしようとした。
契沖
賀茂真淵
本居宣長[1730-1801]→平田神道。特に、本居宣長・平田篤胤の説は、仏教や儒教に影響されない純粋な古の道・神ながらの道の復活を説いた。
6 明治時代
 神道は、日本の国家の精神的支柱とされ、神仏判然令、大教宣布などの政策によって、国教と同じ位置についた。
第3項 現代神道
i.その特徴
a.神秘な力としての「ムスビ」。
b.いのちの源としての「ムスビ」。
c.基本的生活態度としての「まこと」。
d.人生の意味に関連しての「つながり」→「中今[ナカイマ]」。
e.文化的社会的諸要素を統合するものとしての「つながり」。
ii.その機能(人間問題の究極的解決・人生の究極的意味の探求)
a.未完成な自己にも拘らず神の恵みに生かされていると言う自覚→まこと、祈り、浄め(禊・祓)。{人間問題の究極的解決}
b.つながり→まこと・中今の立場からの献身、奉仕。{人生の究極的意味の探求}

2009年5月23日土曜日

救済論一般

 第1項 問題の所在
 宗教を単に知的な満足を与える思弁的営みとしてだけではなく、むしろ我々の現実の生活に係わる実践として捉えるとき、最も切実な問題の一つは、すでに触れたように、その「救済論」であろう。つまり、救済、救い、と言う言葉の意味内容は幾分異なるにしても、結局、我々は、如何にして救われるか、あるいは更に言えば、「救われる」とは一体どういうことか、また既に現状のまま「救われて」いるとされるのなら、その根拠は何処にあるのか、と言った類の質問があり、宗教は、その全体系を挙げて、少なくともこの様な問いに対して納得の行く答えを出してくれるものでなければならない。他の点でどれ程魅力的な理論を展開して見せても、この点に答えることがなければ、「宗教」としては矢張り不十分であると言われても仕方がないであろう。我々の「諸宗教の神学」が、実践的な意味を持つためには、カトリックの救済論と夫々の宗教の救済論とを矛盾なく統合する理論を提供し、カトリック以外の宗教--我々の場合は神道--も救いのための正常の道であることを明かにしなければならない。これは、非常に困難な作業であるが、我々の神学の要の一つをなすものであり、小論の主題でもある。
 第2項 救いの概念
 その前に考察して置かねばならない問題がある。それは、「救い、救済」という概念で指示されている事柄自体についてである。即ち、人間は、果して「救われる」必要があるのか、と言うことである。これは、簡単な問題のように見えて、実はそれほど簡単ではない。例えば、従来のキリスト教の救いは、キリスト教的な世界観、人間観を前提にして考えられてきた。その思考の枠内では、「救われるには・・・」という表現は、十分な意味を持ち得た。いわゆる「宣教論」もこの様な枠組を前提として考えられてきた。しかし、そもそもこの様な考え方自体普遍妥当であろうか。周知のように、キリスト教的な「救い観」を認めない人は少なくない。この様な人々は、端的に「誤謬」の内にあると断定すべきであるか。或は、キリスト教では、救いとは、或意味で「存在論的事実」であると理解しているが、他の人々は、救いは、「心理的、認識的、主観的」事柄であると理解している。果してどちらの考え方が「正しい」のであろうか。我々は、未来の出来事に関して、確証を持たないし、また、それに関する「検証」も不可能である。いずれが正しいかどの様にして判断したら良いのだろうか。結局「信仰」の「正しさ」と言うことに帰着するだろうが、前述のように、この問題について吾々は、「形而上学的」な確実さを持つことは出来ない。以下の考察は、この様な問題点を踏まえた上でのものであることを明記して置きたい。
 第3項 カトリックの「救済論」
 この様な脈絡の中で、カトリックの「救済論」を簡単に考察し、これをどの程度他の諸宗教にも適用し得るのか検討する。さて、カトリックの「救済論」における「救い」とは、様々な仕方で表現されてはいるが、究極的には、各々の個人が、そしてもう少し具体的に言えば、この「私」が永久に幸福であることを言う。ちなみに、個人は、具体的には孤立して存在し得ないものであるから、この考えの基本には、社会、宇宙全体の何等かの完成が予想されていることを見落とすべきではない。人はだれしも皆、幸福を求めているから(吾々は、これを「宗教本能」という言葉で表現した)、救いとは、永久の幸福である、とする事については、異論はないであろう。問題は、では、この「幸福」の具体的内容は何か、どうすればそれに到達できるのか、それを妨げているものは何か、などと言う点にある。ここから、各々の宗教・神学における「救済論」が、分かれることになろう。
 カトリックの救済論では、根本的に人間の欲求を肯定する。欲求そのものは、根本的に善である。「幸福」とは、この欲求が充足された状態についての欲求主体の知覚である。即ち、現実の人間とは何か、を考える場合、人間は欲求を持つ実在であるとみなすよりも、実在する欲求そのものであると捉える方が実情に適しているようである。而もこの欲求は複合的であり、様々な形で表現されるが、ある程度人間と言う統体の中で統合を保っている。所で個々の欲求には、その欲求を満たすことのできる個別的なもの(対象)が予想される。もとも現実にその様なものが実在するのか、或は実在するとして実際に欲求を満たし得るのか、と言うことは、別の問題である。何れにせよ、この様な「もの」を欲求の「対象」と呼ぶ。今、ある特定の欲求(例えば食欲)が満たされた時、この様な状態は、この欲求に関する限り、満たされる前より完全な状態になったと言う事ができる。本来、「救い」は、完全・円満に関して「負」から「正」の方向への移行を表わす概念であるから、ある欲求が満たされた状態を非常に広い意味で「救われた」と表現することが出来よう。こうして一般に基本的には、「救い」とは欲求が充足された幸福な状態である、と「定義」することが出来る。所が、吾々の欲求を更に良く観察して見ると、吾々は、単に個々の欲求が満たされるだけではなく、考えられる限りの総ての欲求、即ち、霊的なもの、精神的なもの、肉体的なもの、時間的には、単に未来だけではなく、現在の欲求も含み、社会的な次元でも少なくとも必要な限り、あらゆる欲求が満たされ、更にこの充足状態が時間的にも無限に続く事を求めている。言わば「究極的欲求」とも言うべき欲求のあることを実感していることが分かる。この「究極的欲求」が完全に満たされた状態を厳密な意味での「救い」と呼ぶ。「究極的欲求」が完全に満たされた時、我々は、厳密な意味で「幸福」であると実感するだろう。即ち、救いと幸福とは究極的に同義概念である。
 今、広義の救いと狭義の救いとの関係を見ると、前者の中のあるものは、後者のための手段もしくは促進因と成り得るものがあり、他のものは、後者への進行を破壊もしくは阻害することがある。従って、あらゆる欲求が必ずしも充足されるのではないこと、また充足されたあらゆる「幸福」が、「永久の幸福」でないことも自明である。或「幸福」は、別の「幸福」と矛盾し、これを排除することもしばしば経験されるところである。この様な事実は、次の事を示唆する。即ち、あらゆる欲求は、無秩序に雑然と雑居しているのではなく、本来、全ての欲求を統括する、いわば究極的欲求に秩序付けられ、統合されているのである。しかし、現実の世界では、なんらかの理由に依って、この調和が欠如している。それ故、幸福が、真に「永久」であるためには、この「調和」が再び回復すると共に、「究極的欲求」が、十全に充足される必要がある。こうして究極の救いは、個々の救いの否定の上に成るものではないが、個々の救いが、必然的に究極の救いに繋がるとも言えない。
 第4項 幸福の概念
 所で、人間は、受肉した霊と言われるように、単なる有機物ではない。仮令、「純霊」ではなくとも霊的な存在(霊的有機物と言うべきか)である。それ故、既に述べたように少なくとも思考の次元では人間の「究極的欲求」は、時間的にも、空間的にも、全ての限界を越え、無限なものを求めている。従って、現実に実現するかどうかは別として、もし「究極的欲求」を十全に充足し得るものがあるとしたら、このものは、それ自身「無限なる存在者」であるはずである。カトリックの救済論は、この様な充足が、現実に実現することを肯定し、人間の「永久の幸福」とは、正にこの様な究極的欲求が「無限なる存在者」自身から完全に充足された状態である、と主張する。これが、「幸福」の具体的内容である。
 所で、この様な状態が実際に現実化されるための作動原因に関して言えば、正にこの様な欲求は、人間(及び宇宙)の本質、つまり存在論的な限界を無限に越えるものとして考えられている。即ち、人間は、存在の次元では有限でありながら、認識の次元では無限のものを求めると言う一種の「矛盾」を抱えている。ところで、この認識上の無限の欲求が、存在上でも満たされるには、認識の次元でも、存在の次元でも無限なものによる他はない。
 従って、人間の側には、この状態を現実化するための根拠は、全くないわけである。即ち、人間は、自力ではこれを現実化することが不可能である。従って、この様な欲求を満たすことの出来るものがあるとしたら、それは、「無限な存在者」・無限な「神秘」の側からの無条件、無償の自由な、自発的働きかけによる以外にはない。吾々は、この様な働き掛けを「恵み」と呼ぶ。この恵みに対して人間の「自由な意志」がどの様に関わるのかと言う困難な問題があるが、ここでは、只人間の救いのための唯一の「作動原因」は、ただ神・神秘のみであって、人間の側からのどの様な要因もそれだけでは、この幸福な状態を現実化し得ないこと、「救い」の現実化を要請する根拠が一切ないことを指摘するにとどめる。
 第5項 前提条件
さて、この様な主張には、次の三点が前提として含まれている。
1 第一に、何等かの手段で我々が経験もしくは認識し得る宇宙は、根本的に有限であり、つまり限界がある。宇宙は、全体としても、各々の部分も、それ自身だけでは完結した閉じた系ではなく、他者による補完を絶対的に必要としている。従って、もし完成されるとしたら、それは、原理的に「外から」でなければならない。この様な補完された状態は、多少の知覚を備えた主体にとっては、「喜び」として意識される。これが剥奪される場合、「苦しみ」として知覚される。
2 第二に、宇宙を絶対的に超越する、完全かつ無限なる「神秘」が実在するとの「予想」。宇宙の限界を空間的、時間的のみならず存在的にも超越するものとして、この宇宙を無から創造したとされる無限なるもの、つまり「神秘」の実在が考えられている。従って、「神秘」がもしあれば、それと、その被造物である人間(より厳密には「宇宙」と言うべきであろうが、理論的には大差がない故、分かりやすく人間で代表させて置く)との間には超えることの出来ない断絶がある筈である。つまり、神秘と人間は、単に段階的に違っているだけではなく、質的に絶対的に異なるものであり、両者の間には如何なる連続性もあり得ない。それゆえ人間の内面には、神秘に至るための如何なる能力も備わってはいない、と考えられる。。そればかりか、両者の間には単に存在の面での断絶だけではなく、人間の意志が能動的に神秘を拒否する、つまり罪と言う精神・意識の面での断絶もあるとされている。要するに、超越する神秘の存在である。
3第三に、人間は、この無限なる「神秘」によって補完される可能性がある。特に、人間の場合、もし補完が実現するとしたら、この補完は、他の場合と同様、他者によって果たされるが、最終的・究極的には無限なる「神秘」自身によって成就される。しかも、この神秘による究極的な補完は、単に存在の次元におけるだけではなく、精神・意識の次元においても人間の完成を決定する。つまり、人間は、神秘によって事実上補完されるだけではなく、この事実をある程度意識する必要がある。この事実が、所謂永遠の幸福の基礎となり、その欠如が永遠の不幸、即ち、所謂地獄の永劫の苦しみを説明する根拠をなす。要するに、人間は、神秘から直接に完成され、このことが意識されて人間の幸福となる。それゆえ、少なくとも人間の場合、「在るがままの救い」(存在の次元のみの救い)は、未だ不完全であって、完全な救いのためには、何らかの仕方で、何時かの時点で、「救われた事実」が意識される必要がある。
 第6項 結び
 要するに、カトリックの救済論では、「救い」とは、上述のように、神秘の一方的、且つ無償--神秘以外の如何なる条件にも制約されないで--の、積極的働きかけによって、人間が、それなしには永劫の不幸に陥らざるを得ない、補足的完成(神秘自身)を神秘から意識して受けること、そしてこれを受けることによって上述の存在論的、意志的、二つの断絶が橋渡しされることであり、その結果として宇宙全体が、人間を媒介として何等かの完成に到達することである、と言うことが出来る。以上は、理論の次元での「救済論」であるが、「歴史的」、具体的には、この橋渡しは、キリストであり、神の子と信じられるナザレトのイエスと称する史上の人物によって決定的に行なわれたとされる。
 では、この様な救済論を他の諸宗教にも(ある程度概念を一般化した上で)持ち込むことが出来るだろうか。
 上述の三つの前提は、あらゆる宗教から受け入れられるものであろうか。
1先ず、第一の前提、宇宙の有限性については、理論上、その解釈は様々であるとしても、ともかく、日常の生活では、吾々が無限でないことは、経験に基づく自明の事実であろう。従って、事実としてはどの宗教も受け入れるはずである。この前提については、大きな問題はないだろう。そもそも「救済」と言うことが問題になるのは、吾々が自己の有限性を自覚するからに他ならない。
2 第二の前提、つまり超越する神秘の存在に関しては、明らかに、これを認めない宗教がある。この様な宗教の場合、当然第三の前提をも認める訳には行かないであろう。所で、この第二の前提は、果たして普遍妥当であり、正常な人間ならば、誰でも問題なく受け入れ得るだろうか。事実問題としてこの前提を受け入れない人々は少なくない。しかし、全宇宙の創造主たる超越神の存在の主張、つまり、全宇宙に対立する神秘が在ること、そしてこれは、誰でもがその理性を正常に働かせさえすれば認めることが出来るものであると、の主張は、それほど明白だろうか。論理必然性による結論であろうか。ここで詳述する余裕はないが、結論を言えば、この主張は、凡ゆる理性を必然的に納得させる程明白ではない。従ってこれを認めないことは、もう一つ別の考え方であって、必ずしも誤謬と言う訳には行かないのではないか。確かに吾々の宇宙観を容認した後は、この宇宙観に対して誤謬と言うことは出来るが、これは一種の悪循環論法である。何れにせよ、このことは、この第二の前提は、ある程度違った仕方で概念化される可能性のあることを示唆しているのではないだろうか。誤解を恐れずに敢えて言えば、人が救われるのは「事実」に依ってであって、「言葉」に依ってではないだろう。
 更に、問題をもっと具体的に、詳細に眺めるならば、確かに、カトリック神学が、概念化しているような、「超越する神秘」を立てない宗教も少なくないが、しかしその様な場合でも、「事実として」は、つまり日々の宗教実践の場では、この概念ではなくとも、この概念が指し示そうとしている「もの」を暗暗裡に認め、或は、少なくともそれを積極的に排除するものではないこと、は言えるのではないか(例えば、阿弥陀仏信仰)。
3 第三の前提、つまり、神秘による補完の可能性については、勿論、神秘の実在を認めない場合は、論外であるが、カトリック神学で考えられているような神秘でなくとも、何らかの仕方で「神秘的なもの」を認める場合、補完の「可能性」をどう理解するかなどについて意見の違いはあっても、原則的に同意できるものと思われる。但し、有限なものが、自らにとって全く「異質(でなければならない)
」のものによってどの様にして補完され得ると理解できるだろうか。ここに一つの解き難いアポリアのあることは否め無い。しかし、これは、神秘の超越性と内在性に関する問題の一つの適用に他ならない。この点を抜きにすれば、カトリックの救済論も、もしその表現に過度に固執しなければ、その言わんとするところは、大方の宗教でも受け入れられるのではないだろうか。
 以上述べた様な救いの概念は、「総論」としては、つまり人は誰でも決定的な幸福を求め、それが満たされるのが救いであるとは、誰でもが余り異議なく認めることが出来るのではないか。しかし乍ら、「各論」となると誰でもが同意できるような結論は、中々困難である。すなわち、「究極的欲求」とは具体的に何に存するのか、経験内のものか、あるいはそれを超えるものか、この様な欲求は、現実に満たされ得るものか、もし満たされるとすれば、それは何によって、どの様に満たされるのか、などと言う問題に対する答えは、前述の様に夫々の人の宇宙観、人間観などに左右されるものであるから、統一見解は難しい。極く抽象的に結論を言えば、基本的には、どの様な救済論でも上述の「総論」を認めるのは困難ではないだろう。「各論」に対しては、カトリックの救済論が、本質的には、人間の側からの救いの条件を認めないのであるからこの救済論の前提を直接的、積極的に(例えば超越的な神は、人間の究極の幸福と基本的に矛盾すると言う風に)否定しない限り、どの様な宗教の救済論も或程度これと調和する可能性があると言えよう。換言すれば、具体的な「事実」、例えば、イエス・キリスト、玄義、秘跡、教会などをそのまま受け入れるのは、困難であるが、理論としてのカトリックの「救済論」は、どの宗教ともそれほど矛盾するものではない、と言っていいのではないか。

2009年5月22日金曜日

普遍救済意志

神秘の普遍救済意志、つまり、神秘は、人間の一部分を救うことだけを意志しているのでなく、あらゆる人間を例外なく救済することを意志する、との主張について簡単に触れる。先ず、この概念には、「救い」若しくは、「救済」の概念が前提となっている。従って、救いとはなにか、そもそも人間は、救われねばならないのか、と言う根本的な問題が問われねばならない。この設問は、余りにも常軌を逸しているようだが、それぞれの宗教における「救い」の概念を理解する作業仮説として意味があろう。
 純理的に考えれば、人間には、欲求があるが、それが満たされないとしても、或いは、それが苦痛の原因となったとしても、必ずしも不条理ではない。逆の事態に対する必然性は、人間の内にないからである。つまり人間は、幸福を願望するが、不幸になったとしても矛盾ではない。徹底的な諦めか、自暴自棄になることが予想できるが、存在論的には、問題はない。しかし、実存の次元では、やはり、人間が最終的に不幸になるのは、不条理である。そして、宗教は、正に実存の領域の事柄であるから、言葉はどうあれ、救いを問題としないことは、事実上あり得ない。
 それ故、救いは、すべての宗教の前提である。問題は、救いとは何か、と言う内容の理解である。しかし、この問題自体に深入りしないで、一応常識的に、救いとは、最終的な幸せであり、それはすべての欲求が完全に満たされた状態である、理解しておく。そしてこの様な仕方で欲求を満たし得るものは、所謂「神秘」と呼ばれるものである。この様に受け取ると、救いは、ただ神秘の側からの一方的な働きであることが分かる。従って、若し、救いがあるとすれば、それは、神秘の一方的な意志の結果であるということになる。即ち、全人類の救済は、神秘の意志自体にその根拠があるのであって、人間の側に根拠があるのではない。つまり人間の側からは、救済のための条件はない。従って、神秘の側から、人間を救済するとの意志がなければ、そもそも救済は成立しない。それゆえ、救済論が成立するには、神秘の救済意志を前提としなければならない。但し、人間は、自由意志があるから、神秘の側からの働き掛けを拒否することが常に可能である。しかし、この意志を前提しても、果たしてこの意志は、上述のように普遍的なものかどうかが問題となる。普遍的だということは、一切の例外を認めないということであろうか。ここに、普遍救済意志を認めた場合、人間の自由意志との関わりはどうなるのかという古来論議されてきた難問が残る。更に、自由意志によって受け入れると言う行為そのものも神秘からの無償の恵みである。拒否する場合も、この受け入れのための恵みがあるはずであるから、ここにどの様にして、この恵みに逆らう可能性が考えられ得るのかと言う、きわめて困難な問題が生じる。